蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

栽培 (77)

2007-02-07 | 栽培
前回までで蕎麦について、現在、私が考えていることはほぼ書きました。

このブログを読んで頂いた方には、ただただ感謝するのみです。独善的な所も、非礼な部分もあったかもしれません。私の意識の中では、おこがましいことですが、蕎麦の世界の進歩に何らかの貢献ができればと考えての表現です。非礼な部分はお許しをお願い致します。

それにしても、蕎麦の世界は大きな岐路に立たされているように思えます。
私は蕎麦店では、一枚のざるの奧にある玄そばの「質」を読み取ろうと頂くのですが、信頼し食べ続けている幾つかの蕎麦店でも、その「質」が低下しているように思われます。私が強く関心を抱き蕎麦を食べるようになってから、僅か20年あまりです。長い蕎麦の歴史で、その20年などほんの僅かな時間にしかすぎません。その短い期間に、味の低下が生じていればゆゆしいことです。

ソバの栽培を多くの人が試みて太い流れとならなければ、この状況を大きく転回させることはできないと考えられます。私も、ほんの少ししか栽培していませんが、栽培を続けていこうと思います。様々な「意匠」を試みるつもりですが、いずれとてつもなく美味しい蕎麦に出会えることを期待しています。

このブログはここで一区切りとします。今後の予定は決めていません。
お読みいただいた方に、重ねてお礼を申し上げます。






栽培 (76)

2007-02-06 | 栽培
ソバの刈り取り後、何よりも大切なことは、前回書いた「水にかけないこと」である。刈り取りの後でこれよりも重要なことはない。
その他のソバの扱いについても重複することはあるが、まとめておきたい。

茎からソバの実を外すのに、棒などで強く叩くのは好ましくない。ハサ掛けによりある程度乾燥が進んでいる。これに強い衝撃を加えれば、ひび割れる実も少しはでてしまうだろう。そこから酸化は確実に進行する。

私は、茎からソバの実が外された段階で、乾燥が水分計で18~20%位であればよいと考えている。これを弱い日差しの日に、短時間広げて乾燥させる。とはいえ、ここでは乾燥が主たる目的ではない。ねらいは広げてソバの実を確認し、何よりも意外に多く紛れ込んでいる虫類を追い出すことである。

この乾燥で、ソバの乾燥は16~18%、すなわち17%前後になっていれば理想的である。これを石臼にかければよい。しかし、18%に近いソバは普通の石臼では挽けない。粘性が高いために臼内ではり付いてしまい、臼から排出されなくなってしまう。正しい考えに基づき設計された石臼が必要となるのである。

刈り取りから製粉まで日数が少なければ、水分が保持されたよく粘る、いい蕎麦になる。それは蕎麦として最も価値の高い、いい香りの蕎麦にもなりうるのである。

栽培 (75)

2007-02-05 | 栽培
補論

刈り取り後のソバの扱いについて

「蕎麦」は、茹で上げてから口に入るまでと同様に、刈り取ってから製粉までが、きわめて重要である。この問題については、このブログのあちらこちらで断片的に述べてきたが、ここで新たな指摘も含めて、まとめておきたい。

本当にうまいソバは、どうしても手刈りでなければならない。機械刈りの限界については、「蕎麦界の展望」で、詳細に述べておいた。

手刈り後のソバの乾燥方法ほど大切なものはない。ポイントは、もちろんハサ掛けで天日乾燥をするのだが、けっして水にかけないことである。
ここで水にかけないとは、雨水にかけないことだけでなく、夜露にもかけないことである。むしろ後者の方が悪い。ほぼ毎日夜露はソバを襲うからである。雨と夜露にさらされたままにしておくと、そう長くはないハサ掛けの期間に驚くほどソバは劣化してしまう。ソバの葉が赤茶けてしまっているのが目につく。
それはどのようなことを意味するだろうか。ソバの実が、黒い殻で守られているとしても、全体的に何らかの影響を受けることになるだろう。また、最初に実った種子はどうであろうか。早く実ったために、中にはソバの殻にひび割れが入ったものもあるだろう。これらには「確実に」水がさす。ソバの実は赤茶けてくるだろう。こうしたソバの実が少し含まれただけで、蕎麦全体の美味さは半減してしまう。

