『Mフェア21』の中で、「尽くしたい派」か「尽くされたい派」かのアンケートがあり、くぅは予想どおり「尽くしたい派」であると答えた。
ファンなら誰でも知っているように、「くぅは、恋愛になると尽くす」人である。
もうひとつ、ファンなら誰でも知っているように、「くぅは、彼氏の【携帯】を見る」人である。
実は、私も「(もし)恋愛をしたら、尽くす」人である・・・w(どうでもいいことであるが・・・www)
しかし、(もし彼女がいたとしても)、【携帯】を見たりしない・・・。
(実際に、奥さんの携帯を見たことなどない。)
そのことが、どうしても気になっていた・・・。
そこで出たひとつの結論が、以下である。
【尽くす】と【尽くしたい】は、違うものである。
そもそも、基本的に人は「恋愛」をすると、相手に対して何らかの【尽くす】行為をするものではないだろうか?
例えば、「贈り物」であり、「手料理」であり、「褒め言葉」、・・・である。
好きになった相手に対して、何かをしてあげたい、相手を「喜ばせたい」と思うのが「恋愛」なのではないだろうか?
人によって、その行為の「質」「量」に差があるというのではないだろうか?
では、なぜ「尽くす」のかを考えてみよう。
答えは、簡単である。「応えて」欲しいのである。
多かれ少なかれ、「恋愛」は「ギブ・アンド・テイク」である。「見返り」を期待しているのである。
そんなことはないという人もあるかもしれないが、「恋愛」はそうである。間違いない!
ただ、人によってその「見返り」の「期待値」に差があるのである。
くぅについて、考えてみた。
くぅは、かなりの「見返り」を期待している人である、と私は見た。
「尽くされたい」(たくさん愛されたい)からこそ、たくさん【尽くす】のではないだろうか?
「見返り」を期待するし、自らの【尽くす】行為に対する「代償」を強く求めているに違いない。
だから、自分に対する「裏切り」を許さないのではないか?
それが、「携帯を見る」という行為なのではないだろうか?
くぅの恋愛観を、他にも挙げてみよう。
☆白黒つけたい。→早く、「次」へ行く。
これも、「見返り」が期待できないと「見切り」をつけたら、もう別の相手を探そうとするくらいハッキリしているのである。
『愛のうた』のリリース時の、くぅのコメントを覚えているだろうか?
今までの自分の恋愛観とは、真逆の恋である
『愛のうた』の「女の子」は、ひたすら【尽くす】人である。【尽くす】ことだけで、「満足」なのである。たとえ終わって「いた」としても、それを「確定」しないで欲しい、「嘘」でもいいから終わらせないで欲しいという女性である。
究極の【尽くしたい派】である。彼女の【尽くす】見返りは、彼女の「想い」を拒否しないことである。嘘でも「恋人」のフリを続けてくれるだけでいいのである。
くぅは、自分はそうではない(白黒ハッキリさせたい)と言っていた。
もしかしたら、彼女と彼の間には「不釣合い」なくらいの立場の違いがあるのではないだろうか・・・?
「モテ男」くんや「モテ子」さんは、どうだろうか?
「モテ男」くんや「モテ子」さんは、【尽くしたい派】である。
なぜなら、彼らは【尽くされる】ことに「慣れ」ているからである。【尽くす】必要なく(暇なく)、【尽くされる】からである。だから、本気で「恋愛」しない。「遊び」である。
そんな「モテ男」くんや「モテ子」さんが「本物」の恋をすると、どうなるだろうか?
【尽くす派】に変身するのではないだろうか? 普段【尽くしていない】から・・・。
心の中で“【尽くしたい】”と、密かに想い続けていたからに違いない。
私のように、「モテナイ男」くんは、「モテタイ(【尽くされたい】)」から、【尽くす】のである。普段、あんまり【尽くされない】からである・・・w
ただ、私はくぅほど「見返り」は期待しない。「ありがとう」のひと言か、「スマイル」で十分である。(ほんとだよ・・・w 信じるか、信じないかはアナタ次第!www)
ちょっとキツイ言い方だけど、「神田來未子」さんは「モテ子」さんではなかったw
だから、【尽くす派】そして【尽くされたい派】になったのでは、ないだろうか?
それも、かなり「見返り」を期待する人だったのではないだろうか?
くぅは、ファンに対して「テンコ盛り」のサービス精神旺盛な人である。
ということは、ファンたる者、相当な「見返り」をくぅ様にしなければいけないのである。
くぅちゃん、かわいい! くぅちゃん、大好き!
は、当然である。
CDやライヴグッズなども、財布の神様が許す限り、ご奉仕しなければいけないのである。 ・・・かも
ただし、「倖田來未」は、今や誰もが認める「モテ子」さんである。
じゃあ、「くぅ」は、【尽くしたい派」、それとも【尽くされたい派】?
