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蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

米 石井稔さん(4)

2010-11-06 | 

④ 最も興味深かったのは、石井さんが15cmほどになった稲の頭を草刈り機で数センチ程刈り取ってしまっていたことだ。そうすることによって強い稲になるのだという。

石井さんとは異なるが、先日ある農家の方に伺ったのだが、彼も稲を小さいうちに「麦踏み」よろしく棒を使って倒伏させてみたことがあると言っていた。様々な試みがあるものだ。

ここ数年、枝豆で食べるとめっぽう美味い青大豆を作っている。今年は友達に教えてもらった方法で栽培してみた。それは、ポツト植えし、苗を植えかえる時に、根を半分程切ってしまい、さらに一対の双葉が出たら、その上で芯を止めてしまうという方法である。2回植え替えをしたので、根を2回切った。もちろん、芯止めは1回である。

今年は、大豆は全国的に大豊作であったそうだが、私の大豆はそれを考慮に入れても例年よりも遙かに多い収穫があった。ソバは移植さえ難しいのだから、根を切るなどもっての他だが、芯を止める方法はどうだろう。芯止めしたらソバは、育つだろうか、枯れてしまうだろうか。

圃場Aのソバの草丈は毎年高くなってしまう。平均で130cm位になってしまい、倒伏がおこり易い。芯止めをしたら、草丈も低くなることにより、倒伏耐性も高まり、収穫量も多くなるだろうか。そんなにうまいことは簡単には起こるとは限らないだろうが、来年はやってみようと思う。

石井さんの米作りからは、収穫方法などその他にも、ソバを栽培する上で、ヒントとなる点は多かった。


米 石井稔さん(3)

2010-11-05 | 

② 肥料について。映像で石井さんが追肥を施す姿が紹介されていた。その肥料は、鶏糞に山から採取した微生物をまぶしたもので、その微生物も、稲の生育に最適なものを長い年月をかけて特定していったものだという。

ただし、この鶏糞に微生物をまぶしたものが、追肥だけでなく、使用するすべての肥料の主たる肥料になっているかは、番組からは判らなかった。作物栽培には、肥料がとても大切だと思うので、この点はより詳しく紹介してほしかった。ところで、山や竹林など様々な場所から微生物を採取し拡大培養する方法があるが、どの特定の微生物が、何の作物によいかなどを特定することはなかなか難しいことだと思う。

③ 疎植栽培。番組では少しも触れられていなかったが、ウェブサイトで検索してみると、石井さんは相当な疎植栽培をしている。ソバについて私もかなりの疎植栽培が重要だと考えているが、石井さんもそうであった。

圃場Bは、完全無肥料で、しかも種子を全く選別しなかったので、平均的播種量とされている10a当たり5kgの割合で播いた。これは完全に多すぎた。茎が細く、かなり広い範囲で倒伏が起こってしまった。5kg/10aは、やせ地などで相当条件が悪くても多すぎる。ちなみに、圃場Aの収穫個体数は、わずか24個体/㎡であった。


米 石井稔さん(2)

2010-11-03 | 

① 石井さんは作付時期を遅らせている。周辺の農家よりも1か月も遅らせている。1か月とは驚くほど時期がずれている。その理由は、秋の冷え込みにさらされて、デンプンをたっぷり蓄えるからだという。

確かに、ソバの栽培でも、遅い方が、味が良くなるという意見がある。高橋邦夫さんは、確か「霜に1回かけた方が、蕎麦が美味しくなる。」と言っていた。私達には師匠がいた。長いこと試験場でソバについて調べていた彼は、この地域では、「在来種の播種時期は8月25日までであり、9月に入ってかの播種は実りをもたらさない。」と言っていた。今まで、師匠の言葉をあまりにも、金科玉条にしていたが、最近の異常気象下では、暑さがいつまでも続くので、播種時期を遅らせた方が良いかもしれない。

今年は圃場Aを8月22日に、圃場Bを8月15日に播種した。今年は日曜日に播種したからこうなったのだが、来年は播種時期を少し遅らせようか?


