いったりきたり

いつも通りの日をまじめに過ごしながらにっこりしたりきゅんと身にしみたり

北斎展

2008-02-16 | Weblog
名古屋市美術館、フランスとオランダから肉筆の風物画などを一堂に里帰りさせた展示会です。
北斎の作品は版画だけではないんですねー
肉筆の美人画、町人絵、武具、刀、おばけに花鳥鳥獣…絵手本画…
-次々湧き起こるイマジネーションが、あふれる才気がじっとしてはいられない-
90歳でなくなるまで70年間描き続けた情熱をそこにみることができます。

肉筆画での印象は建物の精密さです。
まるで建築図面のよう。
それに比べて人の顔はすごく淡白に描いています。
ただ着物や室内の描写は緻密な柄と丁寧な陰影が施されていて“描き込んだ!”感があります。
『あっさり』と『かっちり』の絶妙なバランスが、ガンガン押しの強い息苦しさをなくし、ふうっと肩力の抜けた、江戸の粋っていうのでしょうか、これぞ日本の美意識!ってそんな風に感じました。
きっと北斎自身も粋なおじさんだったんだろうなーと。

北斎絵の中の人物は、すべて(大抵)こちらを見ていません。
なのでいつ何時でも見ている私たちは、その日常や風景を眺める傍観者です。
そこからはその人たちのささやきや歓声、ためいきなどが聞こえてくるようです。
私がすごいなーと感じたところは、顔の表情に頼ることなくその人物の性格までも描ききったという点です。
しどけなさ、狡猾さ、饐えた感じ、おべっか、緊張、一生懸命、参ったなどをその人の一瞬一瞬の動作や身体の流れで表現しています。
まるでそれは、その人物に沁みついた習慣の表れのよう…

「習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか、あなたの運命になるから。」という言葉がありますが…

一枚の絵の中にその登場人物の運命までも暗示させるようなおもしろさです。

また、北斎は水に関する作品が多いです。
流れる水、よどむ水、はじける水、うなる水。
速さや力、心の中のイメージをそのまま画面に映すことができるのでしょうね。

『富嶽三十六景』「大波」も観てきました。
(実は北斎といえばこれしか知らなかったのです)
この一枚は理屈ではないですね…
単純な大波小波の繰り返しが次第に早くなり、うねりを生じ頂点で海の底から強烈にせり上がる大波。
爽快な気分にさせてくれます。
ふと、和太鼓とリンクしました。
和太鼓も単純なリズムの繰り返しが次第に早くなり、頂点では狂喜するような乱打になって多彩な盛り上がりをみせます。
聴いているうちに身体の底から血が沸きあがってくるような、自分の中に眠っていた原始的なリズムが呼びこされるような感覚です。
「大波」は和太鼓に通ずるものがあるなっ、そんな感動がありました。

初☆雪だるま

2008-02-11 | Weblog
昨日からの雪でこの日は明野飛行場も一面の雪
マジ感動~~

みなさんが格納庫からグライダー出してくれている間に…
遊び始めてしまいました(スミマセン)

Flight練習の方は
「ちょっとはマシになった」とお褒め!?(この際自分贔屓に解釈するとして)を頂戴しうれしかったです。

私って典型的な『ホメて育てよ』タイプみたい。

おとぎばなし

2008-02-03 | Weblog
御伽噺がおもしろいと思ったのは比較的最近のこと。
語られたお話のでたらめさ、単純すぎる筋の展開、それと登場人物の人となりのわかりやすさ(実は○○だったとかどんでん返しなんて皆無)。
これらが、どうも大人になってからの私の好みに近い感じだったからです。

そもそもなにがいいって―「むかしむかしあるところに」という決まり文句。
この語り口ひとつで時間も空間もいい感じで深みが消え、生臭~い人間の苦悩とかが薄まります。
登場人物も日本の場合、ほとんどおじいさんとおばあさんと赤ん坊、そして身近な動物たち…
もうちょっと血気盛んな男女たちのロマンスがあっても…と思いきや色模様は抜き。

ところで、御伽噺が見事だと思うのは、御伽噺では「好き」とか「愛している」とか。「よくやったぞ」とか「かなしい」とか。「しめしめ」とか「こんちくしょう」とか…そういった感情の表れは言葉でではなく、すべてその行為で描かれているところ。
人や動物たちが睦みあったり戦ったりする場合、そこで働いているかもしれぬ感情―愛、怖れ、怒りなど―はすべて外に現れた行動から私たちが推測しているだけ。

そして御伽噺の好きなところは…
御伽噺の主人公が何物にも拘束されないこと。
王様も仕立屋もお姫様も台所のした働きもごちゃまぜ。
新しい関係を結ぶためにさまざまな立場が差し障ることはめったになく、そこにも何ともいえない素っ気無さがあり、人間的な葛藤がないところ。

その昔、大学の先生に『君は融通無碍の人だね』と苦笑されたことがあってふと、その思い出がひかかった…
御伽噺の際だった特長、この融通無碍の自由さ。子どもの頃に読んだおとぎ話は、それらの印象はそれと意識されることなく、私の心に何がしかの影響を与えていたのかも(今もかもしれないけど)と。