いったりきたり

いつも通りの日をまじめに過ごしながらにっこりしたりきゅんと身にしみたり

ハミー’s Lesson

2009-08-30 | Weblog
今日は一日CountryDanceの練習。
朝10時半から3時までは、キツイ―
先月やったよねぇ~!?といわれても、
「はい、やりました」ということは覚えててもステップは???
後列に立って息をひそめるしか・・・

ハミーのLessonはさすが!楽しかった。

家に帰ると、フルーツがど~んと届いてた!!
ありがとーーー
今日の疲れも吹っ飛ぶってもんです。
梨、私の顔くらいの大きさ。
こんなん木になるん!?ってびっくり。

パン作り

2009-08-29 | Weblog
強力粉を量るところから3時間。
これだけ時間がかかったら情もわいてくるわなぁ…
サクサクモチモチの食パンが焼きあがりました。

発酵したパンのヤワヤワさ…愛い奴愛い奴って感じです。
焼きあがる時の小麦の匂い…

五感に喜びをもたらすパン作りです!

近くで見ると

2009-08-28 | Weblog
ひまわりって遠目にみると、パーッと明るく日に向かって伸び伸びしてる感じだけど、近くに寄ってみると…じーっと内省してるっていうか、何かをこらえてるような表情してる。

再チャレ

2009-08-23 | Weblog
チョコもどきではいかんので、仕切りなおし!
お絵かきもしてみました♪
かわいくなっておいしくみえる(*^^)v
半日かかった…

焦げた…

2009-08-22 | Weblog
決してチョコクッキーではありません…
はじめて作ってみましたが。
(アンタ、人よりやること30年遅れとるわ…)って。
『こんなん(クッキーなんか)やり始めるんは10代の頃のやることやわ』(by母)
『こんな調子で人より30年遅れて結婚もするかもなぁ』笑←(余計なことを!!)

こんがり焦げすぎて、ちょっと失敗したけど新たなマイブーム誕生の記念日♪



奈良国立博物館

2009-08-16 | Weblog
★『聖地寧波―日本仏教の源流~すべてはここからやってきた』

寧波は古来より中国の港として栄え、日中交流の窓口となってきましたが、中国仏教の一大中心地でもありました。寧波からもたらされた仏像・仏画の数々を一堂に会した展示会。
日本人が憧れ続けた寧波の仏教文化の魅力に迫ります。


●鑑真~日本と寧波の出会い

鑑真和上(668-763)は日本に戒律を広め、奈良に唐招提寺を建立した中国の僧です。
日本にやってきた中国人はたくさんいますが、鑑真ほど苦労した人はいないでしょう。
鑑真が渡航を決意したのは742年。その後5回渡航に失敗し、753年に日本に着きました。
鑑真と寧波が関係するのは2回目の渡航の時です。

鑑真を乗せた船は寧波の近くで座礁し、皆海に投げ出されてしまいました。
困った鑑真一行は寧波にある阿育王寺にしばらく住むことにしました。
ここで一行は有名な阿育王塔を礼拝しています。
阿育王寺には鑑真を慕ってたくさんの人々がおしかけ、教えを聞きました。
鑑真は阿育王塔を熱く信仰し、日本に着いた六度目の渡航のときに小さな銅の阿育王塔を持っていきました。
鑑真は阿育王塔だけでなく寧波の仏教文化をたくさん日本に紹介しました。
平安時代の始めには最澄が鑑真が持ってきたお経を読んで感動し、中国へ行って天台宗を勉強すること決意します。日本と寧波の出会いは鑑真から始まりました。


●超能力を極めた僧・羅漢

寧波の南にある天台山は中国天台宗の発祥の地です。
最澄や栄西など寧波を訪れた日本人僧の多くはこの山を目指しました。
この天台山には「羅漢」がおり、まさに憧れの超能力の持ち主なのです。

天台山の羅漢を描く図があります。
羅漢とは、完全に悟りを開いた最上の仏教修行者のこと。
仏教を信じ修行を続ける人にとって、尊敬する憧れの僧とでもいう存在です。
羅漢は修行を積んだことによって仏に近づき、特別な能力を手に入れています。
絵を見てみると空を飛んだり、頭のから水を噴いたり、動物にも好かれて獅子もなつきます。
そして普通の人間よりも長く生きられます。一般の信者は彼らにお供えをしたり、祈りをささげると願いをかなえる奇跡を起こしてくれると考えました。
天台山という山の、石でできた橋の辺りに姿を見せるといわれた500人の羅漢が有名です。
五百羅漢図は羅漢を5人ずつ描いた掛け軸が100本、500人の羅漢は集団生活をしているようで修行する姿だけでなくみんなで大好きなお茶を飲む姿なども見られます。


