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蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

今年出合ったいい宿 美味い店

2011-11-30 | 食・旅

やどは小さくて、食事が美味しいのがいい。

 

今年は、2つのいい宿に泊まることができた。1軒は、すでに書いた「旅舎右馬允」(長野、大鹿村)であり、もう1軒は西伊豆の松崎町にある民宿「海徳丸」である。

 

「海徳丸」はタイミングが良くないのか何年か前からの予約の電話で、3回目に予約が取れた。しかし、それも今年の3月の地震で宿泊が不可能になってしまい、やむを得ず宿の空いている日に合わせて宿泊日を決めた。

ここの夕食には、極上の味のメインデシュがいくつも出てくる。伊勢海老のお造り、伊勢海老のアメリケーヌソース、アワビのお造り、平目の昆布〆、鯛の塩焼きなどどれもいい。この宿の「代表作」となっている伊勢海老のアメリケーヌソースは文句なく美味かったが、平目の昆布〆の美味さが突出していた。本当に料理がいい宿である。

 

数年前に宿泊した能登の「さんなみ」は、私が最も好みの小さくて料理の美味しい宿だったが、この宿は今年の3月で40年に亘る営業を終了してしまった。実に残念である。

 

 

美味しい店で良かったのが、前回書いた「菊寿し」(長野県)と伊豆下田の干物屋・「万宝」である。

 

「万宝」は、干物を販売もするし、またその場で御主人が焼いて食べさせてもくれる。その場で食べる場合には、食物も飲物も店で販売していないので、希望で客が持ち込む。この店は、干物そのものもよいのだが、何よりも御主人の焼き方がいい。よく「遠くの強火」というが、これを忠実に守って焼く。私は、御主人が沼津港にあがるメヒカリの中で一番大きいものを仕入れてくるというメヒカリが一番よかった。これは、これまで食べた干物の中で、間違いなく最上の味であった。

 

今年は、いい宿2軒と美味しい店2店に出合った。


「菊寿し」(長野県飯綱町)

2011-11-26 | 食・旅

長野に行った最後に「菊寿し」を訪れた。

 

蕎麦を毎年食べに来てくださり、その年のソバの出来不出来を正確に指摘してくださる方がいる。その方に、昨年末、この「菊寿し」の存在を教えていただいた。長野の山間の町にあるのでいささかの疑念を抱いて、今年の春金沢へ行った帰りに初めて立ち寄った。

 

間違いなく一級の寿し店である。その質の高さに驚嘆した。全国から選りすぐりのネタを集めているようで、ほぼすべての魚に満足した。この時は、桜鯛が特によく、あの鯛のいい匂いがした。夏にも行った。相変わらず全体にネタのレベルは高かったが、突出するものはなかった。

 

先日が3回目の訪問であった。今回は前2回よりはるかに良かった。ほうぼう、鯛、いか、鯵、金目鯛、貝等どれもこれも楽しめたが、ウニ、みそがのった甘えびが、とりわけ、気にいった。極めつけは、ご主人が「庄内ガニ」と言っていたズワイガニである。本当にいい旨みがあった。

 

ここではいつも「おまかせ」をいただくのだが、驚くべきことに値段が3150円の設定である。


長野へ

2011-11-23 | 食・旅

今日、長野に行ってきた。

ここ数年、1年に1回くらいは、長野の須坂、小布施辺りに行く。

 

まず、須坂長野東インターのすぐ近くにある中村醸造場の売店で味噌を買った。昔ながらの製法で誠実に造っているというここの味噌が舌に合って、もうしばらくの間食べ続けている。今の季節限定のものは、送ってもらい食べているので通常販売しているものを購入してきた。

 

須坂の遠藤酒造の「どむろく」(おりの入った酒)は、特殊な「栓」を使って、酒が生きたままの状態で楽しめるので好みの酒で、購入した。今年、こうした「栓」を用いた本当に生の酒を、地元の酒造メーカーでも販売しているのを知った。

 

今はりんごの季節であり好きな果物なので、須坂と高山村の選果場を見てみた。去年はサンフジの「特秀」などがあったが、いいりんごはなかった。今年はいいりんごは少なく、贈答用などにすべて出回ってしまったのだろう。

 

ところで、りんごといえば、今月の初め、大鹿村「旅舎右馬允」へ泊りに行った際、長野のもう1つのりんごの産地である松川町のりんご園を回って来た。水はけのよさそうな少し傾斜がきつい所にある5つの農園に立寄った。それぞれで少しずつ買ってきたが、満足できるものはなかった。

 

