蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

釜前仕事 (1)

2006-06-30 | 釜前仕事
釜前仕事とは、蕎麦を切り終えてから、茹でを経て、食べる直前までをいう。

いい蕎麦が打てたとしても、この間に蕎麦を劣化させてしまう要因は多い。その中で、比較的軽視され、識者にあまり論じられず、しかし、決定的に重要なのが「水切り」の問題である。

ここでは、この「水切り」の問題を論じたいが、まず次の2点について触れておこう。これらは、特別なことでもないが。

① 蕎麦は「挽きたて、打ちたて、茹でたて」がよいとされる。そのうち「打ちたて」は本当に大切なのか。
周知の通り、打ちたての蕎麦は、湯の中で沈まず浮いてしまう。従って、泳がない。しかし、時間がたてばうまい具合に沈んで泳ぐ。その理由は、蕎麦の中に打ちたては、いまだ空気が含まれているからなどの説明がなされるが、私には判らない。
ここでは、どのくらいの時間が適切かということである。私は、蕎麦を切り終え、それほど時間も経過せず、しかも茹で易くなるのは、2,3時間後程度がよいのではないかと考えている。

蕎麦打ち (22)

2006-06-29 | 蕎麦打ち
書き残した2つの点について述べておきたい。

① 打ち粉について
多くの識者が指摘する通り、私は、打ち粉はできるだけいい打ち粉を使うことが大切だと考えている。ただ、いい打ち粉を使えば、それで解決するというものではない。例えば、蕎麦打ちに使っているのと同じ粉なら、問題はないとする意見がある。確かに、質は同じだが、打ち粉には異なる役割を果たさせなければならないのだ。
さらに、私が指摘した打ち粉とめん棒のメカニズムによって、蕎麦の表面が固められてしまうのは同じである。

② めん棒の使い方について
めん棒をコロコロと転がす操作について一言付け加えたい。めん棒で下の蕎麦を押しつけるとき、小刻みに力を変えることが重要だと思う。それは、ある意味では蕎麦を練っていることと同じであり、蕎麦の表面を固めない。
これは、片倉さんが『手打そばの技術』の中で手の平でめん棒を転がす扱い方のことであり、この操作で単に「転がす」というよりも、押しつける力を小刻みに変えながら「転がす」のである。

この論考は、蕎麦打ちについて幾つかのポイントを述べたにすぎないが、それらは蕎麦打ちについて本質的に重要なことであると、私は考えている。蕎麦打ちについては未熟な私であるが、これらの点を考慮にいれることによって、確実にいい蕎麦が打てるようになったと私は考えている。

尚、「歯触りがよくソフトでありながら、しっかりした蕎麦がいい」と教えてくれた友人のNBさんは、私とは異なる方法で、このいい蕎麦を打つことを追究している。その彼は、どの有名な蕎麦店をも遥かに凌ぐ「いいコシ」の蕎麦を打つ。

蕎麦打ち (21)

2006-06-28 | 蕎麦打ち
「丸出し」で中央部を厚くしておけば、次の「四つ出し」で中心線部及び中心部が薄くなりすぎず、「本延し」開始時に蕎麦の厚さの不均一化は遙かに少なくて済む。その結果、「本延し」の際、表面部をガチガチに固めてしまう、あのめん棒をコロコロ転がす作業が少なくなるだろう。

では、「丸出し」の工程でどのような操作をすればよいのか。
私が偶然目にした方法は、意味が判ってから、しばらくの間試みたが良い方法ではない。2つの点で問題がある。1つは操作が難しく、2つには円形の蕎麦の端を薄くしてしまうからだ。

私が、現在行なっている方法は、中心部から先を少しずつ薄くしていき、最先端の手前で止め、蕎麦を回しながらこれを繰り返す方法である。こうすると、「丸出し」が終った時、中心部が少し高くなる、あるいは厚くなる。

以上のような理由で、「丸出し」の工程では、蕎麦を平らに延すことが大切だとする考え方に賛成できない。「円月殺法」とやらの打ち方にはなおさら賛成出来ない。

蕎麦打ち (20)

