蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

石臼・再(4)

2007-11-13 | 石臼

私達が作製した3号臼は、上臼の重さ26kg、直径40cm、高さ8cmすなわち偏平率20である。この臼で接合部の長さ(臼の半径の直線上を外側から接合部を測った長さ)と圧力との関係は以下の通りである。

接合部の長さ 1cm: 圧力 212g/c㎡ (以下同様)
       2〃 :     109〃
       3〃 :      75〃
       4〃 :      58〃
       5〃 :      47〃
       6〃 :      41〃

この数値をグラフに描けばより判り易いのだが、接合部の長さが短ければ圧力の値は極めて大きく、その長さが長くなれば次第に圧力の値の逓減傾向は小さくなる。おそらく接合部の長さは5cm以上のところが1つの選択肢になるのではないかと考えられる。

しかし、接合部の長さが短い方が粒子に及ぼす影響が好ましいことを重視し、さらに、次の2つの理由も加味し、もうすこし短くしようと思う。
① 私は、昨年このブログで書いたように、投入口から外側までのうち、「ふくみ」の部分の製粉上の役割を重視している。だから、「ふくみ」の長さを接合部の長さに対してできるだけ長くしたい。
② 私は、1度に多く量のソバを製粉することはない。そもそもこの圧力なる概念を導入したのは、石臼が熱を持ち易いか否かを見定めるためである。ソバを大量に製粉するのでなければ、圧力の値は少しは大きくても許容範囲内であろう。

結局、投入口から外側に向かい、「ふくみ」と接合部の長さの割合を2:1にしようと思う。3号臼は、投入口から外側に12.36cmであるから、接合部の長さは4.12cmすなわち約4cmにすることにする。

ちなみに、この3号臼は、上記の通り上臼の偏平率は20であり、圧力の値は約58g/c㎡となる。通常、これでは細かな粉を挽くことはできない。そこで大切になってくるのが目立てである。今は昨年書いた目立ての方法を超えたアイデアは浮かんではいないが、細心の注意を払い目立てに取り組んでみたい。


石臼・再(3)

2007-11-10 | 石臼

製粉された粉は、主に熱による影響及び粒子の大小と形状の2点によってその良悪が決まるであろう。この点に関して考えてみよう。

石臼の温度、特に接合部(すり合わせ部)の温度は、圧力の値が大きくなれば、それにつれて上昇していくであろう。であるならば、上臼の密度及び偏平率が一定ならば、接合部の面積が広い方が、圧力の値が小さくなるのでよい臼の条件に合致することになる。

次に、製粉された粒子の大小と形状について考えてみよう。機械製粉による粒子は、その大きさが均一でありまるい形状をしており、石臼製粉による粒子は、不均一で角ばった形状をしている。もし石臼の接合部が広ければ、粒子は何度も何度も上下の臼が接する台地の部分を移動し、次第に大きさは均一化され、まるい形状をしてくるだろう。こうなれば、石臼製粉による良さは次第に薄れ、機械製粉の粉に近づいてしまうだろう。すなわち、粒子の大小と形状の観点からは、接合部の面積は狭い方がよいことになる。

では、この相反する矛盾点について、根本的解決は不可能だとしても、どのような考えをもとに妥協点を求めたらよいのだろうか。


石臼・再(2)

2007-11-06 | 石臼

私が、上臼の偏平率というのは(上臼の高さ÷上臼の直径×100)により得られる数値のことである。この値が小さければ、上臼の「重さ」で、蕎麦の粒子を押し潰す割合が少ないので、良い臼となる。

しかし、偏平率が同一でも、接合部(すり合せ部)の面積により粒子に及ぼす影響は異なるだろうとの判断から、(上臼の重さ÷接合部の面積)により得られる圧力なる指標を考えた。

ただし、「臼の半径の直線で考えて、接合部の長さは3分の1位がよい」というような話を耳にするが、これに偏平率や圧力を用いてもあまり意味はないと考える。問題は投入口の位置をきめて、そこから臼の外側までの「ふくみ」と接合部の長さの割合をいかなる割合にするかである。

ところで、投入口の位置の決定と「ふくみ」の製粉上の役割の重要性については昨年ここで書いたので割愛する。
私達の3号臼は、投入口の位置が半径の直線の長さを1としたとき臼の外側から0.618のところに位置し、投入口から外への「ふくみ」と接合部の長さの割合が2.5:1である。この3号臼をもとに、偏平率と圧力の関係について次に考えてみたい。


石臼・再(1)