米 石井稔さん(1)

2010-11-02 | 

11月1日、NHKの「プロフェッショナル」に極上の米を無農薬有機肥料で栽培するという石井稔さんが出ていた。栽培に向かう姿勢が、確かに、尋常ではなかった。作物は異なるが、ソバを栽培している私の観点から何が学べるかに注目して視聴した。

やはり、感動的であったのは、いいあるいは美味い米を作ろうとしてどこまでも追及するその姿勢である。例えば、無農薬ということが、どれほど大変なことか。稲の根元の雑草を取るのに、自ら工夫をして作りあげた重い道具を、普通の人にはただ歩くことさえ疲れる田んぼの中で、隅々まで引き回していた。これ1つとってもどれほど多くの労力を費やしているかが、充分推測できる。私のソバ作りなど比肩すべくもない。

しかし、どんなに労力をかけようと、方向性が間違っていればいい結果が得られない。石井さんの独自の米作りの方法は、美味い米を作りだすことに直線的に向かっている。ここが凄い。(蕎麦の世界では、多大の労力かけながら、美味い蕎麦という方向には向かっていないことがあまりにも多い。1例、蕎麦の味が最もよくわかり、玄ソバの良し悪しが最重要とするそば職人の方が多いのに、栽培にはなぜ多くの方が向かわないか。)


ホテルのあり方(2)

2008-12-14 | 

ロビーの最も目につきやすい本来フロントがあると思われるようなところにあるのは、お客の質問には何でも答えられるというコンシェルジェのデスクである。これは、すべてのお客が使う4基のエレベーターといくつかのレストランやショップを結ぶ「動線上」に最も接近する位置にあった。通常、コンシェルジェはフロントの端かその隣にぽつねんと座っているのとは異なっている。しかも、このデスクには常時2,3人がいて、お客の様々な要求に対応している。

私も宿泊中何回かコンシェルジェのところに相談に行ったのだが、実に対応は的確であった。アユタヤへのツアーを相談しているときには、私の希望を大まかに伝え終わると間もなくツアーの実行が可能かどうかが判明した。それは、もう一人が同時に旅行社に連絡していたからである。さらに、そのツアーから帰って昨日のコンシェルジェと話すと、私が要求したわけでもないのに日本語のできる案内人を手配してくれていたのだということが判明した(そのツアーは個人向けのツアー)。

さらに、ホテルの一番前にある玄関の話である。市内の見学に初めて出るとき、玄関のところにいる係員に、何のためにどこに行くのかと聞かれた。一瞬どこへ行こうとも勝手だろうと思った。しかし、そうではなかった。出かける客に対して「対応」しているのだった。ホテルの前にはタクシーはいない。景観の観点からそうしているのかどうかはわからないが、タクシーはいない。どこか見えないところにタクシープールがありそこから呼ぶのか、ホテルの近くを走っているタクシーを呼ぶのかわからないが、係の者が携帯か無線かで呼ぶ。その間、時間は少しかかるのだが、待っている間に少しの情報をくれる。そこに行くならどこの入口が良いとか、そこは混雑している場所だからスリに気をつけろとかのように・・・。

帰る時になってさらによくわかった。ホテルの機能の一部が一番前の玄関のところに移っている。帰る時は、客のホテルへの出入りが最も多い時間帯であったのか、玄関にはホテルのスタッフが10人位張り付いていた。まずは、その多さに驚いた。彼らはそれぞれのお客に対してきびきび対応していた。私達には、日本人のスタッフが、このタイではタクシーに乗るのが面倒なのだが、タイ人の係員を介してドライバーと交渉してくれた。それでも、タクシーに乗るときには、ホテルから不都合があった場合には、タクシーの番号をホテルまで知らせてくれという小さな印刷物までも渡された。

フロントの役割を少なくし、コンシェルジェの役割を拡大させ、どのお客も必ず出入りする玄関の位置でお客の利便性を最大限図る。こうした「ペニンシュラ」のあり方は、このホテルの独自性なのか、ホテルの新しい流れなのか、いまやどこのホテルにも当たり前のことなのか、この業界のことなど知りもしない上、ホテルには稀にしか泊らない私には判らない。しかし、お客の利便性を考えれば、このホテルのあり方はとても高く評価できるあり方だと思う。




ホテルのあり方(1)

2008-12-13 | 

タイの大きな政治的混乱も収束したかに見えるが、いくつかの報道によれば難局はこれからだという。そのタイを今春訪れた。蕎麦とは離れ、その政治的話題でもないが宿泊したホテルについて感想を少しばかり書いてみる。

