蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

石臼 (10)

2006-04-30 | 石臼
石臼を受け取ると、「平滑周縁型」の目のパターンを薄い紙に描き、臼面に貼り付け、NBさんと私は、主溝と副溝を掘った。そして、コヤスケ(打面が「一」文字の形をしたハンマー)で台地の部分を丹念に丹念に叩いた。NBさんが、一台目の経験をいかして、組みあげていった。

試し挽きすると、粉が出てこない。これはどうしたことか。上臼を持ち上げてみると、上下臼が接触する周縁部の手前で粉が止まっている。いいと直感してあれほど期待していたのに・・・。周縁部はあれほど丁寧に叩いてきたのに・・・。どうしたことか。唖然とした。思案した挙句、「刻み周縁型」にすることに変更した。溝がなかった周縁部に細い溝を数多く掘ったのである。これも粉が上手く排出されなかった。結局、諦めて半ばやけになって通常の八分画にしてしまった。(この経験は、後の私の石臼に対する考察を深化させる大きなきっかけとなった。)

しかし、出来上がった石臼で上々の粉が得られた。蕎麦粉のみで打つのがさらに楽になった。全く始めての人でも打てた。この臼は、15年たった今でも使っている。

石臼 (9)

2006-04-29 | 石臼
目立てを一度もしたことがないのに、自信があったのは、三輪先生の本を読んだからである。

先生の『臼』という本には、「副溝の方向に線がつくように、山の部分を全面にわってたたく。そのときできる臼面の微妙な粗面が粉砕効果を高める。」とあった。目立てとは、溝を掘ることだけではなく、むしろ山あるいは台地の部分に小さな傷跡をつけていくことだと判った。これで、なぜソバの実が石臼の中で次第次第に小さく砕かれ、微粉化されていくかのメカニズムも理解できた。臼面を、丁寧に丁寧に叩けばよいと理解した。

目のパターンは、「生活文化研究所」で決めていた。抹茶臼として知られている周辺部に溝がない「平滑周縁型」にすることにした。しかし、ここに問題があった。


石臼 (8)

2006-04-28 | 石臼
三輪先生の手紙の日付が1991年9月9日で、石材会社より石臼の引き渡しを受けたのが同年の12月9日であった。その間ちょうど3ヶ月間であった。

見積もりなどのやり取り、石臼の作製期間などがあったので、どのような石臼にするかを考案する期間は長くはなかった。まずは、三輪先生の石臼に関する数冊の本を仔細に読んだ。実に楽しかった。先生の本、「生活文化研究所」の解説、2つの石臼メーカーの見学などから得られた情報をもとに、石臼の形状を決定した。設計図を描き、目立ては自分達でする旨書き添えて石材会社に手紙を送った。そして、引き渡しを受けたのが12月であった。

もっとも重要な目立てに関しては、それまで一度も目立てをしたこともなかったのに、三輪先生の書物を読んだので、なぜか自信があった。




石臼 (7)

2006-04-27 | 石臼
三輪先生からの手紙には、先生の著書名のリストの他に、東京に在る「生活文化研究所」で石臼に関する情報が得られるとあった。

すぐ手に入る本を一通り読み、研究所に出向いた。そこにある大小様々な、用途により異なる様々な多くの石臼について、研究員の方が丁寧に説明してくださった。石臼作製のポイントについても伺った。さらに、「最近、神奈川県のある方(偶然にも私の学生時代の友人と親交がある方であった)が、「稲田石」(茨城県)で石臼を作製したので、連絡してみたら」と勧めて下さった。

その方に連絡すると、精巧な製品を作るという「中野組石材工業株式会社」(東洋一の採石場をもつ巨大石材会社であった)を紹介された。同社に連絡すると、副社長が設計図を送ってくれといった。
幸運な線が先へ先へと伸びていくのを感じた。

石臼 (6)

2006-04-26 | 石臼
古い石臼を電動化し、製粉が自由に出来るようになっても、石臼作りを止めなかった。半年あるいは1年もしないうちに、全く新しい石で電動の石臼を作製した。

なぜ次の石臼に向ったか思い出せない。電動化した古い石臼でも、それなりの粉は挽けた。蕎麦粉だけで普通に打てた。だから、挽ける蕎麦粉に不満があった訳でもなかった。蕎麦について様々なことが判ってくるのが面白くて、NBさんと酒を飲みながら盛り上がって、もう1台作ってみようということになったのかもしれない。先日、NBさんにこのことを確認したが、彼も何でだろうと訝しがっていた。

全く新しい石臼を作るには、私達の知識は絶対的に不足していた。石臼について学ぶ必要があった。当時、粉体工学の第一人者としてテレビに出演されることがあった三輪茂雄先生に、「石臼を作りたいゆえ、先生の著作名をお教え下さい」という内容の手紙を書いた。先生の住所を知らなかったので、同志社大学工学部気付 三輪先生宛で手紙を送った。嬉しいことに、突然の不躾なお願いにもかかわらず、しばらくして先生から手紙が届いた。この手紙が、間違いなく石臼理解と作製への大きな第1歩となった。手紙には、先生の著作の一覧だけでなくあるサジェスチョンが記されていた。














