(二) コシについて
美味い蕎麦とはどのようなものなのだろう。
片倉さんは『手打そばの技術』のなかで詳細に、この点を論じている。かいつまんで言えば、食べるときの「感触」と「のど越し」ということになるだろう。これは大方が共通に認めていることであろう。
ところで、この「のど越し」なる概念であるが、その意味するところが私にはよく判らない。私は、蕎麦を食べるときかなり噛んで食べる。「のど越し」という場合には、相当飲み込むような食べ方をしない限り、感じられないことなのではないか。
おそらく、この「のど越し」がいい蕎麦か否かは、すべてとは言わないが、蕎麦粉の粒子の大きさ等に依存すると思われる。それゆえ、ここではこの点には言及せず、蕎麦を食べたときの感じを「コシ」と総称し、いい「コシ」をだすにはどのように蕎麦打ちを進めたらよいかを追究していきたい。
美味い蕎麦とはどのようなものなのだろう。
片倉さんは『手打そばの技術』のなかで詳細に、この点を論じている。かいつまんで言えば、食べるときの「感触」と「のど越し」ということになるだろう。これは大方が共通に認めていることであろう。
ところで、この「のど越し」なる概念であるが、その意味するところが私にはよく判らない。私は、蕎麦を食べるときかなり噛んで食べる。「のど越し」という場合には、相当飲み込むような食べ方をしない限り、感じられないことなのではないか。
おそらく、この「のど越し」がいい蕎麦か否かは、すべてとは言わないが、蕎麦粉の粒子の大きさ等に依存すると思われる。それゆえ、ここではこの点には言及せず、蕎麦を食べたときの感じを「コシ」と総称し、いい「コシ」をだすにはどのように蕎麦打ちを進めたらよいかを追究していきたい。