名古屋市美術館、フランスとオランダから肉筆の風物画などを一堂に里帰りさせた展示会です。
北斎の作品は版画だけではないんですねー
肉筆の美人画、町人絵、武具、刀、おばけに花鳥鳥獣…絵手本画…
-次々湧き起こるイマジネーションが、あふれる才気がじっとしてはいられない-
90歳でなくなるまで70年間描き続けた情熱をそこにみることができます。
肉筆画での印象は建物の精密さです。
まるで建築図面のよう。
それに比べて人の顔はすごく淡白に描いています。
ただ着物や室内の描写は緻密な柄と丁寧な陰影が施されていて“描き込んだ!”感があります。
『あっさり』と『かっちり』の絶妙なバランスが、ガンガン押しの強い息苦しさをなくし、ふうっと肩力の抜けた、江戸の粋っていうのでしょうか、これぞ日本の美意識!ってそんな風に感じました。
きっと北斎自身も粋なおじさんだったんだろうなーと。
北斎絵の中の人物は、すべて(大抵)こちらを見ていません。
なのでいつ何時でも見ている私たちは、その日常や風景を眺める傍観者です。
そこからはその人たちのささやきや歓声、ためいきなどが聞こえてくるようです。
私がすごいなーと感じたところは、顔の表情に頼ることなくその人物の性格までも描ききったという点です。
しどけなさ、狡猾さ、饐えた感じ、おべっか、緊張、一生懸命、参ったなどをその人の一瞬一瞬の動作や身体の流れで表現しています。
まるでそれは、その人物に沁みついた習慣の表れのよう…
「習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか、あなたの運命になるから。」という言葉がありますが…
一枚の絵の中にその登場人物の運命までも暗示させるようなおもしろさです。
また、北斎は水に関する作品が多いです。
流れる水、よどむ水、はじける水、うなる水。
速さや力、心の中のイメージをそのまま画面に映すことができるのでしょうね。
『富嶽三十六景』「大波」も観てきました。
(実は北斎といえばこれしか知らなかったのです)
この一枚は理屈ではないですね…
単純な大波小波の繰り返しが次第に早くなり、うねりを生じ頂点で海の底から強烈にせり上がる大波。
爽快な気分にさせてくれます。
ふと、和太鼓とリンクしました。
和太鼓も単純なリズムの繰り返しが次第に早くなり、頂点では狂喜するような乱打になって多彩な盛り上がりをみせます。
聴いているうちに身体の底から血が沸きあがってくるような、自分の中に眠っていた原始的なリズムが呼びこされるような感覚です。
「大波」は和太鼓に通ずるものがあるなっ、そんな感動がありました。
北斎の作品は版画だけではないんですねー
肉筆の美人画、町人絵、武具、刀、おばけに花鳥鳥獣…絵手本画…
-次々湧き起こるイマジネーションが、あふれる才気がじっとしてはいられない-
90歳でなくなるまで70年間描き続けた情熱をそこにみることができます。
肉筆画での印象は建物の精密さです。
まるで建築図面のよう。
それに比べて人の顔はすごく淡白に描いています。
ただ着物や室内の描写は緻密な柄と丁寧な陰影が施されていて“描き込んだ!”感があります。
『あっさり』と『かっちり』の絶妙なバランスが、ガンガン押しの強い息苦しさをなくし、ふうっと肩力の抜けた、江戸の粋っていうのでしょうか、これぞ日本の美意識!ってそんな風に感じました。
きっと北斎自身も粋なおじさんだったんだろうなーと。
北斎絵の中の人物は、すべて(大抵)こちらを見ていません。
なのでいつ何時でも見ている私たちは、その日常や風景を眺める傍観者です。
そこからはその人たちのささやきや歓声、ためいきなどが聞こえてくるようです。
私がすごいなーと感じたところは、顔の表情に頼ることなくその人物の性格までも描ききったという点です。
しどけなさ、狡猾さ、饐えた感じ、おべっか、緊張、一生懸命、参ったなどをその人の一瞬一瞬の動作や身体の流れで表現しています。
まるでそれは、その人物に沁みついた習慣の表れのよう…
「習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか、あなたの運命になるから。」という言葉がありますが…
一枚の絵の中にその登場人物の運命までも暗示させるようなおもしろさです。
また、北斎は水に関する作品が多いです。
流れる水、よどむ水、はじける水、うなる水。
速さや力、心の中のイメージをそのまま画面に映すことができるのでしょうね。
『富嶽三十六景』「大波」も観てきました。
(実は北斎といえばこれしか知らなかったのです)
この一枚は理屈ではないですね…
単純な大波小波の繰り返しが次第に早くなり、うねりを生じ頂点で海の底から強烈にせり上がる大波。
爽快な気分にさせてくれます。
ふと、和太鼓とリンクしました。
和太鼓も単純なリズムの繰り返しが次第に早くなり、頂点では狂喜するような乱打になって多彩な盛り上がりをみせます。
聴いているうちに身体の底から血が沸きあがってくるような、自分の中に眠っていた原始的なリズムが呼びこされるような感覚です。
「大波」は和太鼓に通ずるものがあるなっ、そんな感動がありました。