いったりきたり

いつも通りの日をまじめに過ごしながらにっこりしたりきゅんと身にしみたり

DZ

2006-09-30 | Weblog
DZとは二卵性双生児のことで、そのタイトルの意味がわかってくるのは物語りも後半。
物語の軸となる登場人物は知らず知らずのうちに事件に呑み込まれ、小さな手がかりの欠片から真相が浮かび上がる。
DZのテーマは人類の種としての進化。

主人公はロバートソン型転座というふつうの人間との間には子孫を残すことのできない天才研究者。
その天才研究者が「自分は新しい種」と、自然界では子孫を残せず一代で絶える運命を、あらゆる遺伝技術を駆使して“種の保存”に野心を燃やす。

進化?変異?生存に有利な異常もありえる?
偶然を定着させようとする絶望的な戦い。

確かに私は自分の人生を愛してはいるけれども、“自分のあとに残るもの” それを少し残酷に思い知らされた気持ちになった。

湯あみ

2006-09-16 | Weblog
長島ジャズドリーム、湯あみに!
本当は遊園地でハジケル予定がで…
残念ー
まだまだ“乱暴な乗り物”大好きなのさっ。

湯あみはとても広大。
外だしね。裸で行動するから裸族にでもなった気分。
のっしのっし歩く
そそと歩く
大胆な人やら、恥ずかしそうな人やら
いろんな性格あっておもしろい


万葉会館

2006-09-09 | Weblog
奈良県橿原市、飛鳥時代大規模な都として、694年に藤原京がつくられた街。
畝傍山・耳成山・天香久山の大和三山は古代人の信仰にされ万葉集に詠まれた。
深い緑の静寂な山々の中に、その緑と空、人の運命と時代の交代劇を思い描きしばらく見入ったままで動けなくなった。

いつの時代が好きか?と聞かれれば迷わず飛鳥時代と答える。好きというか、憧れ恋慕うような感覚だから。
645年大化の改新から天武天皇即位までの28年間。
中学生のとき始めて憧れを抱いたのが大海人皇子。全くの空想の世界で描ききってしまった感もあるけど。
かつての恋人額田王との「あかねさす紫の行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」
「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」は有名。
宴の席での戯れの歌とされているけど、私にとっての解釈は相聞歌のままで。

「歌う」は「訴う」に通じるという説がある。
やむにやまれぬ思いを伝えずにはにはおられない
―歌にはそうした素朴な、特別な者同士の共感が横たわっているものだからだ。
大事なことは軽く伝える。ちょっとした言葉が思いもかけない形で人の心に触れることがある。他の人には取るに足りない言葉、でもある特定の人にはわかる。芯にあるものを伝えられたらいい。

ラッシュライフ

2006-09-02 | Weblog
“ラッシュ”とはLush・Rush・Lash・Rash
豊潤なとか忙殺されるとか濫費するとか軽率なとか意味合いがあるらしくそれぞれの“ラッシュ”な5つストーリーをバラバラに描いていく。
でも、それはどこかで何かがつながりをもっていて、最後には1つの話となっていく。

とてもスタイリッシュ。

この小説を読んで、ある言葉を思い出した。
セレンディピティ(Serendipity) 「幸福な偶然の発見」という意味で、たまたま幸福(偶然)をつかまえる、ということ。
でも、この“たまたま”といのはたまたまであって、たまたまではないという。
日ごろ頭に残っていることが大事。
日ごろ頭に残っているとふっと捕まえられる。ちょうどそいつが浮き上がって来たときに捕まえられるそう。

去年、驚くような“セレンディピティ”をつかまえたけど、この小説のようにまったく切り離されたそれぞれの人生が実はどこか雲のように繋がっていて、日ごろ胸にある記憶が偶然の幸福をつなぐ絆になったのか…と思うと何かに感謝したいようなそんな気持ちになる。

小説の中で、40回も就職を落とされた中年の男が、道端で拾った老犬と引き換えに金持ちの男から仕事先を斡旋してもらえるいうシーンがある。
金持ちの男は当然そんな汚い老犬など、やすやすと差し出すことだろうとギラギラした目でその男をみるが、そこでの男の台詞がいい「これは手放してはいけない気がするんです。譲ってはいけないもの。そういうものってあります。」
ここが一番私の好きな場面。