これを防止するのは簡単なことである。ハサ掛けされたソバに覆いをかけることである。私は、ビニールをかけている。このビニールをかけるか否かで、蕎麦の味に天と地ほどの差がでる。
手刈りで天日乾燥などと言っても、ハサ掛け中に水にかけてしまえば、土づくりの努力も育種の工夫も、すべてすっ飛んでしまう。

栽培 2006season 45

2007-02-02 | 06season栽培
承前

蕎麦のコシについて

2006年のソバを1月21日に、友人のNBさんに打ってもらった。私は、蕎麦は香りとコシだと考えているのだが、今回はコシについて考えてみたい。

NBさんの蕎麦のコシは、実によかった。
彼の蕎麦を食べる機会はそうあるわけではないが、2005年の11月に彼の蕎麦を食べて、そのコシの良さに驚嘆した。今回もその時とほとんど変わらず本当にいい食感がした。どういいのか。噛んだときにソフトで柔らかな弾力がある。しかし、けっして強い噛みごたえはしない。さりとて軟らかすぎない。誠にいい食感がしたのである。
彼は、1990年代の初頭に訪れた山梨の「翁」の蕎麦を「手本」にしているという。

私は、高橋邦弘さんが出店している高島屋の蕎麦を3年続けて食べている。しかし、NBさんの蕎麦に感じるいい食感を、高橋さんの蕎麦には感じられない。私は、「硬質な感じのコシ」を感じてしまう。もちろん、高橋さんは「延し」と「切り」を、「捏ね」は他の方が担当しているのだから、ここでの蕎麦を純粋に高橋さんの蕎麦とはいえないかもしれないが・・・。

高橋さんが全てをつくる蕎麦を、私は味わってみたい。
あるいは、ことわざに「一鉢 二延し 三包丁」とあるように、「捏ね」が一番重要なのだから、高橋さんが「捏ね」を、他の方が「延し」と「切り」を担当する蕎麦を食べてみたい。

P.S.)
私が、「硬質な感じのコシ」がする蕎麦というのは、高島屋に出店する「達磨」の蕎麦だけではない。私は多くの蕎麦店を食べ歩いている訳ではないが、ほとんどの翁系の蕎麦店、あるいは有名蕎麦店の蕎麦にも共通して感じる「コシの強さ」である。ただし、数回訪れている「狭山翁」では、2005年の5月に食べた蕎麦にだけ、「いいコシ」の片鱗を感じることができた。
私はこのブログの「蕎麦打ち」の項で、この「いいコシ」を出すのにはどうしたらいいかを私なりに追究した結果を書いておいた。NBさんは、私とは異なる方向からこの問題に取り組んでいる。彼の方法は、彼独自の方法でありここで私が論じる訳にはいかない。 (2007/02/03)

栽培 2006season 44

2007-02-01 | 06season栽培
承前

ソバの劣化について

ソバの品質とりわけ香りの劣化は、私が今まで考えていた以上に急激であることを、今年は認識させられた。

2006年のソバを最初に試食したのが12月3日、最後が年が明けた1月21日。従ってその間約1ヶ月半。玄ソバはビニール袋に入れ口を閉じ(密封でない)、遮光のため紙袋に入れて冷暗所で保管しておいた。しかし、最後に食べた蕎麦は最初のそれと比べれば、香りが相当落ちていた。
脱皮機にかけソバ殻を外しても、完全に黒い粒をなくすのは難しい。だから、最終回のソバは、脱皮できていないソバは全て手で拾い出した。条件を良くしたのである。実はこの時に甘皮が酸化し赤茶けた色のソバが多かった。もちろん、ひどいものは拾い出したのだが限界があった。考えてみれば、この酸化は全てのソバに程度の差があれ進んでいるはずであり、香りの劣化は当然のことである。ソバの香りを保つことは難しいことである。
次年度からは、収穫後可能な限り早く食べるか、ソバの密閉保管を考えなければならないと思う。

ところで、蕎麦は収穫直後よりもしばらく経過した1,2月頃が、味がのってうまくなるという意見を聞くが、そのように主張する人は蕎麦の味をどのような基準でとらえているのか、私にはさっぱり判らない。香りよりも重要な何があるというのか。

以下次回