いったりきたり

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ヨルダン・イスラエル・ドバイ Vol30

2015-02-26 | 海外旅行

キリストの生誕教会はベツレヘムにあります。
エルサレムから南へ10km、標高726mの小高い丘の上にあるのが聖地ベツレヘムです。
パレスチナ自治区の中にあり、分離壁で隔離されているため、観光バスで検問所を越えます。ベツレヘムに入る時には、それほど検問は厳しくありません。
検問所を通過した後はベツレヘムの小型のバスに乗り換えて、キリスト生誕教会へ向かいました。

ベツレヘムではクリスマスのお祝いは、3つ。
12月25日はローマカトリックとプロテスタントにとって伝統的な祝日。
エルサレム総主教庁、コプト正教会、シリア正教会では1月6日から。
アルメニア正教会では1月18日から祝います。

コンスタンティヌス帝の母ヘレナにより、イエス生誕の地とされた地下洞窟の上に聖誕教会が建設され、339年に完成されました。
その後火災にあい、6世紀にユスティニアヌス帝により再建。
現在の建物は十字軍時代に修復され、外敵の攻撃を防ぐために要塞化されたものです。

教会の入口は「謙虚の扉」と呼ばれる狭い入口。そこを入ると大理石の太い柱が並び、天井からは金属製のランプがたくさんぶら下がっています。

高い天井と両側に大理石の列柱が並ぶ壮大で荘厳な雰囲気がただよう礼拝堂です。講堂みたいな広いフロアで明日のXmasの準備中でした。

珍しい「褐色の聖母子像」がかけてあります。キリスト教が広がる前のローマ帝国には、豊穣をもたらす大地母神が盛んに崇拝されていました。栄養分のある大地は黒い。
キリスト教的には悪魔の色でもある黒だが、それ以外の多くの信仰においては、よき作物を育てる大地、豊穣の象徴といえば「黒」なのでした。

「黒いマリア」は、この大地母神をキリスト教に取り込んだものだといわれています。

ローマ帝国で最も人気の有ったエジプト神話の大地母神イシスを取り込み、キリスト教を広めるために役立てたとも、褐色のマリアを問題にした修道会もあったようですが、キリスト教が新大陸で勢力を伸ばしたのは、褐色のマリアのおかげだったようです。 

 正面の祭壇はギリシア正教会が管理しています。

このフロアを通り抜けて進み、狭い階段を下りて地下へ行くと、キリストが生まれたとされる洞窟の場所があります。
そこへの入口は巡礼者や観光客であふれており、順番待ちの行列です。

 なんか「Together! Together!」ってゆわれて。。。 

順番が来て狭い階段を下って地下洞窟に下りると大理石の祭壇があます。

ろうそくが灯されていて、その下に生まれたとされる場所があり、その中央に銀製の星型が取り付けられて、生誕場所を示しています。

イエスの時代は、この洞穴は馬小屋として使われていたらしいです。

 

 

その隣には生まれたイエスを寝かせたという石造りの飼い葉桶がある。当時は木製ではなく石造りだったようです。
簡素で分かりやすいです。イエスは飼い葉桶の中で眠っています。 

ベツレヘムは「ダビデの町」とも呼ばれています。また、この地から救世主が出現すると信じられており、この地でイエスは生まれたのです。
イエスの両親であるヨセフとマリアは、ガリラヤのナザレに住んでいましたが、マリアが出生のお告げを受けてから、ベツレヘムに来た理由は「人口調査のため」となっているそうです。
日が暮れようとしたとき、ふたりはベツレヘムで宿を探しました。
しかし、住民登録のための客があまりにも大勢いたため、宿は満員で泊まることができなかったそうです。
やむなくふたりは、近くにあった洞窟のなかに入り、そこでマリアはイエスを出産します。
そして、その子を布に包んで、飼い葉桶に寝かせのでした。

そして、ベツレヘムで生まれたイエスは、ナザレで育ち、やがてガリラヤ湖周辺で宣教活動をし、数々の奇跡を起こし民衆の心をとらえ、熱狂的な支持を得て行くことになるのです。

聖誕教会内部の古いモザイクの床、教会の床にはところどころ穴が開けてあり、モザイクが見られます。それはコンスタンティヌス帝の頃のもの。

聖カテリーナ教会、生誕教会に隣接してフランシスコ会の聖カテリーナ教会があります。
ヒエロニムスの像 
彼はこの教会の洞窟にたてこもって、ヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳した人です。ヒエロニムスを援助したのがバウラと呼ばれるローマの婦人です。
彼女の協力で翻訳を完成させることができたといいます。
バウラの死後、彼は彼女の骨をそばに置き、翻訳作業を続けたと。ヒエロニムスの像をよく見ると、彼の足下に頭蓋骨が置かれています。

密度の濃い一日でした!ホテルに帰って夕食。。。