蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

蕎麦打ち (13)

2006-06-19 | 蕎麦打ち
私は、蕎麦1本の断面の縦と横の長さを決めるのに、次のような試みを行った。まず、縦すなわち延し終った時の厚さが決め易いので、厚さを最初に決めた。そして、切り幅を変えて行った。

延し終わった時の厚さはどのように決めるか。それには蕎麦をくくりあげて1つの玉になったときの体積を、ビニール袋に入れ水に沈め計量した。次の式、縦×横×高さ(厚さ)=体積を利用して延す大きさを決めた。最初は厚さを2mmにするように延した(私の包丁の関係から横は55cmにしているので縦の長さのみで調整した)。この2mmの厚さの蕎麦をたたみ、ある方の機械で様々な切り幅で切っていただいた。断面が正方形から、フィボナッチ数列から導かれる黄金比である0.618を用い、縦を1にし横を0.618にするものまで数種類に切り分けた。

黄金比を用いた「めん」は、ペラペラした食感になりよいものではなかった。そこで、縦と横の長さの比は1対1から1対0.618の間に適切な割合があるだろうという考えに至りついた。

蕎麦打ち (12)

2006-06-18 | 蕎麦打ち
② 蕎麦の断面を縦長方形にする2つ目の理由は、茹でに関係する。
蕎麦それ自身が茹でられるということは、「めん」状にした蕎麦に熱湯が差し込んで、デンプンが熱によって糖化されることである。熱湯が「めん」にしみ込まなければならないのである。固められた上下面から熱湯が多く即座にしみ込むがろうか。熱湯は切り面の方からが遙かに多く即座にしみ込むだろう。
すなわち切り面が広い方が茹で時間が短くてすむのである。茹で時間が短かければ、蕎麦の香りの損失は少ない。それゆえ、切り面を広くすることは、香りの高い蕎麦には必須のことなのである。

次に生じる検討課題は、縦長方形の縦と横の長さの割合をどのようにするか、あるいは具体的にそれらの長さを何mmにするかである。
先に述べた①と②の理由からは、切り幅に対して切り面の長さは、長ければ長いほどよいという結論になる。しかし、それには自ずから限界があるだろう。それではどのように思考し、それらを決定すれば好いのだろう。

蕎麦打ち (11)

2006-06-17 | 蕎麦打ち
なぜ蕎麦は1本の断面が、切り面の方が長い縦長方形なのか。
その理由は、片倉さんの蕎麦について網羅的に詳細に書かれているはずの『手打そばの技術』の中に見いだすことができない。私が目にする他の蕎麦の書物にもない。

一方、井上明さんはウェブサイトで「切りべら」、「延しべら」について詳しく述べている。しかし、なぜ縦長方形なのかについては、「包丁がつくる断面は、0.1mmでも多い方がきりっとしたそばになる」と指摘しているにすぎない。しかも、縦長方形に切れば「きりっと」感じられるというが、それだけで私にはそのように感じられるとは到底思われない。

私は、蕎麦の断面を縦長方形にするには、次の2つの重大な理由があると考える。
① 延しの段階で蕎麦の上下面は、下の板とめん棒で固められてしまうので、延し面を切り面よりも広く切ると歯により強くあたり、硬質な感じになってしまう。
他方、切り面を広くすれば固められている面が少ないのでソフトな感触になる。だから、切り面を広くするのである。蕎麦の断面を縦長方形にする意味の1つはまさにここにある。

蕎麦打ち (10)

2006-06-16 | 蕎麦打ち
ソフトな歯触りがし、しかも「めん」がしっかりしている蕎麦を打つにはどうしたらよいか。
ことが重大であるために、その答えは容易に見つかるものではない。私は、何年も頭の片隅に入れておき、事あるごとに思案した。ある時、一つの考えの道筋が見えてきた。

私達は蕎麦を食べるとき、細い「めん」を、おそらく十数本を箸でつまみ、つゆにつけ口に運ぶ。この時の「めん」状の蕎麦が与える印象を、コシがあるとか食感がいいとか言い表す。そうであるからには、十数本を構成する「めん」の1本を仔細に検討することが必要だと考えた。