石臼 (5)

2006-04-25 | 石臼
NBさんが見つけてきた3台の石臼のうちの1つにモーターを取り付けることにした。駆動系とソバの供給系をどうするかであった。

始めに、モーターの回転速度をどう落とすかが問題だろうと思案したが、取り越し苦労であった。モーターの専門店で相談したところ、ギィアが組み込まれたモーターがあったのだ。1分間に15回転するモーターを手に入れた。このモーターの回転軸に石臼の心棒を直接電気溶接すればよかった。

問題であったのは、ソバの供給系であった。私など何の役にも立たず、工夫に長けているNBさんが鉄工所の社長と、試行錯誤しながらなんとか作り上げた。洗面器と漏斗を組み合わせるなど、手作り然とするものであったが、驚くほど一定の割合でソバが落ちた。

これで、脱皮機と併せて、製粉が自由にできるようになった。

石臼 (4)

2006-04-24 | 石臼
NBさんと二人で石臼メーカー2社を見学したが、当時他にどのような石臼の製作会社があるかなど知らなかったが、もうそれ以上新しいメーカーを見学しようとは考えなかった。先は見えていなかったが、自分達で電動の石臼を作ろうとした。
しかし、今となって振り返れば、これが幸運なことであった。

電動の石臼を作ろうとしたのには、本質的なことではなっかたがもう1つ理由があった。私の実家が新築し、お世話になった方々へのお礼の会が開かれた。そこで100人前程の蕎麦を用意することとなった。12,3キロのソバを、確かNBさんと友人のTNさんと私で、上臼の厚い重い石臼で挽いた。大変な労力を要した。臼を回しながら、これが自動で動いたらと何度も思った。

自分達で石臼の電動化を進めるしか、道はなかった。


石臼 (3)

2006-04-23 | 石臼
その後、やはり「抜き」を携えて次の石臼メーカーを訪れた。

今回の石臼は、外側から見る限り、前の石臼よりも遙かに精巧で緻密にできていた。例によって、持参した「抜き」を石臼にかけてもらった。すると、粉が上手い具合に石臼から排出されなかった。おそらく特別な理由があったのであろう。「抜き」の乾燥具合が不足していたか、あるいは、訪れたのが梅雨の季節で湿度があまりにも高い日であったのか、はたまた他に理由があったのか、今では判らい。
いずれにしても、購入する気にはなれなかった。

最初に見学したメーカーは、今でも大々的に営業している。驚くべき程精巧に見える石臼を作っていた2番目の会社は、現在はどうなっているか、私には判らない。


石臼 (2)

2006-04-22 | 石臼
NBさんと私は、条件が合えば、石臼を購入しようと考えていた。

私達は、少しばかりの興奮を感じながら、ある石臼の製作会社に出向いた。そのメーカーのかなり広いスペースには、製作途中や完成した石臼が所狭しと並んでいた。まだ石臼については初歩的な知識しかなかった私達は、社長の解説に感心し聴き入ってしまった。石臼の中まで見せていただいたのだが、やたら太い溝が印象に残った。持参した「抜き」を挽いてもらった。何メッシュの篩を使っていたのか判らないが、1回挽きでは挽ききれず、一部を2回石臼に通した。一抹の不安を覚えながら帰路についた。

帰るとすぐに、蕎麦粉のみで打ってみた。つながらない。蕎麦打ちを始めたばかりの私達でも、手持ちの古い石臼で挽いた粉は何とかつながる。これではダメだと思った。何がよくないかはっきりしなかったがとても購入する気にはなれなかった。その後、石臼についての経験も増し少なくても2回挽きせざるをえない石臼は役に立たないと考えるようになった。





石臼 (1)

2006-04-21 | 石臼
私達は、蕎麦に関心を持つと、ソバの栽培も、脱皮機・石臼の入手も、蕎麦打ちもほとんど同時に始めてしまった。だから、石臼もすぐに必要になった。

友人・知人の多いNBさんは、そう時が経たないうちに3台の古い石臼を捜してきた。彼は友人の石屋に目立てを頼んだりし、何とか使おうとした。結局、2台は使い物にならなかったが、1台は使える見通しがたった。ひとまずこれで製粉が出来るようになった。(後に、この石臼にはモーターをつけた。今でも使うことがあるのだが、そこそこの品質の粉が得られる。)

NBさんと私は、自動の新しい石臼がほしかったので、古い石臼の再生と平行して、石臼メーカーを訪ねてみることにした。まず、少しばかりの「抜き」を携えて、近県のある会社を訪れた。