小布施で、『栗の木テラス』のモンブランを、「桜井甘精堂」で栗おこわを買い求めて食べた。新栗が出るとこの2つはどうしても食べたくなる。相変わらず両方とも美味であった。

 

その後、小布施を後にして、「菊寿し」(牟礼駅近く)に向かった。


「旅舎右馬允」泊(3)

2011-11-19 | 食・旅

そもそもこの宿に泊まることにしたのは、料理の評価が高かったからである。

料理のコンセプトは、「地」のもの、すなわち南アルプスの懐に抱かれた山里の様々な食材を使い、「創作」和食に仕立てるというものであった。その料理は、申し分なく美味しいものであった。

 

到着時に出された、栗の茶巾絞りの美味さに驚嘆した。ほど良い甘さの中に感じられる渋みが、栗たらんことを見事に示している逸品であった。なお、これはお祖母さんの手によるものだという。

 

夕食には次のものが提供された。先付プレート、小鉢3つ、岩魚の塩焼き、茶碗蒸し、岩魚のカルパチョ、五平餅、合鴨の石焼、雉鍋、蕎麦、香のもの、デザート。どれも質の高い美味しい料理であった。とりわけ、岩魚の塩焼きには、今まで川魚では味わったことのないふくよかな美味さを感じた。

 

一方、あえて言えばなのだが、私には物足りなかったのがメインの雉鍋であった。鍋の美味さは、1つにはつゆにあるが、あの雉のいい匂いがもう少しほしかった。これは、雉料理の専門店を営んでいる友人の雉鍋のつゆが、濃厚で雉のいい匂いがしっかりするので、それに食べ慣れてしまっているからかもしれない。

最後に出された蕎麦は、北海道の新蕎麦だそうだが、これは蕎麦粉そのものがよいものではなかった。

 

私達が宿泊した日は、私達2人のみであった。にもかかわらず、完璧な準備のもとに歓迎してくれる。料理にもどのくらい時間をかけているだろかと考えてしまうほど丁寧な仕事が施されていた。

この「旅舎右馬允」は、小さな宿の良さが余すところなく感じられる、おそらく日本でも稀有の宿ではないだろうか。

 


「旅舎右馬允」泊(2)

2011-11-16 | 食・旅

館内に通された。

ここは、1階2部屋、2階3部屋で基本的に1日2組限定の宿である。当日は私達だけで2階の部屋に案内された。部屋を見た瞬間から、そのたたずまいが気にいった。よく見れば、壁にしみのあるところなど完璧というのではないのだが、どこまでも自然なたたずまいのする部屋なのだ。

 

外に目をやれば、時節柄大きなもみじの木が、真っ赤に紅葉している。見事である。もみじのある庭はきれいに手入れが行き届いたものではなく、自然に草木が生い茂っている。部屋も周りもあるがまま自然に存在しているといった風情が感じられる。

 

事実、滞在中テレビはほとんどつけることがなかった。私達は、自宅ではもちろんのこと旅先の宿でもテレビはよくつけている。それが、帰るときになって、時刻を見ようとテレビをつけた時、「テレビはつけなかったね。」と話しあったほどである。「テレビ」の毒に日々どっぷりつかっている私達の意識の中に、前日の3時から帰るまでその存在はなかった。

 

「テレビ」は日常性の象徴として述べている。この宿には、「あるがまま」(「自然」)の中で、すべてを忘れさせて包み込んでくれる癒しの空間がある。


「旅舎右馬允」泊(1)

2011-11-12 | 食・旅

この数年短い旅に出る目的は、行きたい場所がある場合と宿泊したいところがある場合の2つになってきた。

 

前者の場合には、旅の雑誌やサイトで良さそうな宿泊施設を探す。だから、旅館、ホテル、民宿など様々な施設になる。後者の場合には、もちろん宿泊先は決まっている。前者の場合は言うまでもなく、前から決めておいた良い宿泊施設だと思っていた後者の場合でも、その宿泊施設で充分満足が得られることは限らない。むしろまれだと言った方がよい。

 

先日長野に行ったのは、長らく泊まってみたいと思っていた「旅舎右馬允」があったからである。この宿は、原田芳雄さんの遺作となった「大鹿村騒動記」で話題となった南信州の大鹿村にある。

 

宿の駐車スペースに着くと、当日の雨で少しぬかるんだところもあり止める場所を微妙に選ぶようであった。そこから、落ち葉があちらこちらに散らかっている階段を下りて玄関にまで進む。ここまでで少し期待を裏切られたかの感を抱いた。

 


