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蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

釜前仕事 (7)

2006-07-08 | 釜前仕事
③ 盛りについて

水が切れる頃合いを見計らって、蕎麦をザルに盛るがそこにも考えべき点がある。

「めん」の表面に絡んだ水が切れた瞬間に食べられるようにすればよいから、その直前にザルに盛ることになる。この時は、完全に水が切れている訳ではないので、蕎麦を決して山型には盛らず、均一にあるいは中央を低くするぐらいで平らに盛るのである。山型には絶対に盛らないというのが、盛りつけの最大のポイントである。

盛りつけには2つの方法があるように、私には思われる。一つは、少しずつ何回にも分け盛りつける方法であり、もう一つは、1回あるいは2回でバサッと盛りつける方法である。本質的には、両者はそう変わらないと思う。なぜなら、「めん」に手が触れている時間は出来るだけ短い方がいいのだが、両者には時間の差があまりないからである。前者は、少しずつ盛りつけるので、手に触れる回数が多い。後者は、一瞬で盛りつけ、整えるだけだが、その前に「めん」を手で適切にほぐしておかなければならない。2つの方法とも、ある程度、手で「めん」に触れざるをえない。

私は、前者で盛りつけることが多いが、後者の方法で均一に広く盛られた1枚のザルの方が、好みである。

釜前仕事 (6)

2006-07-06 | 釜前仕事
問題はいかに速く蕎麦にからみついた水を切るかである。
まず、出来ることは、茹で上がった後、水の中でぬめりを取りよく洗ったあと、たっぷりからんだ水をできるだけ振り切ることだと思う。
問題はその先である。

最初に試みたのは、雑誌などで見て知っていた、大きなザルの端を使う方法である。ザルの端の傾斜がある部分に少しずつ蕎麦を置いた。水が切れた頃合いを見計らってザルに盛った。しかし、あまりよくなかった。端がもっと急傾斜で水がよく切れそうなザルも新たに購入し試したが五十歩百歩であった。

次に、扇風機を使ってみた。先ほどの大きなザルの端に置いた蕎麦に、風を送ってみたのである。ザルを動かしたり、風の当て方を様々に変えてみたり、蕎麦を箸で動かしてみたりと、考えられるだけのことは試みた。結局、扇風機を使う方法も画期的といえるものではなっかた。

上記の方法を試みながら、振って水を切ることも平行して進めていた。これが意外に良かった。壺状の振りザルを購入してきて水を切っていたのだが、欠点があった。力強く大きく振れるのだが、蕎麦がザルの中で一塊になってしまう。塊の中心の水が切れない。そこで、高さの低い小さな一種のかごにしてみた。この方がよかった。

今は、これで水を切っている。ザルの穴の大きさ、ザルの形状やザルの振り方など考えることは多い。もっといいアイデアが浮かぶのではないかといつも考えながら使っている。

釜前仕事 (5)

2006-07-05 | 釜前仕事
ところで、「香り曲線」と「コシ曲線」の交点が最適な食べどころに違いない。しかし、もっといい食べどころは求められないか。

縦軸は、原点から離れている方が、「香り」も高く、「コシ」もよいことを表しているから、いい食べどころにするには、交点の位置を上方に移動させればよいことになる。それには、理論的に、2つの曲線を移動させるればよい。しかし、「コシ曲線」は移動させることはできない。時間が経てば、「コシ」は確実に失われていくからである。現実的に可能なのは、「香り曲線」を移動させることだけである。右上がりの「香り曲線」を左に移動させるのである。これによって、両曲線の交点は上方に移動できる。すなわち、高められた「香り」と、いい「コシ」を味わうことができるのである。

「いし井」のご主人の強く振ることによって水を切る行為は、この「香り曲線」を左に移動させることだったのである。

以上のことが判ると、茹で上がった蕎麦の水をどのように素早く切るかが、その後の私の課題となった。

釜前仕事 (4)

2006-07-04 | 釜前仕事
蕎麦は香りとコシだと書いた。香りはある程度時間が経ち水が切れないと感じられない。一方、コシは時間が経てば失われてしまう。

私は、若い頃経済学の分野でトレーニングを受けた。この香りとコシの問題を考えた時、均衡価格決定のメカニズムを思い出した。横軸に数量を、縦軸に価格を取れば、供給曲線は右上がり、需要曲線は右下がりとなる。そして、均衡価格はその交点で決まるというものである。

