映画と音楽そして旅

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(バーチャル・ツアー)(11)「甲州軍団の夢の跡 武田神社」

2006-06-11 00:03:28 | 旅 おでかけ
 昨夜はとんだ手違いのため葡萄畑の物置小屋で、一泊して頂くことに相成りましたが、そのせいかツアーの皆さんは二日酔いで、お目覚めも至って悪くご機嫌も斜めのようでござります。
 そこでご機嫌を直して不景気な面を吹き飛ばして戴くために、当地では神様として尊敬されている、甲斐国領主武田信玄公を祀った武田神社にお参りしました。
 神社は武田家の旧宅跡に建てられ、戦国の世で最強を誇った甲州武田軍団の、つわものたちの夢の跡でもあります。
 武田信玄の宿敵と云えば云うまでもなく、越後の上杉謙信ですがこの二人は天下取りを目指しながら、志も半ばにして挫折したため、ローカル・レベルの英雄に終わって仕舞いました。
 しかし毛並みから云えば武田氏は甲斐源氏の流れを汲み、武士の家系としては最高の名門であり,当時は天下を狙うだけの実力もありました。
 武士の家柄であれば狙う究極の目標は「征夷大将軍」しかし将軍になるには武門の棟梁として相応しい家柄…つまり源氏の血統でなければ、将軍になれなかったのです。
 後年の豊臣秀吉が全国を制覇しながら、源氏の血脈でなかったために京都のお公家さんと親戚になって、やっと「関白」になれましたが念願とする将軍には、一生なれなかった事はよく知られています。
 
 戦国の時代で甲斐の武田家の最終目標は、やはり天下を我がものにして将軍になることだったのでしょう。
 上杉氏の家系については少し判りませんが、乱世の英雄として彼も天下取りの野望があったようで、京都へ上がるには甲斐の武田家はきわめて邪魔な存在でした。
 武田家から見ると背後でうごめく越後の上杉家が気になる存在であり、越後の動きを封じるためにわざわざはるか北方の信州まで出越して、川中島の決戦を挑んで見たりほんとにご苦労さんなことでござりました。
 武田家あるいは上杉家が当時の有力なライバル…今川 徳川 織田など各勢力を破って、天下を手中に収めていたら…
 歴史に「If」は禁句と云われますが…やっぱりそんなこと考えて、一人で勝手にワクワクして仕舞いますね。
 もし、もしもですよ…あえてタブーを破って妄想するならば…
 武田軍団が勝利を収めて、首尾よく天下を取っていたら…武田将軍家が日本を治めていたとすれば…関が原決戦も大阪城攻防戦も明治維新も太平洋戦争もなかったかも判りませんね。
 ひょっとしたら今までツアーで通って来た甲州街道が、「国道1号線」になっていたかも判らないし…
 ほんなら「京都」や「大阪」など「関西」の位置づけは一体どーなりまんねん…と、やっぱり心配になって来ましたがな…
 やっぱり今のままでよかったかな…
 今日は真面目な文章を書くつもりでスタートしたのですが、やっぱり誇大妄想風の文になって仕舞いました。
 でも、もう間もなく甲州ともおサラバです…
 憧れの信州はもうすぐですよ…
 
  (追記)
 今日の記事は先にお寄せ戴いた友人のコメントを参考にさせて戴きました。
 重ねて貴重なご意見を有難うございました。