いったりきたり

いつも通りの日をまじめに過ごしながらにっこりしたりきゅんと身にしみたり

ヨルダン・イスラエル・ドバイ Vol16

2015-02-10 | 海外旅行

次々 ステーションを進んでいきます!

第5ステーション シモンがイエスの代わりに十字架を背負った場所

この人は「田舎から出て来た」とありますから、もともとエルサレムに住んでいた人ではありません。
何のためにエルサレムに出て来ていたのか分かりませんが、この時期行われているユダヤ人の最大の祭り、過越祭を祝うために巡礼に来ていたのかもしれません。


そしてせっかく来たエルサレムの町をあちこち見て回っているうちに、イエスが引かれていくところに出くわしたのかもしれません。
とにかくたまたまそこにいた彼は、ローマの兵士たちによって人々の中から選び出されて、イエスが担いでいた十字架を背負わされたのです。
イエスには、もう十字架を担う力が残っていなかったのです。
死刑囚の代わりに十字架を担いで歩くことなど誰もしたいとは思いません。シモンは、兵士たちによって無理やり引っ張り出されて、お前がこの男の十字架を担いでいけと命令されたのです。

それは彼にとってとんでもない災難でした。なぜ自分がこんなことをしなければならないのか、と思ったでしょう。しかしローマの兵隊に逆らうと何をされるか分かりません。彼はいやいやながら、イエスの十字架を担いで、イエスの後ろを歩いていったのです。

シモンはイエスの弟子だったわけではありません。おそらくイエスと会ったこともなかっただろうと思います。
たまたまそこに居合わせたのです。
イエスがもう十字架を背負う力がない、と兵士たちが判断したその時に、たまたま近くにいたために、彼が選ばれたのです。兵士たちにすれば、十字架を担いでゴルゴタまで歩くことができさえすれば誰でもよかったのです。

そのようにして彼は、負いたくもない十字架を無理矢理背負わされました。
なぜ自分がこんなことをしなければならないのか、とんだ貧乏くじを引かされた、と思ったに違いありません。

さて、イエスの教えでは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」といっています。それが弟子たる者の、つまり信仰者のあり方だと繰り返し語っています。
そして、皮肉にもその弟子としてのあり方を文字通り具体的に実行したのがこのキレネ人シモンだったのです。

彼は自分から進んで主イエスの十字架を背負ったわけではありません。自分の意志によってではなく、無理矢理背負わされてしまったのです。

しかしまさにそこにこそ、彼の姿に信仰者のあり方を見るといえます。
キリスト信者においては、十字架を背負ってイエスに従うことが信仰ですが、「よしこれから十字架を背負ってイエスに従っていこう」と最初に決心して信仰者となった、という人は少ないのではないでしょうか。
シモンにもそういうことが起ったのだと・・・

「キレネ人シモン」という名前がこうして残されていますが、それは、シモンが後にキリスト信者となり、教会の一員となったことを示しています。
シモンは、イエスの十字架を無理矢理に背負わされ、イエスの後を歩んだ、その体験がきっかけとなり、信仰者となったのです。
そして、最後には本当の意味で、十字架を背負ってイエスに従う者となったのです。
そのように彼の人生を変える出会いがここで与えられたのです。


私たちはいろいろな縁やきっかけがあります。迎え入れたかった縁やきっかけ、反対に避けたかった縁やきっかけ、偶然のものら。
それらは本意や不本意の枠を超えて、それらに従っていく生き方の中で、自分を作っていく(変えていく)ことになりえるんだということを感じました。
嘘から出た真みたいな。最初の入口からはとても想像できなかった飛躍や心の境涯が。
そうなると、今の例えば「負わされてる感」「こんなはずじゃなかった」ものだって、まんざら捨てたものじゃないのかもって思いますよね。
真実の○○なんて、最初から、強い強い何かではなく、誰もがそのようにして心細さを伴いながら、迷いながらも少しずつ何かに気づかされコツコツ積み上げていくものなのかもって思いました。

今はまだ、なんだか弱々しいもの(目標に対する気持ちとか、恋人との関係とか、その他いろいろ!)、あるいは、何らかの”兆し”くらいにしか感じられないもの…でも、大事に育てていくことで本物になっていくんだってこと。
今まで、逆に思っていたから(最初から強い強い気持ちがなきゃ、ウソってくらいに!)モノの考え方が大きく変わった気がします。
すぐにNO!っていうような排他的な感情から、とっても受容的に…少し自分も楽になれる、そんな気がしています。
 

教会が建築されるまでは壁面に据え付けられていた石が第5留のシンボルとなっていました。キリスト教の伝承では、この石にあるくぼみはゴルゴダの丘へと向かうイエスが触れたことによってできたものだといいます。

 

第6ステーション ベロニカの教会

今にも倒れそうにゴルゴタの丘に向かって登って行くイエスの姿を一目見ようと、多くの群衆達がひしめきあっていたに違いありません。
それらの群衆の一人にこのベロニカという女性がいたのでしょうか。(聖書の福音書にはベロニカなる女性の記事はないそうですが)
茨の冠を被らされ血と汗を滴らせるイエスの苦しむ姿に同情を禁じ得なかったのでしょう。この場所で、ベロニカは絹の布でイエスの顔を拭ったという逸話が伝承されます。
するとこのハンカチにキリストの顔が浮き上がったと・・・

このハンカチはイタリアのサン・ピエトロ寺院に保存されていると云われていますが。
現在はベロニカ教会になっています。

 

第7ステーション イエスが2度目に倒れた場所
ビアドロローサ通りとハーン・アル=ザイト通りとの交差点にあり、スークの真ん中に位置しています。
「裁きの門」が記念されています。
ゴルゴダの丘へとつながる門で、ここで死刑囚に対する罪状が読み上げられていました。もちろん、イエスの場合も同様に行われたといわれいます。

アラブ人のスークの狭~い路地をひたすら歩いていきます。
もう・・・苦難の道って感じは一筋もありません””`s(・'・;)... 魅力的なお土産とかありますが、ツアーゆえ立ち止まって買い物する余裕はありません!!