蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

蕎麦界の展望 (20)

2006-08-11 | 蕎麦界の展望
後熟を考えざるを得ない理由は、次のような推測による。

草でも生木でも切れば、切り口から樹液が出るのを私達は目にする。それは、切り取られても、維管束の中にある養分、水、細胞内の液体などは、移動することを意味する。であるならば、師管中の糖はソバの実まで移動を続けるはずである。それゆえ、ソバの実をその木から外さない方が、蕎麦は確実に美味くなる。

それどころでなく、植物は、切り取られても養分の移動を積極的に進めているのではないか。なぜならば、生命体は自己の種を保存するためにあらゆる方策を、そのDNAの中に含んでいると考えるのが自然だからである。植物すなわちソバの木は、刈り取られた後でも体内のあらゆる養分を種子に移動させ、より子実を充実させ、種の保存に全力を傾注するに違いない。これは友人と話していて一致した見解である。

ところで、コンバインによる刈り取りに大きな問題点があると言っても、手刈でどれほどのソバが刈れるというのか。「せいろ」のみで勝負しようという店が、1年間に使用するソバの量は、1,5トン以上にものぼるだろう。手刈りでは不可能である。

蕎麦発展の第1期の片倉さんから第2期の高橋さんへの移行には、小型の脱皮機の開発が最大のポイントであったと私は書いた。ここから第3期への発展にも何かが必要である。それは小型の刈り取り機の開発である。畑の耕運もソバの播種も、しんどい作業には変わりはないが、なんとかできる。問題なのは、ソバの刈り取りである。だから、ここを突破することが決定的に重要なのである。

小型の刈り取り機の開発には2つの条件がある。1つは、先行して熟したソバの実を割れもなく回収できること。もう1点は、ソバの木を文字通り刈り取ることである。すなわち、木から実を取り去ってしまわないことである。

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