息子が学業を終えるのを機に家族で出かけた。タイは息子が望んでいた旅先であった。私もアジア圏には行ったことはなかったし、タイがアジア諸国の中で植民地にならず独立を貫きとうしたのはなぜか気になることもあったので、行ってみたかった。中公新書の『物語 タイの歴史』を読みつつ、携え出かけていった。

ホテルは、「ザ・ペニンシュラ バンコク」を選んだ。世界の十指に入るという「ザ・オリエンタル バンコク」に泊まる予算はないし、アメリカ系ホテルにも泊まりたくなかったので、安心して宿泊できそうなところで「ペニンシュラ」にした。ホテルが提供するさまざまなパッケージの中から、朝食と迎え付きのものを選んだ。初めての海外でヒースローからホテルまで行くのにさんざん迷ったことがあるし、ニューヨークでは、ホテルに着くまでにタクシーが事故を起こしてしまったこともあるので、迎え付きを選んだのである。

タイに着いて、空港からホテルへは何ら問題はなかった。ホテルに着くや、係りの人がすぐに部屋まで案内してくれ、チェックインはそこで済ませてくれた。ホテルの「迎え付き」を選んだから、フロントにも行かずにチェックインが部屋で済まされたと思った。しかし、それだけでない様子であった。チップ用の小銭がほしかったのでフロントに行った。フロントが思わぬところにあった。ロビーの一番奥にあったのである。しかも、玄関を入ったところからは、フロントデスクは一部しか見えない。しかもエレベーターよりも奥で、壁の後ろ側にあった。一般にはロビーの中央に近く、一番目立つ所にフロントがあるのとは随分と異なっていた。

宿泊日数が重なるにつれて、このホテルが、私がそれまで抱いていたホテルのイメージとは少し異なっていることに気付いてきた。




「爆問学問京大SP」をみて

2008-11-24 | 

今日の午前、NHK総合テレビで「爆問学問京大SP」なる番組があった。例によって爆笑問題の太田氏が学者(学問の世界)に議論をふっかける番組である。今日はそのSP版。論争テーマは「独創性」。京大は東大と違ってノーベル賞受賞が多いなどの理由で、このテーマが設定されたに違いない。

例によって、論点がずれまくり消化不良の感は否めなかったが、面白かった。例えば、ニュートンは木からリンゴが落ちるのを見て、地動説に気づいたといわれるが、なぜそこ至れたかと問題提起をする。すなわち、独創とはどこから生まれるか。いいのだが、今日の最大のテーマのここへの議論が集中せず、私はイライラした。

私は、この独創などというものは天から降って湧いてくるようなものではないと思う。1つの分野を突き詰めて、突き詰めていったその先にやっと見えてくものだと思う。ただし、その時の内在化の過程で、絶えず何かが違うのではないかと疑問に思うことが肝要なのではないかと私は考えている。つまり、問題意識の高さが重要ではないか。そして、この後者の方が重要なのかもしれない。

蕎麦の世界では、師につきその技術を学ぶ。しかし、師について学びながらも、師を否定しなければならない。この後者の意識がない限り、師の手の平のうちにとどまるのではないか。おそらく、片倉康雄氏を越えた高橋邦弘氏にはこのような意識があったに違いない。今、高橋氏に代表される現代の蕎麦の頂点をいかに越えるかが問われている。


『日本の酒』を読む

2007-10-02 | 

先ごろ、絶版となっていた岩波新書の『日本の酒』が、文庫本として再版された。この機に、碩学・樋口謹一郎氏の名著を読んでみた。さすがにこの分野に恐ろしく通暁している人の本だということが伝わってきた。

ところで、私がとりわけ興味深かったのは、酒の世界でも灰を利用していることであった。種麹の純粋性を保つために灰が使われるという。この灰がアルカリ性に弱い雑菌の繁殖を防ぎ、燐酸・カリ分を与え、さらにそれに含まれるミネラル分が役に立つという。
ここからが凄い。この灰は次のように取るあるいは採取する。
100から300年の楢あるいはくぬぎの切株から出ている若木(10~15年)の葉をその厚みが最も厚い頃採取する。これを絶対に雨(水分)にかけないで陰乾をし、貯蔵する。これを銅製の鍋で蒸し焼きにして灰にするのだという。こうして得られた灰を蒸米にかけて種麹の純粋性を保つというのだ。

今の私の畑は肥料分が多すぎるのでいかにそれを少なくしていくかであるが、ソバに使うカリ肥料として何が良いか少しずつ情報を集めていこうと考えている。