長旅はやっと終わりましたが、このブログを作りながらふと、古い昔に読んだ本を思い出すことが多くありました。
今まで再三触れた宇野浩二の「山恋ひ」を始め、久米正雄「月よりの使者」そして井上靖「氷壁」は最も印象に残った作品でした。
二十二、三歳の頃…何を思ったか、今まであれほど熱を上げていた、映画や音楽のことを全く忘れて仕舞ったように急に本を読み始めました。それは多分、その頃つきあっていた友達の影響をモロに受けたからでしょう。
その頃に読んだ本の中に堀辰雄の小説「風立ちぬ」がありました。この作品では八ヶ岳山麓が舞台になっていましたが、実際のモデルになったのはこのブログでも触れた富士見高原であったことが、作者の年譜を見れば容易に推察されます。
堀辰雄は夏の軽井沢で知り合った少女と婚約しますが、彼女は病のために彼は富士見高原で、彼女といっしょに暮らす日々を送ります。
名作「風立ちぬ」はこの時の体験を綴った、彼の三十四歳の時の作品でした。と云う訳でこの作品を数十年ぶりに、読み返したくなって図書館で借りて来ました。
風立ちぬ いざ生きめやも
軽井沢の夏の日…薄(すすき)の生い茂った草原で、熱心に絵筆を動かす少女…それを白樺の木陰に身を横たえながら見守る「私」…
信州の夏は短くて…あたりにはもう初秋の気配が漂っているようでした。
この風景はあの頃の私を「堀辰雄の世界」へ惹きこむには十分でした。
<私達はあたかも蜜月の旅へでも出かけるように>高原に向かう汽車に乗り込みます。
<汽車が何度となく山を攀じのぼったり、深い渓谷に沿って走ったり、またそれから急に打ち展けて葡萄畑の多い台地を長いことかかって横切ったり…>しながら<物置小屋>みたいな小さい駅に止まります。(注)< >の部分は引用です。
これが当時の富士見駅だったのでしょうか…勿論、小説ですから多少の違いはあると思いますが、甲州から信州への旅を彼はこんな風に記していました。
富士見での単調な生活…ともすれば滅入りそうな二人の気持ち…
でも二人で一緒に「生きる」ことに、今まで気付かなかった小さな喜び…ささやかな幸せそしてかすかな希望を感じます。
夏から初秋へ…そして冬へ…と日毎にうつろっていく、信州の美しい自然が優しく鮮やかに描写されていました。
薄暗い影を落として暮れていくはるか遠くの山々を眺めながら、<後になってこの高原の美しい夕暮れを、きっと思い出すだろうね>と彼は云います。
そんな思いはやがて儚く消えていくのですが…
こんなに「純粋」で「無償」の「愛」のかたちもあったんだね…当時二十代前期…しかもまだ夢ばかり追っていた…独身だった私にとって、理想的な愛の表現として深い感動を味わったように思います。
待てど暮らせどこぬ人を
宵待ち草のやるせなさ
「宵待草」で知られる画家の竹久夢二も、ここで晩年を送りましたが、文学者や芸術家などとかかわりの多かった、富士見高原は信州と云えば決して忘れてはならない土地です。
山本茂実「野麦峠」…これはかなり後年になって読んだ本ですが、実は娘が借りて来た本を読んで見た…と云う程度で、当時は深く気に留めていませんでした。
しかし諏訪と云えば深いかかわりのあるこの「野麦峠」について、原作にもう一度接する時間がなかったので概略に止めました。
説明不足の箇所ははコメントなどの形で貴重なご意見を頂いて、補足して下さった皆様に心より感謝申し上げます。
余談になりますが同時に借りた堀辰雄の「美しい村」「大和路 信濃路」は信州や大和路の風物や自然が人々との交流などが描かれています。
奈良西ノ京あたりはまだ田園風の落ち着きを残していて、私も好きな場所ですがこの作品にも触れられている、「唐招提寺」は先月にお参りしたばかりでした。
「大和路…」の中の「浄瑠璃寺の春」…このお寺は正確には南山城なんですが…作者は奈良坂から歩いて2時間もかかった…そうですが、それにしてもなかなかの健脚…と改めて感服しました。
