蕎麦の世界は前回述べたように、「美味い蕎麦」なる観点からすれば、私には、後退しているように思えてならない。それでは、どうすればよいか。
高橋さんが、うまい玄ソバを求めて全国を行脚する以前に、長野の池田町でソバ栽培を行ったというが、その栽培を多くの人たちが行うことである。その際、何よりも大切なことは蕎麦の「味」の追求を第1にすることである。
ともすればありがちな、自分で栽培したから美味いなどという感情は排除し、冷徹に味を判断することである。また、専門家がいくら緻密に育種に取り組んでも、このソバの「味」を開発の中心に据えなければ少しの進歩も得られない。現在最高の品種とされている「常陸秋蕎麦」が、その原種となった金砂郷在来種よりも「香り」の観点で劣っているように。
私は、りんごの「ふじ」を好んで食すが、その開発者たちは「美味しい」りんごに至りつくまで、体調を崩すほど食べつくしたという。美味しい米の代表「コシヒカリ」は脆弱な倒伏耐性を持っていたにも関わらず、美味しい故に改良を重ね米の世界に確かな地位を築いているではないか。依然として、まだ倒伏し易いが。(コシヒカリの栽培が遅れ、それが広がりつつある私の地域では、倒伏している圃場の品種は、みなコシヒカリである。)
とにもかくにも、「美味い」という観点を開発の中心にしたソバの育種を行うことである。
蕎麦の世界で高橋さんが果たした役割は、多大である。私は、彼の功績として多くの弟子を育成したことなどが指摘されるが、最大の功績は全国を回り、美味い蕎麦を示し、とりわけ生産者達に美味いソバの栽培を促したことであると思う。これは、11月15日の記事の弟子屈町の事例からよくうかがわれる。
私はこの点は実に重要な意味を持っていると考えている。
蕎麦の世界の根本的変革は、美味い玄ソバを創ることしかないが、その1つの方向が育種であり、もう1つは、いい在来種を撤底的に選別し、しかも交雑しないように誠実に栽培し続けることだと思う。弟子屈町の例はこの後者の例である。おそらく、もう日本中で幾つしか残っていない本当にいい在来種を、その地域内だけで交雑しないように栽培を続けることの方が、一般的な意味の育種よりも有効なのかも知れない。もちろん、いい在来種は他のソバと交雑し、なくなりつつあるのが今の日本の現実ではあるが、私はより良い在来種の育成に期待をしたい。
朝日新聞11月15日付夕刊に、高橋邦弘さんの紹介記事が掲載された。こうした記事から、高橋さんが蕎麦界においてどれほど大きな地位を占めているかが伺える。私の周りでも、友人、知人達が、「あの店の蕎麦は高橋さんの蕎麦には及ばない。」とか「この店の蕎麦は高橋さんの蕎麦を超えている。」とか発言するのを耳にする。こうした発言は高橋さんの蕎麦の質の高さを認めての言い回しである。私も高橋さんの偉大さを認める。それでも、高橋さんを超えなければ蕎麦の未来はないと考えている。
幾つかの流れが並立する伝統的蕎麦店に蕎麦の未来を託すことはできない。多面的性格を持っていた片倉康雄さんを継承した、「蕎麦料理店」的行方にも、蕎麦道具への特段の関心も蕎麦の将来に何ら新たなものをもたらすようには考えられない。さらに、現在、東京を中心に花開いているいわば「小料理屋」的蕎麦店にも、一方、何時間もかける手引きの臼による蕎麦にも首をかしげてしまう。色彩選別機の広がりも生産者をバカにしているといえるだろう。それゆえ、生産者は真面目にソバを作ろうとしなくなるのではないか。また、ソバの脱皮をせず「丸ヌキ」を買い求め石臼製粉をすることをもって「自家製粉」という蕎麦店が広がりつつあるのが、蕎麦界の前進であるといえるだろうか。
美味い蕎麦が食べられることがますます難しくなっている。
私達が作製した3号臼は、上臼の重さ26kg、直径40cm、高さ8cmすなわち偏平率20である。この臼で接合部の長さ(臼の半径の直線上を外側から接合部を測った長さ)と圧力との関係は以下の通りである。
