いったりきたり

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ヨルダン・イスラエル・ドバイ Vol19

2015-02-13 | 海外旅行

第10~第14ステーション 聖墳墓教会です。 
今ある教会は1810年の再建、各派別々にあった聖堂が、再建の時にひとつにまとめられたので、コプト教会・エチオピア教会・ギリシャ教会、アルメニア教会、シリア教会、カトリック教会が同じ建物に入っています。こんなに複雑に入り組んだ教会・・・驚きです。

第10ステーション
イエスが衣を脱がされる

ここから聖墳墓教会の中になります。教会を入り右側にあるローマ・カトリックの小聖堂あたりでイエスが服を脱がされました。
( 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いてその着物を分け、そこにすわってイエスの番をしていた)

2階右の窓から梯子が下ろされています。

かつてエルサレムがオスマン帝国支配にあったころ、帝国はキリスト教徒たちへの嫌がらせの一環として、1階の出入り口を封鎖していました。
修道士たちは仕方なく2階の窓から出入りや荷物の受け取りをしましたが、19世紀に一時的にエジプトがエルサレムを制圧します。
その時に開放され、2階の梯子は使われることも無く、いつしかその存在を誰もが忘れてしまっていました。

しかし聖地(エルサレム)管理権を巡るイザコザから、ロシアがトルコに対して戦争を起こします。(クリミア戦争 1853~1856)これは名目であって、本当の目的は南下政策を完成させることでしたが。
結果はトルコが英仏の支援を受けてロシアに勝利。
この事件から、聖地を巡るイザコザを二度と起こさないために、講和条約で「教会の中は今後何も動かしてはならない」という一文が加わることになりました。

教会同士の喧嘩から国家間の戦争を誘発させないための措置でしたが、そのためにあの「忘れ去られた梯子」すらも動かすことができなくなりました。
気付いたところで時すでに遅し…なので100年以上を経った今でも、あの梯子はあの時のまま…だそうです!
(ちなみに梯子自体は100年前のものではなく、取り換えられているみたいです)

 

この聖墳墓教会はイエスが処刑された場所や遺体の安置場所、お墓などが入り乱れた内部で、しかもその所有権をめぐって各教派間で熾烈な主張争いがなされ複雑な関係になっています。

各派の共同管理となっているそうですが、互いにその権限をめぐって対立が絶えず、年中小競り合いがあって時には教派の聖職間で乱闘騒ぎまで起きたりするそうです。
このような背景から、教会出入り口の開け閉めの鍵は数世紀前より第三者的立場に立てるイスラム教徒のアラブ人の家族に任され、代々その家族が朝に鍵を開け、夜に鍵を閉める慣わしになっているといいます。

鍵の開け閉めにはこの梯子を使って登るそうですよ! 

まずは私たちも第11ステーションをめざして、2階に上がります。

第11ステーション イエスが十字架にかけられた場所
ここで午前9時、イエスは十字架に磔にされたとされています。そして正午には地震が起こったと… 
ここにはローマカトリック小聖堂の祭壇になっています。十字架刑は、古代ペルシア人、カルタゴ人、ローマ人の間で行われていた死刑の形式で、極悪非道な罪を犯した者や奴隷に対する極刑で、特にローマでは国家の裏切り者に対して行われたそうです。

磔刑の受刑者は鞭を打たれることになっていましたが、この鞭は強力なもので、打たれた者は皮膚が裂け出血するほどで、ある場合によっては打たれた者が死亡することがあり、それではこの後の死刑執行が無意味になってしまうので、程々に打たれたらしいです。

鞭打ちの後、刑場まで自力で杭を運ぶことになっていたと言われますが、先に行われた鞭打ちで杭を運べない状況の場合、通りがかった者を選んで運ばせた場合もあったようです。

イエスの場合も、この慣例にしたがって磔刑が行われました。
祭壇には、まさに今イエスが十字架に釘付にされるという絵が描かれています。