ところで、蕎麦には「切りべら」、うどんには「延しべら」という言葉が使われる。それは、蕎麦は切り面よりも延し面の方を短く、うどんは切り面よりも延し面の方を長くするというものである。従って、蕎麦は「めん」1本の断面が縦長方形になることを意味する。

この縦長方形にするのはなぜなのか。ここが出発点である。ここを突き詰めて考えることなしに、いいコシのある蕎麦は打てない。

蕎麦打ち (9)

2006-06-14 | 蕎麦打ち
蕎麦を始めて間もなくして、私はNBさんらと「翁」を訪れた。NBさんはそのときの感動を幾度となく語った。彼は、「あの蕎麦は噛んでなんとも言えないソフトな感触があり、まるで餅を食べているようであり、それでいて『めん』がしっかりしている」と表現した。

その後、自分でも蕎麦を打ち、名のある蕎麦店の蕎麦を食べるうちに、彼の言うことが次第に判るようになっていった。それは私の蕎麦に対する考え方の根幹になった。私が、いいコシと言い表すのは、彼が表現する蕎麦のことである。その意味で彼には本当に大切なことを教えてもらった。

では、このような蕎麦は、いつでもどこでも味わえるのか。残念ながら難しい。昨年(2005年)から、「達磨」(高島屋出店) 「ふじおか」 「よしの」 「狭山翁」 「安曇野翁」などを訪れているが、ソフトでいいコシの蕎麦にはほとんど出会っていない。
(「狭山翁」で1度だけいいコシの片鱗を感じた。ところで、「良い」という蕎麦は、NBさんが高橋さんの蕎麦から感じ取り定式化したものだが、今の「高島屋出店」の高橋さんの蕎麦には私はその良さが感じられない。なぜなのかその理由が私には判らない。)

蕎麦打ち (8)

2006-06-13 | 蕎麦打ち
(二) コシについて

美味い蕎麦とはどのようなものなのだろう。

片倉さんは『手打そばの技術』のなかで詳細に、この点を論じている。かいつまんで言えば、食べるときの「感触」と「のど越し」ということになるだろう。これは大方が共通に認めていることであろう。
ところで、この「のど越し」なる概念であるが、その意味するところが私にはよく判らない。私は、蕎麦を食べるときかなり噛んで食べる。「のど越し」という場合には、相当飲み込むような食べ方をしない限り、感じられないことなのではないか。

おそらく、この「のど越し」がいい蕎麦か否かは、すべてとは言わないが、蕎麦粉の粒子の大きさ等に依存すると思われる。それゆえ、ここではこの点には言及せず、蕎麦を食べたときの感じを「コシ」と総称し、いい「コシ」をだすにはどのように蕎麦打ちを進めたらよいかを追究していきたい。

蕎麦打ち (7)

2006-06-12 | 蕎麦打ち
前回まで加水方法について考えてきたが、今回は水回しについて考えてみたい。

水回しについては片倉さんの『手打そばの技術』に「およそ一分程度、両手の動きにして百数十回も、かきまわしたり、撚りをかけたりしているうちには、すっかり水がまわり、粉のままのところはなくなって、無数の小さな、塊に変わっている」とある。

私は、この文章などから、水回しの最初が大切だと知って、水を打つと素早くかき回した。思い切りかき回すことで蕎麦打ちが少しずつまともになっていった。今でも可能な限り素早くかき回すことにしている。すでに述べた蕎麦粉の持つ性質から、かき回す速さが速いほど、水回しはよいと思う。

ある時、NBさんと私は片倉さんの高弟の方の水回しを偶然見る機会があった。かき回すのが、あまりにもゆっくりなのに驚いた。これは、NHKの高橋邦宏さんの蕎麦打ち講座を見ても同じであった。片倉さんの本の記述と氏の門下生たちの水回しの間にあまりにも大きな違いを、私は感じる。いったい片倉さんが実際に行っていた水回しはどうだったのだろう。