接合部の長さ 1cm: 圧力 212g/c㎡ (以下同様)
2〃 : 109〃
3〃 : 75〃
4〃 : 58〃
5〃 : 47〃
6〃 : 41〃
この数値をグラフに描けばより判り易いのだが、接合部の長さが短ければ圧力の値は極めて大きく、その長さが長くなれば次第に圧力の値の逓減傾向は小さくなる。おそらく接合部の長さは5cm以上のところが1つの選択肢になるのではないかと考えられる。
しかし、接合部の長さが短い方が粒子に及ぼす影響が好ましいことを重視し、さらに、次の2つの理由も加味し、もうすこし短くしようと思う。
① 私は、昨年このブログで書いたように、投入口から外側までのうち、「ふくみ」の部分の製粉上の役割を重視している。だから、「ふくみ」の長さを接合部の長さに対してできるだけ長くしたい。
② 私は、1度に多く量のソバを製粉することはない。そもそもこの圧力なる概念を導入したのは、石臼が熱を持ち易いか否かを見定めるためである。ソバを大量に製粉するのでなければ、圧力の値は少しは大きくても許容範囲内であろう。
結局、投入口から外側に向かい、「ふくみ」と接合部の長さの割合を2:1にしようと思う。3号臼は、投入口から外側に12.36cmであるから、接合部の長さは4.12cmすなわち約4cmにすることにする。
ちなみに、この3号臼は、上記の通り上臼の偏平率は20であり、圧力の値は約58g/c㎡となる。通常、これでは細かな粉を挽くことはできない。そこで大切になってくるのが目立てである。今は昨年書いた目立ての方法を超えたアイデアは浮かんではいないが、細心の注意を払い目立てに取り組んでみたい。
製粉された粉は、主に熱による影響及び粒子の大小と形状の2点によってその良悪が決まるであろう。この点に関して考えてみよう。
石臼の温度、特に接合部(すり合わせ部)の温度は、圧力の値が大きくなれば、それにつれて上昇していくであろう。であるならば、上臼の密度及び偏平率が一定ならば、接合部の面積が広い方が、圧力の値が小さくなるのでよい臼の条件に合致することになる。
次に、製粉された粒子の大小と形状について考えてみよう。機械製粉による粒子は、その大きさが均一でありまるい形状をしており、石臼製粉による粒子は、不均一で角ばった形状をしている。もし石臼の接合部が広ければ、粒子は何度も何度も上下の臼が接する台地の部分を移動し、次第に大きさは均一化され、まるい形状をしてくるだろう。こうなれば、石臼製粉による良さは次第に薄れ、機械製粉の粉に近づいてしまうだろう。すなわち、粒子の大小と形状の観点からは、接合部の面積は狭い方がよいことになる。
では、この相反する矛盾点について、根本的解決は不可能だとしても、どのような考えをもとに妥協点を求めたらよいのだろうか。
私が、上臼の偏平率というのは(上臼の高さ÷上臼の直径×100)により得られる数値のことである。この値が小さければ、上臼の「重さ」で、蕎麦の粒子を押し潰す割合が少ないので、良い臼となる。
しかし、偏平率が同一でも、接合部(すり合せ部)の面積により粒子に及ぼす影響は異なるだろうとの判断から、(上臼の重さ÷接合部の面積)により得られる圧力なる指標を考えた。
ただし、「臼の半径の直線で考えて、接合部の長さは3分の1位がよい」というような話を耳にするが、これに偏平率や圧力を用いてもあまり意味はないと考える。問題は投入口の位置をきめて、そこから臼の外側までの「ふくみ」と接合部の長さの割合をいかなる割合にするかである。
ところで、投入口の位置の決定と「ふくみ」の製粉上の役割の重要性については昨年ここで書いたので割愛する。
私達の3号臼は、投入口の位置が半径の直線の長さを1としたとき臼の外側から0.618のところに位置し、投入口から外への「ふくみ」と接合部の長さの割合が2.5:1である。この3号臼をもとに、偏平率と圧力の関係について次に考えてみたい。