●藤原道長の金文字の写経
奈良の大峯山の山頂から出土した経筒。
藤原道長が書き記した「御堂関白記」の記述から、1007年に道長が直々に大峯山に足を運び、自ら写経した経を奉納した際の経筒であることがわかったそうです。
あの道長の!!ってゾクってしました。
収めた時期は一条天皇に嫁がせた娘がなかなか懐妊しなかった時期で、子宝を祈願する意味合いも強かったと考えられています。この直後には懐妊して後一条天皇となる皇子が誕生して道長繁栄の基盤となりました。
1018に道長が詠んだ「この世をば我が世とぞ思う望月のかけたることも無しと思えば」という歌は道長の勢い示す有名な歌ですが、この権勢を守るために信仰への思いも人並み外れたものだったのでしょう。



★『興福寺 国宝館』(阿修羅は今は福岡、パネルでの展示)

奈良時代になると盛んに仏像が造られるようになりました。
聖武天皇の存在が大きかったようです。
 
大勢の仏師が活躍しましたが、官営の造仏所が整備され、その結果、仏像はその工房の作品として扱われたでしょう、個人の名前が出ることは余りありませんでした。

正倉院文書の記録から阿修羅をはじめとする八部衆や十大弟子といった乾漆像の作者は百済から渡来した仏師・将軍万福であったことがわかりました。
白村江の戦の後に百済からの渡来人です。橘三千代の一周忌の供養のために一年間という限られた期間で釈迦三尊像・八部衆像・十大弟子像など28躯の仏像を造りました。

阿修羅を始めとする八部衆を制作するにあたり、仏師将軍万福が選んだのは「脱活乾漆」(だっかつかんしつづくり)という技法でした。
木組みと粘土でつくった形に麻布をかぶせ、漆で固める。
その原型の一部に穴を開けて粘土をかき出す。
表面は木くずと漆を混ぜたペーストで形を整え漆ペーストによって微妙な形の変化をつけやすいものです。

内部が空洞の張り子である本体が乾いてもひび割れないためには、純度が高い高価な漆が必要でした。
正倉院文書の記録では、西金堂での造像に用いられた漆の量を「二十石九斗一升」と記されています。
一升が1.8ℓとすると…試算…3764.8ℓ!!
資料によれば、当時の漆は米の10倍とも60000倍ともいえる値段で、西金堂造営経費の1/5を漆が占めるほどでした。
その高価さのため、脱活乾漆は奈良時代だけで消え去っていったようです。
その点からもすごい希少価値。

写実的な立体像を造ろうとするとき、その素材の特性がものをいう。木や石から削りだそうとすれば相当の技が必要で、微妙な変化をつけるのが難しい。土をこねれば簡単かもしれないが、重くなる。
漆と麻布で固めた表面は大変薄く、中は空洞なので非常に軽量です。

八部衆の平均重量は台座を含めても22.8kg、最大は緊那羅で28kg、阿修羅は25.4kg。十大弟子の平均重量は23.3kgなので八部衆と大差はありません。
従って、火事の時に比較的簡単に避難させることができ、1300年間保存されてきたのです。

興福寺を中心に沢山の傑作を残した、この時代を代表する仏師、将軍万福は「倭の人という自覚は薄く、百済の人としての意識を強く持っていた」のかもしれません。
百済は奈良時代より半世紀前、660年に唐・新羅によって滅ぼされました。
混乱の中、倭国へ渡った人々が伝えた文化や技術の多様さと深さは計り知れません。
天平文化を花咲かせたのは、実のところ百済人なのかもしれません。

ほうらんや火祭り

2009-08-15 | Weblog
昭和57年に奈良県の無形民俗文化財に指定された「ほうらんや火祭」。
直径1.5m、高さ3m、重さ500㎏を超える大松明を担ぎ、八幡神社と春日神社の境内をねる勇敢でにぎやかな祭りです。
ここは春日神社。
わりとローカルなお祭りで知られてない…
タクシーも神社を捜すのがやっとでした。
ボ~っと炎をあげる大松明、迫力!
間近で見れるから、火の粉を浴びられます(~o~)(←それがいいのか悪いか)
アチッ、アチッ!
炎にドキドキ。