高橋さんの水回しには、さらにもう一つ疑問がある。それは加水方法についてである。
加水方法に問題があるから、「大きな塊は・・・指で突き崩すように」(『こだわりのそば打ち入門』)しながら水回しをしなければならないのだ。加水方法に問題がなければ、同書の解説の写真の段階で「大きな塊」は出来ないし、その結果「指で突き崩」す必要もない。

前回まで述べたように、水がどっといく部分があるために、水回しの初期の段階で「大きな塊」ができてしまうのである。

蕎麦打ち (6)

2006-06-11 | 蕎麦打ち
加水に関しては、1回がよいか分割がよいかは意見が分かれる所である。しかし、最初の水の打ち方を考えずに、そのことを議論しても始まらない。

次の3つの場合について考えてみよう。
① 蕎麦粉の中央に、3回分割の1回目を70%加水した場合。1回目をどのように巧く水を回しても、30%の粒子には水が行き渡らない。その30%に2,3回目で短時間に水を回すのはそう簡単ではないだろう。
② 蕎麦粉の中央に、1回のみで加水する場合。ほんの一部の粒子にどっと水が触れたら、それらの粒子だけが一気に水を抱え込んでしまわないだろうか。その結果、全部の粒子に水を送り込むのは難しいだろう。 
③ 片手で1回加水の場合。この場合は1回の加水であっても、多くの粒子が短期間に順次水に触れていくので、水回しは巧くいくだろう。
この他の幾つかのケースを考える必要があろうが、蕎麦粉の性質から考えて②のケースが最悪の選択である。

結局、最初にどのような加水方法をとるかと、1回加水か(一般的である)3回加水かは相互に関連しているのである。

蕎麦打ち (5)

2006-06-09 | 蕎麦打ち
私が、今試みている加水方法は、前回述べた2つの方法の中間型とでも言えるものである。蕎麦粉をひとまず平らにし、渦巻き状の溝を作り加水する方法である。溝を上手く作ると、水と非常に多くの粒子とを接触させることが出来る。

これは、言うまでもなく、表面積を可能な限り広くしようという発想である。オートバイの空冷エンジンが表面積を広くして速く冷やそうとしたり、小腸の絨毛が表面積を広くし効率よく栄養素を吸収することと同じである。

実を言えば、私はこの渦巻き状の溝を作る方法がそれほどいいアイデアだとは考えていない。しかし、次のことを行えば、ベストと思われる片手方式に一歩近づく。私は3回の加水方法をとっているが、1回目の加水を2回に分ける。すなわち、最初渦巻き状にして約40%の水を注ぎ、思い切り素早くかき回したらすぐに、時間にすれば1分か2分であろうか、再び渦巻き状を作り約40%の水を注ぐ。これなら片手方式よりは取り組み易く、合理的と考えられる片手方式にいくらかは近づく。
これが現在私が試みている加水方法である。

蕎麦打ち (4)

2006-06-08 | 蕎麦打ち
この簡単な実験から、どのような加水方法がよいかが判る。それは、加水と同時により多くの粒子を水に接触させることである。

この観点からすると、素人であれプロであれ多くの方が行っている次の方法は、最も好ましくない方法である。
捏ね鉢に蕎麦粉を入れその中央を低くし、水を注ぐ方法である。水は小さな池になり、水と接する粒子の数が、これから述べる方法の中で一番少ない。従って、第1回目の加水方法としてよくないのである。
この方法で蕎麦打ちをしているプロの方は、これで十分いい蕎麦が打てると言うかもしれないが、私達のような素人には彼らのような手際良さがないので、蕎麦打ちの全ての工程を合理的にしなければうまくは打てないのだ。
さらに、悪い蕎麦粉を使った時に、この方式の問題点はより鮮明になる。

それでは、どのような方法がベストなのか。
それは加水しながら蕎麦粉をかき回すことである。片手で水を少しずつ注ぎながら、もう一方の手でかき回すのである。これがベストだ。水に多くの粒子を一瞬のうちに接触させることができるからだ。しかし、この方法は修得するのがむずかしい。私はこの方法を身につけることを試みたが、蕎麦打ちの回数が少ない私には困難であった。

そこで、この方法はあきらめ、現在は次善の策といえる次の方法を試みている。