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蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

脱皮機 (3)

2006-04-20 | 脱皮機
脱皮機の位置づけ

日本の蕎麦は、「砂場」、「更科」、「藪」の3系統が並立し進展してきた。一部を除いて、これらの中には新しい発展の萌芽はなかったように思われる。その中で,新しい蕎麦の流れを起こしたのが、片倉康雄さんだ。まさに現在進んでいる蕎麦の発展の礎を築いたと言えよう。私は,これを、蕎麦の発展の第1期と呼ぶことにしている。

続く第2期は、片倉さんの教えを直接、間接的に受けた、きらきら星の如く現れた一群の人達であった。その中の先鋭的な人々が自家製粉に向かって行った。それが高橋らであった。彼らは、納得できる蕎麦を打つには、製粉所から提供される蕎麦粉では無理があると考えた。そこで、自分で製粉しようとした。石臼と脱皮機が必要であったが、石臼の方が手に入れ易かったのだと思う。それまでなかった小型の脱皮機は本当に必要だったと思う。第2期の発展の出発点となったのは、まさにこの脱皮機の開発ではなかったか。すべて新たなことへの発展は、発想の中からしか生まれないが、必ず見える形で残るのだと思う。
(なぜ、第1期の地平を開いた片倉さんは、次の世代に乗り越えられなければならなかったか、そして、第2期の限界はどこにあり、どう止揚されなければならないかについては、後に詳述したい。)

最近、石臼による製粉のみで「自家製粉」の店というのが多くなった。これは明らかに,他から「抜き」を提供されている。「抜き」にしてからの時間の経過等様々な問題が付きまとう。上記の脱皮機の開発さえ進めていった蕎麦店のことを考えればあまりにも安易ではないか。


脱皮機 (2)

2006-04-19 | 脱皮機
念願の脱皮機購入

ソバの脱皮機の入手先を捜していた時、NHKのある番組で、ひとりで栽培し、製粉し、蕎麦を打って楽しんでいる方が紹介されていた。その方が脱皮している場面に、メーカー名など映し出すはずのないNHKの画面に、かすかにメーカー名が見えた。「岩田兄弟工場」とあった。

現在ほど、検索方法が多様化している時代ではなかったので、すぐ近くの図書館に行き、電話帳を片端から調べ始めた。幸運なことに、意外に早く連絡先が見つかった。間もなく、NBさんと私は、その製作販売会社を訪問し、二人で出資し、念願の機械を手に入れた。

後に、「そば屋翁」(高橋邦弘著)などで、この脱皮機は、高橋さんや小池重雄さんらの自家製粉への熱意から開発されたことを知った。こうした先駆者の先見性に大いに感服したものである。

脱皮機 (1)

2006-04-18 | 脱皮機
畏友NBさん

蕎麦を食べ歩き始めた当初から、主体的に蕎麦に係わったのが畏友のNBさんだ。彼は中華の料理人で、食に関してとぎすまされた感性を備えている。さらに,創意工夫に長け、行動力が抜群だ。彼の存在がなければ蕎麦の進展はなかった。それゆえ、このブログは「二人の素人の蕎麦事始め」と言った方が正確かもしれない。

彼も私も、ソバの殻を外す方策を多方面から探ったが、首尾よくいかなかった。結局その存在だけは知っていた市販の脱皮機を求めることにした。しかし、蕎麦の世界について何も知らない私達にはその販売先さえ判らず、一時暗礁に乗り上げたかに思われた。

しかし、思わぬところから扉は開いた。