なら燈花会

2009-08-14 | Weblog
春日大社・中元万燈籠
石燈籠約2000基、釣燈籠約1000基の合計約3000基に灯りがともります。
昔、燈籠奉納時は毎夜灯がともされていましたが、明治時代に入り神社制度の変革で中断され、現在は節分の夜と、中元の夜だけ再興され、現在の万燈籠の形となりました。
今日は年にたった2回の万燈籠の日、浄火を献じて神様に様々な祈願をする大勢の人が春日大社に足を運びます。

参道を一歩一歩。万燈籠とろうそくの灯りに照らされた朱に輝く社が暗闇から浮かび上がり、思わず息をのむ。
長蛇の列を待って回廊を進み余韻も冷めぬまま出口へ。
出口で読売新聞の記者に感想を聞かれました!
「何を祈りました?」「どんな風に感じました?」「どちらから?」「お名前は?年齢は?」
(名前とか年齢とかいるん!?って思いながら…)
宗派は違えども、そこは無難にこの幽玄美を壊さぬよう答えておきました(^^)v
明日にはもしか、紙面に載るかも!?

なら燈花会
5つの燈花会の会場で駅前からの奈良市内は灯りでうまります。スケールが大きい…
聖武天皇が生涯をかけて建立した東大寺。
当時は、一万五千もの燈火が灯されたといいます。
燈火の中で、人々は心から平和を願ったに違いない。
1300年の時を超え、天平の人々と同じ願いを託し、ろうそくのひとつひとつに火を灯します。
ゆらめく灯りの幻想的な景色はかなり感動します。

まとくん&せんとくん

2009-08-13 | Weblog
いつものせんとくんに今日はまんとくんもお出迎え。
あんまりかわいくなかったせんとくんも毎回見てると情がわいてくるもんだなぁ。
あんまり好きでもない人も度々逢ってるとなんとなくなじんでくるっていうのもまんざら嘘じゃないのかも。

まんとくんはお初。
鹿のキャラクターだったみたい。(へぇ~そうなの!?鹿には…)
かぶってるのは朱雀門(そういわれればそう)、白いマントをはおってます。
白いマントには四季折々、奈良の都にちなんだ模様のマントをはおっていく予定だそうです。(今は白紙)

「まんとくん」という名前は、漢字は「万人くん」で、万人に愛されて大きく育つようにだって。
「万葉集」の万人、都に満ちる「満都」もかけたとか。

ドクターフィッシュ!?

2009-08-12 | Weblog
飛び石にやってきました!
冷たい川の流れ気持ちいい。
靴を脱いで足をつけると、小魚の稚魚!?たち興味津々。
恐る恐る偵察にやってきます。
最初は好奇心満々の2,3匹。
数分経つと仲間が次々やってきます。
ツンツン足をかじり始めます。
(実際は触れてるって感覚もないけど彼らにしたらかじってるんだろうなって)
天然のドクターフィッシュだ!
左足が人気。
(左右同じようにしててもなぜか稚魚たちにも好みってもんがあるらしい)
たわむれること(実際は驚かさないようにじっとしてるだけ、心の中でめっちゃたわむれてるだけだけど…)しばし、澄んだ空気と川の流れに癒されるのでした。



二胡だよ‐♪

2009-08-09 | Weblog
いきなり『埴生の宿』やら『朧月夜』からスタートになって猛!?練習中。
3回目の教室で、ポジションが3つあることを知った!!
ドソ弦のポジション覚えたかぁ~っていい気になってたところ…
今までのドがソになります???
えっ!?
今日からソレ弦の練習。
『ふるさと』&『うみ』宿題^^;

億万長者!?

2009-08-08 | Weblog
人生ゲームです。
(ユキちゃん真剣にルーレット回してます!)

私は職業はアイドル♪やがてハリウッドスターに!
(スタートから上々)
家も建ててないうちから‘火災保険'に入ってつっ込み失笑されたり、ギャンブルのすべてに負けの辛酸をなめたりするも一位であがり♪
$727000で億万長者に↑↑

…ゲーム楽しいなぁ。。。ウハ

みんなで焼肉もおいしいし。
私も〆のやきそば作ってみたし…
Happyな一日でした!