春 夏 秋 冬

めぐり来る 春夏秋 麗しき 大和し護れ 民草いとえ 
          

ブログ休止のお知らせ

このブログの表題に入れた短歌の、春夏秋冬の中の冬の字が、誰かによって削られて、修正不能になって久しいのですが、昨日から編集画面までが、誰かにいじられたようで、出す事が出来なくなっています。 この記事作成画面も、何時使用不能になるかもしれない状況にありますので、 春夏秋冬はこの記事をもって、しばらく休ませていただく事にしました。(2010年3月) * * * * * * *  Fc2ブログに不祥事が起き、広告主が引き上げたそうです。 Fc2は何時終了になるか予断を許さない状況かと思い、 気になる過去記事を少しずつ、こちらのブログに写す事にしました。(2015・4・24)

上関原発の予定地の人々の苦衷を思う

2009年09月12日 17時18分30秒 | 原発・エネルギー問題

上関原発建設計画:漁民「海は売ってない」 埋め立て阻止、にらみ合い続く /山口
 上関町長島での原発建設計画を巡り、埋め立て工事の着手を目指す中国電力と同町祝島の漁民らとのにらみ合いは11日も8時間半にわたって続いた。灯浮標(ブイ)が置いてある平生町田名埠頭(ふとう)近くの海上では、漁船が中電の船に横付けして抗議、陸上で座り込むメンバーも埠頭のフェンス越しに「中電帰れ」のコールを繰り返した。

 11日午前6時ごろから、祝島の漁船約20隻が埠頭の岸壁に集結し、陸上に約60人が座り込んだ。7時半ごろに現れた中電の船に漁船1隻が接近し、中電の船を押し返した。漁船に乗った島の女性たちが「海は売っていませんから帰って下さい」「生活の場を失うわけにはいかない」などと約1時間にわたって訴えた。女性たちは午後3時ごろにも船に乗り、再び激しく抗議した。

 「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の山戸貞夫代表が一時下船し、陸上で「中電は私たちの苦しみが分かっていない」と訴えた。山戸代表によると、12日午前9時から県内の反原発グループが田名埠頭に集まり、抗議集会を開く予定。【近藤聡司、内田久光】


今日も上関町では、中国電力と祝島の漁民とのにらみ合いが続いてるという。

「海は売っていませんから帰って下さい」「生活の場を失うわけにはいかない」と言う島の人たちの苦衷を無視して原発建設は断行されるのだろうか?
かつてdendrodiumで、「山口県上関の海に 原発を造る計画を立てる無責任な人達 」と言う記事を書いたことがあるが、この計画受け入れの時の上関議会の議決は、8:4で、賛成が反対の倍であるとは言え、たったの8人の賛成票で、決まったのである。

しかも上関原発の案は28年も昔からあって、住民が猛反対を続けても、尚しつこく受け入れさせるようにあの手この手を使って議員を篭絡して、遂に賛成させたと言う経緯がある原発予定地なのである。
原発賛成派と反対派に島民が2分され、反対運動に疲れて島を離れた島民も多数有ったという。

中電と言うより政府の意を受けた県の意志により、反対運動をする人たちは何かと不自由になるように仕組まれていたのかもしれない。

東京の築地市場を、ガス工場跡地である豊洲に移転させると言う案にしても、
賛否半々になったとき、一人の委員が最後の最後に反対を賛成票に変えるまで、
何時間も投票を繰り返させて、遂に賛成に変って初めて、
委員会の議決は賛成多数と言うことにして、豊洲移転を決定したそうである。

反対している時は、住民の意思を聞かなかったことにして、
賛成が上回ったら途端に、それを住民の意思として強行しても、
民主主義が守られていると言えるのだろうか?

権力者が住民の代表を篭絡できるまで、待たねばならないという縛りはあるかもしれないけれど、
住民が反対しても反対しても、繰り返し繰り返し、賛成するまで決議させるのでは、
住民の意思を問うているのではなくて、権力者の意志を通す為の工作をしているだけと言うことになりはしないだろうか?

そうやって遂に力尽きた住民の反対を、力技で下して強行された公共工事なるものが、
日本中いたるところで、国民の税金を浪費しながら、自公政権下猛威を振るってきたのであった。

祝島の漁業者の生業を奪うだけでなく、将来的には瀬戸内沿岸の漁業者の生業をも奪うかも知れない、上関原発の建設は、何とか思い留まらせてほしいものである。