2006-06-27 | 蕎麦打ち
蕎麦の厚さに不均一が生じるのは、「四つ出し」の工程である。「丸出し」によって丸くされた蕎麦を、めん棒に巻き付けると、中心部分が高くなる。それを前後に回転させ延していけば、縦の中心線に沿って薄くなる。これを直角に移動させ、同様の作業をおこなえば、もう一方の中心線に沿って薄くなる。両方の線が交錯する中心部はさらに薄くなってしまう。

それゆえ、「本延し」は本格的延しという本来の意味とは異なる、厚さの均一化という作業を兼ねたものにしなければならないのだ。これを「肉分け」と呼び、めん棒を小刻みにコロコロと回転させ、厚さを均一化しつつ延していくのである。これが、以前にも書いたように、表面を固くしてしまい、いいコシをさまたげてしまう最大の敵である。

それでは、「四つ出し」の工程で厚さの「むら」を出さないようにするにはどうすればよいか。それには、その前の工程に戻って考えてみることが必要となる。
以前に、「丸だし」の工程で中心部を高くする蕎麦打ちを見て疑問に思ったと書いたが、解答はここにある。

蕎麦打ち (19)

2006-06-26 | 蕎麦打ち
前回述べた疑問に対する解答は、さらに先の工程のことを考えなければ得られないので、次の「四つ出し」と「本延し」の工程に進む。

「四つ出し」とは、「丸出し」によって一定の大きさとなった蕎麦を、めん棒に巻き、より大きくする工程である。ここでは、単に大きくするのではなく、めん棒を直角にずらして巻くことによって、正方形に近い形に延していく。この正方形になった蕎麦を3本のめん棒を使い、縦長方形に延していくのが次の「本延し」である。この「本延し」では、大きく延していくことと不均一となった厚さを均一化していく作業の両方を行っていく。

ところで、この厚さを均一化する時に、手を猫の手のようにし、手の下にめん棒を入れ、めん棒を下に押しつけながら、転がしながら使っていく。私は、この作業が蕎麦の表面を固めてしまう最大の要因であると考えている。では、どう解決するか。

この作業をなくすことはできないが、最小限にするにはどのようにしたらよいのか。
この作業をせざるえないのは「本延し」を開始するとき、蕎麦の厚さが不均一だからである。ではその厚さが一定でないのはどこから生じるのか。

蕎麦打ち (18)

2006-06-24 | 蕎麦打ち
蕎麦打ちにおける「丸出し」の位置づけは、「地延し」である程度の大きさにされた蕎麦を、めん棒で巻き付け易い大きさまで、めん棒を転がすことによって延していくことである。この際、一般的に最も重要なことと解説されているのが、出来るだけ丸く(正円)にすることと、平らに延すことである。

私は、この出来るだけ丸くすることについては、指摘される通り重要なことと考えている。私も、未熟ながら丸く丸くすることを心がけ蕎麦を打つ。問題なのは、もう1つの「平らにすること」である。

ある時、ある蕎麦店で食事を終え、レジで支払い中、店主らしき人の「丸出し」の作業が目に入った。私には、奇妙に見える打ち方をしていた。蕎麦の中心部にくるめん棒を少し高め、蕎麦を回しながら、端だけを延していった、あるいは低めていった。真横から見れば、蕎麦の中心部が高く、外側に向かって低くなるようにしていたのである。なぜそのようにしていたのか、その理由が判るのに数年かかった。そのように蕎麦打ちをする流派があるのかは、今でも判らないが・・・。

蕎麦打ち (17)

2006-06-23 | 蕎麦打ち
打ち粉を多く使い、めん棒で表面を固めてしまえば、いい歯触りのするソフトな蕎麦など出来ることはあるまい。

ところで、蕎麦の表面を固めてしまうもう1つの要因に、めん棒の使い過ぎと使い方の問題がある。それには、蕎麦をくくりあげ1つの玉にした段階から、延しあげるまでの4つの全ての工程を検討していく必要がある。

まず「地延し」について。 
「地延し」とは1つの玉となった蕎麦を手で延していく工程である。ここは、めん棒を使わない。めん棒を使えば必然的に表面を固めてしまうのだから、この手で延す段階でできるだけ大きく延してしまうことだ。「地延し」の工程で、次の「丸出し」の工程までも済ませてしまうほど延してしまうのである。これにより、めん棒で表面を固めてしまう度合いは確実に少なくなる。