木曽「おぎのや」訪問

2011-11-09 | 食・旅

先日の日・月で木曽と南信州に行って来た。木曽は初めてで、奈良井宿と薮原宿に立ち寄った。木曽には実に沢山の蕎麦店がある。サイトで少し調べて、薮原の「おぎのや」さんに行くことにした。

 

店は、口コミで地図の位置と異なるとあったので注意して行ったが、やはり判り難く近くから電話をかけてたどり着いた。古民家を改装した店内は、とてもよい雰囲気であった。ご主人は、高橋邦弘さんのもとで修業したとのことなので、久しぶりに「翁・達磨」系の蕎麦をいただくことになった。

 

「翁」系よろしく、メニューは少なくあの「ざる」で器は丸山さんのものであった。私はざる2枚、家内はかも南蛮を注文した。そばきりの「めん」は、私が食べたどの「翁」系のものよりも細かった。私は、蕎麦店の「めん」は総じて太すぎると感じているが、これでは細すぎる。

 

細すぎると何がいけないのか。

蕎麦は至極丁寧に、しっかり練られているのであろう、出されたばかり蕎麦は、口に入れ噛むと細いのにも関わらず歯ごたえがある。残念ながらこれは練りすぎからくる硬さなので、いい意味の「コシ」ではない。しかし、ひとたぐり、ふたたぐりしているうちに、細すぎるために「めん」に力がなくなってしまい、1本1本の「めん」が死んできてしまう。

 

かも南蛮にもこの「めん」を使っているので、温かい蕎麦の中では「めん」はさらに問題が大きくなる。また、かもの肉のにおいが強すぎる。もちろん、あのにおいがしっかりあるからよいのだという意見もあろうが、私は強すぎてはいけないと思う。油を抜くなどの処理をして、使ったらどうだろう。

 

私は蕎麦で最も大切なのは香りだと考えているが、香りはほとんど感じられなかった。

 

高橋さんやそのお弟子さんたちの蕎麦を(この「おぎのや」さんの蕎麦を含めて)、私は高く評価するものであり、現在の蕎麦界の頂点の1つであると考えている。


長野へ  「せきざわ」訪問 (2)

2009-10-24 | 食・旅

小布施の農園で今年のル・レクチェの収穫状況などを伺った。その結果、11月初旬に引き渡していただけることになった。ル・レクチェは収穫後相当長い追熟期間がないと、最高に美味しくならない。私にはその期間が何日ぐらいなのかわからないが・・・。

その後、小布施に店を移転した「せきざわ」を訪ねた。群馬の箕輪町にある時に一度伺い今回が2回目である。

蕎麦の世界では、しばらく以前に、他から提供されるそば粉に満足できなかった先鋭的なそば店が自家製粉の道に進んで行った。当初は、玄ソバを仕入れてそれを脱皮し、備え付けた石臼による自家製粉がその初期の形態であったが、最近は丸抜きを仕入れての自家製粉が主流になっている。これら両者のそば店が、現在最も美味しいそばを提供している。

ところで、他から提供される玄ソバに納得ができなければ、その先には自家栽培しかないだろう。様々な栽培法を試みて優れた品質のソバを得たそば店こそが、次の時代の蕎麦の門戸を開くことになると考えるのは、必然である。もう、先には栽培しかない。

「せきざわ」は、パンフレットによれば、この自家栽培の店である。私は、何よりも自家栽培の店を評価する。それゆえ、「せきざわ」には大きな期待を抱いている。

「せきざわ」で注文したのは「三昧そば」である。生粉打ちと変わりと荒挽きが盛られていた。生粉打ちは実にいいコシをしていた。太さも練りぐあいも申し分なくソフトな噛みぐあいである上に、めん一本一本がしっかりとしていた。これほどのいいコシのそばは他の店でもそう食べていない。唯一問題であったのは、めんが「ぬるっこい」ことであった。充分に冷たい水を使ってほしい。ぬめりも取りきれていなかった。それなのに、つゆは冷たく、器までも冷やしってあったのはなぜだろう。
変わりそばには、私は関心がない。
荒挽きは、太すぎて、コシがきつくとても評価できない。現在そばの世界で、一つの潮流となっている荒挽きそばは、粒子を大きくすることによってそばの香りをより多くかもし出すことにある。残念ながら「せきざわ」の荒挽きそばには香りが感じられなかった。すなわち、荒挽きそばにする意味がない。もちろん、生粉打ちにも香りがなかった。

私は「三昧そば」を注文したのだが、自家栽培を標榜するのであるならば、伝統的なこのような盛り合わせにするのではなく、自家栽培のそば粉のそばと他から入手したそばを盛り合わせにするとか、自家栽培のそばのうち異なる畑で栽培したそばを、さらには異なる肥料のそばを盛り合わせにするとかしたらどうだろうか。自家栽培をしているならば、そばの味がめっぽう正確にわかる客には、うきうきするような方法がいくつもあるのではあるまいか。

