蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

蕎麦界の展望 (12)

2006-08-02 | 蕎麦界の展望
②  私は、蕎麦粉と水のみで打つのが、すなわち、「十割そば」・「100%そば」が蕎麦の基本であると思う。私には、「二八そば」がそばの基本であるかの風潮がこの国にあるのが、理解できない。その裏返しであるが、「十割そば」が何か特別なそばであるかのような考え方があるのも理解できない。「十割そば」を売り物にしている蕎麦店など言語道断である。蕎麦粉と水のみで打つのが、単に蕎麦の基本でしかない。「二八そば」は小麦粉が含まれているのだから、「変わりそば」の一種と位置づけるべきである。

高橋さんの蕎麦は、「二八そば」である。なぜそうなのか。氏は著作の中で、「そば粉八割、小麦粉二割・・・のそばが僕は好きだ・・・喉ごしがよく弾力のあるそばになる」からと述べている。これに符号するかのように「抜きの一番外側の甘皮の部分は、そばの味は強く粘りがありますが、粉になりにくく、むりやり挽けば、食べづらい繊維質の強い部分が含まれてしまいます。」と書いている。甘皮は、味は強いが、食べずらい。だから、それは除く。小麦粉を入れたのが、喉ごしもよく弾力もあるというのが主旨だ。

ここには2つのポイントがある。
 「咽ごしがよく弾力のあるそば」は「二八蕎麦」でしか出すことができないであろうか。私にはそうは思えない。蕎麦打ちに関心を抱き始めてから長い間、私が考えつずけて来たのがこの点である。それについて「いいコシ」を出すにはどうしたらよいかというテーマで私の考えを「蕎麦打ち」の項で述べておいた。

 氏も認めるように、甘皮には「味」(私はこれを香りと呼ぶが)がある。私は、これが蕎麦の命だと考える。蕎麦に香りがなっかたら、何を食べていることになるのか。強い香りを引き出そうと考えたなら、可能な限り甘皮を挽きこむことである。それには、甘皮が挽き込まれていても「繊維質」を感じられない問題のない粉が得られることである。それを可能にするのが精巧に作られた石臼である。そのために、この論考で「石臼」について仔細に論じてきたのである。


蕎麦粉と水だけで打つのが当たり前の蕎麦で、「美味い蕎麦」の基本にしようではないかというのが私の主張である。


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