いったりきたり

いつも通りの日をまじめに過ごしながらにっこりしたりきゅんと身にしみたり

フォーレのレクイエム

2007-12-24 | Weblog
12月23日 第6回伊勢志摩第九コンサート。
10月から練習に参加して初舞台をふみました。
練習不足がたたって、肝心の第九は最終の激しい盛り上がりのアップテンポには全くついていけず…必死のクチパク。
クチパクすら中の下ほどの有様。
でも、コンサート終了時には、これ一心にかけて練習してきた方々と同じように感動しましたから、私ってつくづく効率よくできてるなーって我ながら感心!

今年の演奏会は第九の他に第1部でガブリオレ・フォーレ作曲のレクイエムを歌いました。
なっ何?宗教歌!最初は、第九だけでも大変なのにそんな…という悲観でしたが、始めて聞いたとき、この世にこんなに壮麗で優しくて美しい音楽があるんだと、心がふるえて涙が出そうになりました。
どういうところが…というとあんまり素人すぎて恥ずかしいんですが、半音上がったり半音下がったりするところです。なんだか『悪魔ちっく』でハラハラさせられて、全体の優しい雰囲気の中でグッと気持ちを惹きつけられます。

フォーレのレクイエムに出会ったことは、今まで無関心だったりしたのに、何らかのきっかけで深い親しみを持つようになる。まさにそんな感覚です。
優れた音楽ほど、まるで聞き手と一緒に成長したのではないかと思えるくらい、聞く側の受容度が高く、あるいは広くなった分だけというように、練習の度に新しい顔でこたえていってくれるかのようでした。

レクイエムは日本語では「死者のためのミサ曲」とか「鎮魂歌」というふうに訳されています。実際、この作品は作曲者であるフォーレのお父さんが亡くなったのをきっかけに作られました。
レクイエムは、モーツアルトの作品も有名だそうで、先週モーツアルトのレクイエムのコンサートを鑑賞しましたが、私はフォーレのものがやっぱり好きです。

モーツアルトの作品はなんだかオペラチックな感じがして、『オレの才能はスゴイだろ?』みたいなものを匂わせられるようで嫌気がさしました。(あくまでも個人的な感想なので…すみません)

今回の第九の演奏会に参加して一番良かったことはフォーレという作曲家を知ったことそしてその音楽に出会ったことです。

ため息をつきたくなる美しさ…
フォーレのレクイエムは、死は恐れているような不気味な妖怪としてではなく、親切な友のように訪れ手を引いて敷居を越えさせてくれるかのよう。

たくさんの指揮者が演奏していますが、指揮者でどんな風に違うのか聞き分けがしたくなってクリュイタンス盤とこのコルボ盤の2つのCDを注文しました。
届くのが楽しみです。


突然の木の実

2007-12-16 | Weblog
私たちの心はたくさんのいろいろな種類の『好き』への引力でバランスを保っている

思ったとおりにすることと、軽はずみってどう違うんだろう
幸福な感じでカンネンして……「うん」とうなずいてみる

忘年会シーズン

2007-12-08 | Weblog
豪奢なホテルのラウンジや洒落たお店では、背伸びをした感じになって『こういうところは慣れてるんだ』いう風にゆとりをみせて振舞ったりして、みっともない姿はお見せできないというつまりエエカッコシィの自分がある。
季節柄、外で食事をする機会が多くなり、その場所によっていろんな自分が登場して我ながらおもしろい。

ひとつの私なのに、いろんな言われ方をされる。
『品行方正』っていうようなことだったり『野次馬根性まるだし』だったり、『よく気が利く』だというようなことだったり『欲張り』とコズかれたり。『控えめ』だったり『けんか腰』だったりと。
ないと思っていた『落ち着き』や『お色気』まであると言われたときはさすがに意外で笑ってしまった

落語の世界で七分の粋と三分の野暮。という言葉があって、私も、行儀の良さの中にキラッと混じるユーモアみたいなものをモットーにしてはいるが…最近は野暮と粋が逆転していないかとふと頭を掻いた。

女盗賊プーラン

2007-12-02 | Weblog
貧困層から圧倒的な支持を得て、国会議員に当選した元女盗賊プーラン・デヴィ。政府から懸賞金付のお尋ね者となり1983年に司法取引に応じて投稿するまでの彼女自身の口述による自伝。

インドと聞いてまず思い浮かべるのはなんだろう。
2000年に観光した『世界一美しいだろう』と思った白亜の霊廟タージマハル。
その一方世界第二位の人口をかかえる大国インドの都市と農村の格差は相当でカースト制度という人々の意識の格差はかなりの隔たりを未だに生んでいる。
核実験を成功させ、ノーベル賞学者を輩出し、今ではIT分野において世界水準での成長をみせ、映画の製作数は世界No1。
なのに、文盲率は人口の半分、電気も水道もない環境に暮らす人が多くいる。
(高速道路といわれる道に私たちの観光バスと同じようにラクダが走っていくのには仰天した覚えがある)
プーランはそんなインドの農村の貧しい低カースト、マッラの家に生まれた。
幼い頃から畑で働き、家畜の世話をして学校には行かせてもらえないから、読み書きは出来ない。
彼女らがタクールと言う権力者階級は低カーストの村人に対して何をやっても許されている。
これは決して昔の話ではなく、つい二十数年前の話だ。

人は誰でも自分の過去から逃げることはできない。
私たちが抱えている過去には美しい思い出や素晴らしい出来事ばかりでなく、つらい思いや悲しい出来事、悔しい出来事もたくさん詰まっている。
自分の過去について好き?嫌い?満足している?暖かいイメージを持っている?よく思い出す?思い出すのが好き?人に語りたい?人によく語っている?とらわれている?消してしまいたい?…少し考えてみて

起こったときの視点と思い出したときの視点が違うことで、同じ過去の出来事でも、その意味付けが違ってくるように思う。
私自身が感じることだけど、少しずつ社会の経験を積むことで、自信や安定が増してくると振り返り方に余裕が出てきて、そして失敗や挫折、つらい時へのとらわれから解放されてくるよう―
起こった出来事、つまり…自分を構成している“素材”は変わらなくても“意味付け”が変わることで過去の持つ意味は大きく変わっていく。
私たちは客観的な事実の世界を生きているんじゃなく、『意味の世界』を生きているのだ…と。

意味の世界はいくらでも変えることができます。その意味で私たちは過去を変えることができるのです。

この本が出版された意義は彼女の虐待や復讐の公開にあるのではなく、新しい人生に向けて歩みだし、ライフルではなく政治の力で戦いを始めたプーランの半生から、私はそういうことを強く感じた。