ファンなら誰でも知っているように、「くぅは、恋愛になると尽くす」人である。
もうひとつ、ファンなら誰でも知っているように、「くぅは、彼氏の【携帯】を見る」人である。
実は、私も「(もし)恋愛をしたら、尽くす」人である・・・w(どうでもいいことであるが・・・www)
しかし、(もし彼女がいたとしても)、【携帯】を見たりしない・・・。
(実際に、奥さんの携帯を見たことなどない。)
そのことが、どうしても気になっていた・・・。
そこで出たひとつの結論が、以下である。
【尽くす】と【尽くしたい】は、違うものである。
そもそも、基本的に人は「恋愛」をすると、相手に対して何らかの【尽くす】行為をするものではないだろうか?
例えば、「贈り物」であり、「手料理」であり、「褒め言葉」、・・・である。
好きになった相手に対して、何かをしてあげたい、相手を「喜ばせたい」と思うのが「恋愛」なのではないだろうか?
人によって、その行為の「質」「量」に差があるというのではないだろうか?
では、なぜ「尽くす」のかを考えてみよう。
答えは、簡単である。「応えて」欲しいのである。
多かれ少なかれ、「恋愛」は「ギブ・アンド・テイク」である。「見返り」を期待しているのである。
そんなことはないという人もあるかもしれないが、「恋愛」はそうである。間違いない!
ただ、人によってその「見返り」の「期待値」に差があるのである。
くぅについて、考えてみた。
くぅは、かなりの「見返り」を期待している人である、と私は見た。
「尽くされたい」(たくさん愛されたい)からこそ、たくさん【尽くす】のではないだろうか?
「見返り」を期待するし、自らの【尽くす】行為に対する「代償」を強く求めているに違いない。
だから、自分に対する「裏切り」を許さないのではないか?
それが、「携帯を見る」という行為なのではないだろうか?
くぅの恋愛観を、他にも挙げてみよう。
☆白黒つけたい。→早く、「次」へ行く。
これも、「見返り」が期待できないと「見切り」をつけたら、もう別の相手を探そうとするくらいハッキリしているのである。
『愛のうた』のリリース時の、くぅのコメントを覚えているだろうか?
今までの自分の恋愛観とは、真逆の恋である
『愛のうた』の「女の子」は、ひたすら【尽くす】人である。【尽くす】ことだけで、「満足」なのである。たとえ終わって「いた」としても、それを「確定」しないで欲しい、「嘘」でもいいから終わらせないで欲しいという女性である。
究極の【尽くしたい派】である。彼女の【尽くす】見返りは、彼女の「想い」を拒否しないことである。嘘でも「恋人」のフリを続けてくれるだけでいいのである。
くぅは、自分はそうではない(白黒ハッキリさせたい)と言っていた。
もしかしたら、彼女と彼の間には「不釣合い」なくらいの立場の違いがあるのではないだろうか・・・?
「モテ男」くんや「モテ子」さんは、どうだろうか?
「モテ男」くんや「モテ子」さんは、【尽くしたい派】である。
なぜなら、彼らは【尽くされる】ことに「慣れ」ているからである。【尽くす】必要なく(暇なく)、【尽くされる】からである。だから、本気で「恋愛」しない。「遊び」である。
そんな「モテ男」くんや「モテ子」さんが「本物」の恋をすると、どうなるだろうか?
【尽くす派】に変身するのではないだろうか? 普段【尽くしていない】から・・・。
心の中で“【尽くしたい】”と、密かに想い続けていたからに違いない。
私のように、「モテナイ男」くんは、「モテタイ(【尽くされたい】)」から、【尽くす】のである。普段、あんまり【尽くされない】からである・・・w
ただ、私はくぅほど「見返り」は期待しない。「ありがとう」のひと言か、「スマイル」で十分である。(ほんとだよ・・・w 信じるか、信じないかはアナタ次第!www)
ちょっとキツイ言い方だけど、「神田來未子」さんは「モテ子」さんではなかったw
だから、【尽くす派】そして【尽くされたい派】になったのでは、ないだろうか?
それも、かなり「見返り」を期待する人だったのではないだろうか?
くぅは、ファンに対して「テンコ盛り」のサービス精神旺盛な人である。
ということは、ファンたる者、相当な「見返り」をくぅ様にしなければいけないのである。
くぅちゃん、かわいい! くぅちゃん、大好き!
は、当然である。
CDやライヴグッズなども、財布の神様が許す限り、ご奉仕しなければいけないのである。 ・・・かも
ただし、「倖田來未」は、今や誰もが認める「モテ子」さんである。
じゃあ、「くぅ」は、【尽くしたい派」、それとも【尽くされたい派】?
ヴぁるすさんらしい、素敵な分析です。
思わず、足跡代わりに・・・・・
(^凹^)ガハハ
お久しぶりですね・・・w あまり、「注文」ばかりつけてたから、お見限りかと思ってました・・・www
すべて「妄想」なんですよ。あんまり「恋愛」したことないんです・・・