蕎麦の香りとコシはどうなるか。
横軸に時間を、縦軸に香りとコシをとる。この座標軸において、コシを表す「コシ曲線」は右下がりとなる。香りを表す「香り曲線」は、短い時間の話だが、時間が経過しないと香りはたたないから、右上がりとなる。言うまでもなく、蕎麦の最適な食べどころは、両曲線の交点となる。
これを元に、この先に何が見えてくるか考えてみよう。

釜前仕事 (3)

2006-07-03 | 釜前仕事
② 水切りについて

一般の家庭でも、沸騰が止まらない程度に蕎麦の量を制限し投入すれば、一応蕎麦の茹で基準には達していると、私は考えている。問題なのは、その後である。すでに書いたように、今まであまり論じられず軽視されてきた「水切り」の問題である。

今はないが、東京神田の2つの老舗蕎麦店のすぐ近くに「いし井」という蕎麦店があった。御主人が蕎麦を茹で上げ、水切りをするときに、ザルか何かで数十回もトーントーンと強く鋭く振って水を切っていた。それが水を切るための行為だということは直ぐに理解したが、重大な意味をもつことはその時理解できなかった。その蕎麦は細打ちでいいコシがあり、驚いたことに豊かな香りがあった。納得できる蕎麦店がない東京では、例外に属する蕎麦であり、今まで東京でこれ以上の蕎麦を食べたことがない。

その後しばらくして、ある名の通った蕎麦店で蕎麦を食べているときのことである。相手がいたので話しをしながらゆっくり食べていると、香りがぐっと強く感じられる一瞬があった。水が切れると、香りがたつことに、この時気づいたのである。「めん」の表面が水でコーテングされた状態では、香りは感じられない。この水が切れなければ、蕎麦の香りは味わえないと判ったのである。

あの「いし井」の御主人は、香りを出すために水を振り切っていたのである。

釜前仕事 (2)

2006-07-02 | 釜前仕事
これから釜前仕事を、茹で、水切り、盛りの3点に絞り述べていきたい。

① 茹でについて

蕎麦を茹でるには、火力が強く、湯量が多く、短時間に茹でるのがよいとされている。茹で時間が長くなれば、最も大切な蕎麦の香りがなくなってしまうからである。だから、多くの蕎麦店で現在はより短時間に茹であげるために、蕎麦をより細く切る傾向がある。私は、細すぎない限り妥当な方向であると思う。

私のような素人が家庭で、蕎麦を上手く茹でるのは難しい。能力の大きい釜などを設置できないからである。私は、ガスバーナーと大きい鍋を購入したが、やはり一般家庭では能力が足りない。バーナーはたくさんある穴を、ドリルで太くしたが知れたものである。

茹でる能力が小さい場合には、投入量を少なくする以外にない。よく指摘されることであるが、蕎麦を投入しても沸騰が止まらないのが1つの目安である。私も、これを基準に投入量を決めている。

釜前仕事 (1)

2006-06-30 | 釜前仕事
釜前仕事とは、蕎麦を切り終えてから、茹でを経て、食べる直前までをいう。

いい蕎麦が打てたとしても、この間に蕎麦を劣化させてしまう要因は多い。その中で、比較的軽視され、識者にあまり論じられず、しかし、決定的に重要なのが「水切り」の問題である。

ここでは、この「水切り」の問題を論じたいが、まず次の2点について触れておこう。これらは、特別なことでもないが。

① 蕎麦は「挽きたて、打ちたて、茹でたて」がよいとされる。そのうち「打ちたて」は本当に大切なのか。
周知の通り、打ちたての蕎麦は、湯の中で沈まず浮いてしまう。従って、泳がない。しかし、時間がたてばうまい具合に沈んで泳ぐ。その理由は、蕎麦の中に打ちたては、いまだ空気が含まれているからなどの説明がなされるが、私には判らない。
ここでは、どのくらいの時間が適切かということである。私は、蕎麦を切り終え、それほど時間も経過せず、しかも茹で易くなるのは、2,3時間後程度がよいのではないかと考えている。