次の「丸出し」の工程は、次回検討することにしよう。

蕎麦打ち (16)

2006-06-22 | 蕎麦打ち
打ち粉についてさらに詳しく見ていこう。
私は、打ち粉を使う時期を2つに分けて考えたい。つまり、玉から延しあげるまでと、折り畳む時とを区別して考えたいのである。

折り畳む際、打ち粉をたっぷり使うがこれはある程度はやむをえないことと思う。ここで使用量を減らせば、蕎麦同士がくっついてしまう。
問題なのはそれ以前の段階で打ち粉を使いすぎることなのである。くくりあげたそば玉に、白くなる程打ち粉を使うのが問題であり、それに続く過程でさらに打ち粉を使いすぎるのが問題なのである。

この過程でどのような現象が生じているのだろうか。使われた打ち粉は、その役割を終えた後で回収される。しかし、全て回収されることはあるまい。打ち粉の一部は、蕎麦本体に吸着されるだろう。すなわち、打ち粉の一部は、蕎麦本体の表面に付着し、下から水分を吸収し、本体と一体化しようとする。表面は内部よりも水分が少ない状態となる。こうした状態において、めん棒(始めは手)で蕎麦に強い圧力が加えられる。強い圧力が加えられたならば表面はどのようになるだろう。

この帰結は容易に想像されよう。蕎麦の表面は、堅く堅く固められてしまうのである。

蕎麦打ち (15)

2006-06-21 | 蕎麦打ち
すでに、蕎麦はなぜ「切りべら」にするのかというとについて述べてきた。蕎麦を延すとき上下面が固められてしまう。その固められた上下面が少ない方が食感もよくなるし、茹で時間も短くなる。それゆえ、上下の面を短く切り面を長くするというのが理由であった。

さらに、固められる上下の面を始めから固めない方策を考えることも重要ではないか。
では、上下面がなぜ固められるのだろうか。それは打ち粉とめん棒、より正確に言えば、打ち粉の使いすぎとめん棒の使い方が原因である。

まず、打ち粉について考えよう。
打ち粉をなぜ使うのか。それは、蕎麦同士、蕎麦とめん棒、蕎麦と延し板、蕎麦と人間の手がくっつくのを防ぎ、作業を進め易くするために使うのである。蕎麦本体と打ち粉は全く異なる性質を備えている。例えば、蕎麦本体は粘りけがなければならないのに、打ち粉はそれがあってはいけない。また、蕎麦には香りがなければならないのに、打ち粉にはそれがない。すなわち、打ち粉は使わなくて済むならば、使わない方がよいのである。しかし、使わざるをえない。しからば、使用量は最小限にすべきだ。

こうした観点から考えれば、私がこれまで見たほとんどのプロの方が、打ち粉を使いすぎている。それは、片倉さんの『手打そばの技術』も高橋さんのNHKの蕎麦講座も、打ち粉を使いすぎている点では同じである。

蕎麦打ち (14)

2006-06-20 | 蕎麦打ち
さらに、蕎麦1本の断面を決めるのに次のことを進めた。

およその太さが判明したので、厚さを1.8mm、1.6mmと変え、自分で切って試食を重ねた。ただし、私には蕎麦を均一に切るのが難しいので、切り幅が同じくらいの「めん」を集めては、食べてみた。なお、この過程でくくり終え玉にした蕎麦の体積を毎回計量するのは煩雑なので、蕎麦粉の重さと玉の体積の関係を調べておいた。いろいろ考慮し蕎麦粉の重さに1.1を乗じた数字を玉の体積とした。一回に打つ蕎麦粉の量がまちまちの私には、今でも延しの大きさを決めるのに役立っている。

また、教えを請う意味で、高名な蕎麦店の「めん」の太さを測らせて頂いた。少し抵抗感はあったが、帰る際2,3本の「めん」を持ち出し店外で測った。これも本当に参考になった。
切り幅と言えば、江戸時代から1寸を23本に切る御定法があるが、これは参考にしないことにした。自分の感性で決めた方がいいと考えたからである。

こうして、蕎麦1本の断面は、切り幅1.4mm、切り面1.8mmが最適であるという結論に至っている。