この日の目的はいつものように法然上人の、遺跡めぐりで「東大寺指図堂」へのお参りが目的でした。源平時代に平氏が東大寺を焼き討ちした折りに焼失しましたが、その修復工事を重源と云うお坊さんが、この場所から指図したそうです。
その後僧重源の願いにより法然上人がこの地で、説法をされたと云う故事が伝えられています。
このような法然上人の「霊跡」が、関西を中心に全部で二十五箇所もあって、私も上人の生地岡山の「誕生寺」はじめゆかりのある高松「法然寺」このブログでも触れた伊勢市の「欣浄寺」…と車で右往左往しながら、お参りだけは一旦は全部済ませた筈になっていました。
が、家内が岡山・高松へお参りした折りに、距離の遠いそのお寺の朱印を押した「掛け軸」を作り始めたので、京都や大和路など近いお寺をもう一度お参りしていますが、それも余すところ僅かになって来ました。
六月ぐらいには今度こそめでたく「満願」とるはずですが、さて、どんなことやら…このお寺の朱印は以前に一度お参りしてすでにで貰ってあるので、掛け軸に朱印を戴いて一応今日の目的は終了しました。
と云う訳で今日の用件はもう済んだようなものですので、後は奈良市内の定番コースを…春日大社 興福寺へ…と云うことになります。
(続く)
その後僧重源の願いにより法然上人がこの地で、説法をされたと云う故事が伝えられています。
このような法然上人の「霊跡」が、関西を中心に全部で二十五箇所もあって、私も上人の生地岡山の「誕生寺」はじめゆかりのある高松「法然寺」このブログでも触れた伊勢市の「欣浄寺」…と車で右往左往しながら、お参りだけは一旦は全部済ませた筈になっていました。
が、家内が岡山・高松へお参りした折りに、距離の遠いそのお寺の朱印を押した「掛け軸」を作り始めたので、京都や大和路など近いお寺をもう一度お参りしていますが、それも余すところ僅かになって来ました。
六月ぐらいには今度こそめでたく「満願」とるはずですが、さて、どんなことやら…このお寺の朱印は以前に一度お参りしてすでにで貰ってあるので、掛け軸に朱印を戴いて一応今日の目的は終了しました。
と云う訳で今日の用件はもう済んだようなものですので、後は奈良市内の定番コースを…春日大社 興福寺へ…と云うことになります。
(続く)