2007-10-28 | 石臼

蕎麦の仲間と2004年に作製した3号臼も、もう3年が経過する。使用頻度は少ないのだが、さすがに、接合部(すり合わせ部)の摩滅も進んでいる。急ぎではないのだが、目立てをしようと考えている。

それで、10月に入ってから、三輪茂雄先生の本『臼』、『粉の文化史』、『石臼探訪』を再読している。先生の著作に啓発されたこと、昨年このブログに書いたことなどをもとに最近考えたことについて書いてみたい。

ごく大雑把にいえば、ソバは、下臼と回転する上臼との間に挟み込まれて粉になる。
上臼が一定の速度で回転してしまえば、粉砕能力は、上臼の重さが重ければ重いほど、高まる。しかし、単に重い上臼によって押し潰しただけでは、粉になった粒子の大きさや形も、重い上臼なら発生し易い熱などの影響からも、いい粉が得られることはないだろう。
軽い上臼でも挽ける臼の方が良いのではないかと考え、昨年、このブログで上臼の偏平率や圧力などの指標を考えてみた。
次回、この指標について再考してみたい。



石臼 (43)

2006-06-03 | 石臼
これまで石臼づくりで重要なポイントを述べてきた。
最後に、友人のNBさんより教えられた1つの大切な点を付加しておきたい。

石臼は性能のよい優れた臼を作って、余裕をもって使うのがよいということである。
20メシュの篩で90%の歩留まりの粗挽き粉がほしいとしたら、それを満たす石臼を作ればよいのではない。例えば、40メッシュで90%の歩留まりの蕎麦粉が得られる石臼を作ることだ。そうすれば、より多くのソバが投入できる。その結果、上下臼の間には、特に熱の主な発生源である接合部には、より多くの粒子が挟み込まれて、熱の上昇を防いでくれる。これによって蕎麦の香りの損失を減少させることができる。だから、精巧で緻密な石臼を作ることが決定的に重要なことなのだ。

最後にまとめの意味でよい石臼の条件を箇条書きしておく。(「石臼」の第11回の条件をさらに発展させたものである。)
① 上臼の偏平率を20%あるいはそれ以下にすること。
② 目立て(台地の部分を粗面にすること)を完全にすること
③ 粉が臼内に留まる時間を出来るだけ短くすること
④ 乾燥率が18%の玄ソバでも挽けること
⑤ メッシュ60の篩で95%の歩留まりも可能なこと

次回からは「蕎麦打ち」について述べていきたい。




石臼 (42)

2006-06-02 | 石臼
私は、「目立て」の本質を、前回まで述べてきたように考えているのだが、この国では「目立て」あるいは石臼について重大な誤解が存在する。今回はその問題について検討してみる。

三輪先生の目立ての引用文の中に「微妙な粗面」という言葉がある。この粗面は石材の世界ではビシャンという。このビシャン仕上げには、同じ呼称のビシャンというハンマーを用いる。このビシャンは小さなピラミッド状の突起が打面に並ぶハンマーである。これで、臼面を正確に叩けば、小さな窪みができる。これは切れる臼の「目立て」ではない。「粗面」=「ビシャン」=「ハンマーのビシャンで叩くこと」というのは大きな誤りである。

石臼の世界で以前より理想的な臼石として「蟻巣石」(安山岩)が神話の如く語られている。これは小さな穴あるいは「ウロ」があるために、熱を持ちにくいというのが、その主張の最大の根拠である。しかし、「ウロ」がある石で精巧な目立てができるだろうか。副溝に沿って小さな傷跡を残すことが「目立て」の最大のポイントであるはずなのに、「ウロ」があってはまともな「目立て」など出来まい。私には不可能としか考えられないのである。

その上、逆ではないかと思えてしまう点がある。小さな穴、「ウロ」があっては熱を籠もらせてしまうのではないか。登山家の衣類や一般の下着にも空気を留めおく部分をつくり、熱を逃がさない工夫をしているではないか。

私は、臼には安山岩のような火山岩ではなく、深成岩の方が適していると考えている。なぜならば、深成岩はマグマが地中深くでゆっくりと冷え固まるために、等粒状組織を持つからだ。

目立てについての誤解や理解不足があまりにも多い。今まで指摘した他にも重大な問題がある。目立てのことを再考することから、石臼作りを改めて始めることが必要ではないかと、私は考える。

石臼 (41)

2006-06-01 | 石臼
コヤスケで台地をどう叩けばよいのか。

まず、粒子が掻き上げられる側の3分に1程に、次の3つのことを行うことだ。
第1に、台地の角を少し多めに叩き、わずかに下げ粒子が噛み込まれ易くすることである。
第2に、粒子が掻き上げられる側の斜め上方から、コヤスケを打ち下ろすことである。こうすると、臼面に出来た「刃」が蕎麦の粒子に鋭く向かうことになる。
第3に、副溝に平行でなく少し角度をつけて、コヤスケを叩くことである。狙いは2つめと同じである。

