蕎麦を始めて間もなくして、私はNBさんらと「翁」を訪れた。NBさんはそのときの感動を幾度となく語った。彼は、「あの蕎麦は噛んでなんとも言えないソフトな感触があり、まるで餅を食べているようであり、それでいて『めん』がしっかりしている」と表現した。
その後、自分でも蕎麦を打ち、名のある蕎麦店の蕎麦を食べるうちに、彼の言うことが次第に判るようになっていった。それは私の蕎麦に対する考え方の根幹になった。私が、いいコシと言い表すのは、彼が表現する蕎麦のことである。その意味で彼には本当に大切なことを教えてもらった。
では、このような蕎麦は、いつでもどこでも味わえるのか。残念ながら難しい。昨年(2005年)から、「達磨」(高島屋出店) 「ふじおか」 「よしの」 「狭山翁」 「安曇野翁」などを訪れているが、ソフトでいいコシの蕎麦にはほとんど出会っていない。
(「狭山翁」で1度だけいいコシの片鱗を感じた。ところで、「良い」という蕎麦は、NBさんが高橋さんの蕎麦から感じ取り定式化したものだが、今の「高島屋出店」の高橋さんの蕎麦には私はその良さが感じられない。なぜなのかその理由が私には判らない。)
その後、自分でも蕎麦を打ち、名のある蕎麦店の蕎麦を食べるうちに、彼の言うことが次第に判るようになっていった。それは私の蕎麦に対する考え方の根幹になった。私が、いいコシと言い表すのは、彼が表現する蕎麦のことである。その意味で彼には本当に大切なことを教えてもらった。
では、このような蕎麦は、いつでもどこでも味わえるのか。残念ながら難しい。昨年(2005年)から、「達磨」(高島屋出店) 「ふじおか」 「よしの」 「狭山翁」 「安曇野翁」などを訪れているが、ソフトでいいコシの蕎麦にはほとんど出会っていない。
(「狭山翁」で1度だけいいコシの片鱗を感じた。ところで、「良い」という蕎麦は、NBさんが高橋さんの蕎麦から感じ取り定式化したものだが、今の「高島屋出店」の高橋さんの蕎麦には私はその良さが感じられない。なぜなのかその理由が私には判らない。)