私は、自家栽培にまで至ったそば店には、大きな可能性があると考えている。「せきざわ」は、伝統的なそば店の枠組みから脱皮してほしい。


長野へ  「せきざわ」訪問 (1)

2009-10-13 | 食・旅

10日の土曜日に長野へ行ってきた。

まず、須坂市にある中村醸造場で、いつも食べている味噌を購入した。そして、11月に季節限定で販売する味噌を予約した。味噌はこの蔵ともう1つの蔵の味噌を食べているが、最近はこの蔵のものを食べることが多くなった。

次に長野県果樹試験場が、この日に一般公開するということなので訪れてみた。さまざまな側面から試験場を紹介しようとする企画であった。試食コーナーでは、りんごやぶどうなどの何種類もの試食品を提供していた。ぶどうではこの試験場で開発された「ナガノパープル」が多くの見学者の注目を集めていた。巨峰もピオーネもあったが、私もこの「パープル」が最も良いと感じた。
ぶどうと言えば、私は30,40代のころぶどうを比較的よく食べていた。勝沼の「土屋ナーサリー」のピオーネが好みで、私にとってはそれが極上で毎年楽しんで食べた。以来すべてのぶどうでそれ以上のものは食べていない。「パープル」は、味と肉質において私が好んで食べていたピオーネには及ばない。
ピオーネの名づけ親で育成に大きな役割を果たした土屋先生が亡くなってからは、次第に勝沼への足が遠くなり、ぶどうを味わうことも少なくなった。

私は、果物ではりんごを一番多く食べるが、最近はプラムと西洋ナシを好んで食べる。プラムは、いわばプラムという範疇を超えた「貴陽」という品種を開発されたTさんのプラムはとびきり上等で、毎年7月末ころに楽しんで食べる。西洋ナシでは、ル・レクチェが好みで、新潟の「中村観光果樹園」のものが最上だ。

このル・レクチェを栽培している農園を昨年小布施町で見つけ購入できたので、次に小布施のその農園に向かった。



「ミシュラン」の蕎麦店の評価は?

2008-12-05 | 食・旅

「ミシュラン」では、蕎麦店の最も高い評価は星1つで、「翁」、「古拙」、「六本木 竹やぶ」、「ほそ川」の4店を選定している。私は「翁」を除く3店の蕎麦を食べた。

「ミシュラン」は星数の基準を「素材の質、料理の技術とセンス、風味の調和と明快さ、献立のバランスなど・・・」と謳っている。
あくまでも蕎麦店の中心はせいろ蕎麦であるので、この基準をせいろ蕎麦にあてはめて考えれば、蕎麦の良し悪しが正しく判断できると私も思う。しかし、私が食べた3店の蕎麦は、今迄書いたように「ミシュラン」の基準から大きく隔たっているように思われる(「ほそ川」は昨年書いた)。なぜこうしたことが起きるのか私にはわからないが、少なくとも選定基準と選定された蕎麦店は一致していない。

私は、「ミシュラン」の蕎麦店の選定は、蕎麦そのものよりも料理店志向の強い店に傾いているように感じられる。それは、星のついた店を訪れれば、さらにそのメニューを見れば明瞭である。また、「ほそ川」は、埼玉の吉川町から東京に移転してきた。その理由は、私には真偽のほどは判らないが、築地に近く新鮮なネタが入るからだといわれる。蕎麦店ならば、良い玄ソバを求めてその産地に移転していくのが理にかなっているのではないか。「ふじおか」が三重から黒姫に、「慈久庵」が東京から茨城に移ったように・・・。なぜ間違った方向に進んでいるそば店を選ぶのだろうか。

料理店的志向が強いという3つ目の理由は、「ミシュラン」に掲載されている「竹やぶ」の写真である。蕎麦店「竹やぶ」を紹介する写真に、蕎麦の写真ではなくなぜ天ぷらのそれを使うのか。些細なことに思われるこの一点が、「ミシュラン」がどちらの方向に目が向いているかを如実に物語っている。「ミシュラン」が選ぶ蕎麦店は「和食」の範疇にでもいれたらどうだろうか。

私は、せいろ蕎麦の良し悪しで蕎麦店の評価をすべきであると考える。「ミシュラン」のような権威ある食に関する案内書の評価は絶大である。確かな「舌」をすでに持っている人は別であるが、蕎麦の初心者や外国の人にとっては「ミシュラン」は誤った導きの書になるのではないかと私は恐れる。