台地の残り3分の2は、コヤスケを真上から副溝に平行にして打ち下ろし、まさに切れる臼面を作るようにすればよい。

目立てがよくできているか否かを判断するには、台地の表面を指の腹でそっと撫でてみる。ざらざらと、ひっかかりがあればある程よい。副溝に沿って撫でる時よりも、それに直角に撫でる時の方が、よりひっかかりが多いと感じられるのがさらによい。

台地にこのような目立てをして始めて、「石臼」のはじめで述べた、上臼が平たく軽くできる。すなわち、上臼の偏平率が20%でも、丸くない、角ばった、大小様々な細かい粒子からなる蕎麦粉が得られるのである。これが理想の石臼である。

石臼 (40)

2006-05-31 | 石臼
私は、臼の台地を叩くとき、コヤスケを使う。前述したように、これは打面が「一」文字の形をしたハンマーである。私が使うコヤスケは合金製でもないため、すぐに「先」が潰れてしまう。そこで、ディスクグラインダーで再び元の形にして使う。削り直すたびに使うのは、「一」文字の両端である。握っているハンマーの柄の方を高くするため、臼面の上にできる痕跡は、細長い二等辺三角形である。

ある時それでは好ましくないと考えて、コヤスケを斧の刃のように削った。これで台地を叩くと斧の刃の形の痕跡が残る。これをほんの少しずつ前後左右にずらしながら叩くと、逆に無数の斧の刃が上に向かった台地となる。それは、洋食で使うナイフとフォークのナイフの刃先が、縦にして下から真すぐ上に向けられ、その刃が無限に並べられたようなものになる。

こうしてできた上下臼の鋭い「刃」で蕎麦の粒子を挽けば、粒子は押し潰されるのではなく、切られていく。この切られていくのが最も大切な点である。
石臼とは、上臼の重さで材料を押し潰していくのではなく、台地面の「目」で切っていく「道具」なのである。

では、斧の刃のようなコヤスケでどう叩いたら最も効果的なのか。

石臼 (39)

2006-05-30 | 石臼
前回の三輪先生の「目立て」についての引用部分の検討から始めよう。
まず、前半は台地の部分をどのように加工するかということであり、後半はそれによりどのような結果が台地にもたらされるかである。

それでは、前半からである。
まず、「山の部分を全面にわたってたたく」という語句には、どのような道具を用いてたたくかの記述がない。先生の本・『臼』の前後関係から容易に判断できるのだが、「たたき」(打面が一文字の型をしたハンマー)でたたくということである。だから、そのすぐ前で「線がつくように」という言葉が盛り込まれているのである。「たたき」で副溝にそってたたけば、短い線の痕跡が台地に残る。

そして、後半の「微妙な粗面」という表現から、「たたき」による短い線の痕跡は台地のあちこちに見られるようなものではないだろう。無数の短い線の痕跡とならなければ「微妙な粗面」という記述にはならないだろう。だから、「目立て」とは、副溝に沿って、「たたき」で驚く程の回数をたたくことであると、三輪先生は言っているのだと考えられる。それゆえ、先生は「目立て」が英語ではdressingであるが、この英語表現の方が「よく内容をあらわしている」と記述しているのだ。

以上のように三輪先生の「目立て」を理解した上で、いい臼を作るには、この「目立て」の考え方をどのように発展させればよいだろうか。

石臼 (38)

2006-05-29 | 石臼
③ 臼面の加工について

目立ての最大のポイントに進むことができた。
それは台地の部分に小さな傷跡(不正確だが今はこう表現しておく)を残すことである。この目立ては、今まで述べた全てのことより遙かに重要である。私が石臼について考えることのほとんど全てが、この目立てについてである。しかし、依然満足いく所まで至っていないが、今まで考えてきたことを順次述べていきたい。

石臼作りで避けて通れないのが三輪先生の業績である。そして、石臼作りの最大のポイントである目立てについて先生から学ぼうとすれば、先生の『臼』という著作に自ずから行きつく。この『臼』の目立ての記述を通らずに「まともな」臼はできない。すでに引用したのだが、その書には次のような記述がある。

「副溝の方向に線がつくように、山の部分を全面にわたってたたく。そのときにできる臼面の微妙な粗面が粉砕効果を高める。」(『臼』p.147)

以上が三輪先生の目立てについての核心の説明である。次回から、この文が言わんとすることの意味を十全に理解することから考察を進めよう。