このお寺は連休の「大和路」のブログに触れたように、夕暮れで「閉門」のためお参り出来なかったお寺です。
我が家から車で30分程ですので、いずれ改めてもう一度…と思います。
今まで再三触れた宇野浩二の「山恋ひ」を始め、久米正雄「月よりの使者」そして井上靖「氷壁」は最も印象に残った作品でした。
二十二、三歳の頃…何を思ったか、今まであれほど熱を上げていた、映画や音楽のことを全く忘れて仕舞ったように急に本を読み始めました。それは多分、その頃つきあっていた友達の影響をモロに受けたからでしょう。
その頃に読んだ本の中に堀辰雄の小説「風立ちぬ」がありました。この作品では八ヶ岳山麓が舞台になっていましたが、実際のモデルになったのはこのブログでも触れた富士見高原であったことが、作者の年譜を見れば容易に推察されます。
堀辰雄は夏の軽井沢で知り合った少女と婚約しますが、彼女は病のために彼は富士見高原で、彼女といっしょに暮らす日々を送ります。
名作「風立ちぬ」はこの時の体験を綴った、彼の三十四歳の時の作品でした。と云う訳でこの作品を数十年ぶりに、読み返したくなって図書館で借りて来ました。
風立ちぬ いざ生きめやも
軽井沢の夏の日…薄(すすき)の生い茂った草原で、熱心に絵筆を動かす少女…それを白樺の木陰に身を横たえながら見守る「私」…
信州の夏は短くて…あたりにはもう初秋の気配が漂っているようでした。
この風景はあの頃の私を「堀辰雄の世界」へ惹きこむには十分でした。
<私達はあたかも蜜月の旅へでも出かけるように>高原に向かう汽車に乗り込みます。
<汽車が何度となく山を攀じのぼったり、深い渓谷に沿って走ったり、またそれから急に打ち展けて葡萄畑の多い台地を長いことかかって横切ったり…>しながら<物置小屋>みたいな小さい駅に止まります。(注)< >の部分は引用です。
これが当時の富士見駅だったのでしょうか…勿論、小説ですから多少の違いはあると思いますが、甲州から信州への旅を彼はこんな風に記していました。
富士見での単調な生活…ともすれば滅入りそうな二人の気持ち…
でも二人で一緒に「生きる」ことに、今まで気付かなかった小さな喜び…ささやかな幸せそしてかすかな希望を感じます。
夏から初秋へ…そして冬へ…と日毎にうつろっていく、信州の美しい自然が優しく鮮やかに描写されていました。
薄暗い影を落として暮れていくはるか遠くの山々を眺めながら、<後になってこの高原の美しい夕暮れを、きっと思い出すだろうね>と彼は云います。
そんな思いはやがて儚く消えていくのですが…
こんなに「純粋」で「無償」の「愛」のかたちもあったんだね…当時二十代前期…しかもまだ夢ばかり追っていた…独身だった私にとって、理想的な愛の表現として深い感動を味わったように思います。
待てど暮らせどこぬ人を
宵待ち草のやるせなさ
「宵待草」で知られる画家の竹久夢二も、ここで晩年を送りましたが、文学者や芸術家などとかかわりの多かった、富士見高原は信州と云えば決して忘れてはならない土地です。
山本茂実「野麦峠」…これはかなり後年になって読んだ本ですが、実は娘が借りて来た本を読んで見た…と云う程度で、当時は深く気に留めていませんでした。
しかし諏訪と云えば深いかかわりのあるこの「野麦峠」について、原作にもう一度接する時間がなかったので概略に止めました。
説明不足の箇所ははコメントなどの形で貴重なご意見を頂いて、補足して下さった皆様に心より感謝申し上げます。
余談になりますが同時に借りた堀辰雄の「美しい村」「大和路 信濃路」は信州や大和路の風物や自然が人々との交流などが描かれています。
奈良西ノ京あたりはまだ田園風の落ち着きを残していて、私も好きな場所ですがこの作品にも触れられている、「唐招提寺」は先月にお参りしたばかりでした。
「大和路…」の中の「浄瑠璃寺の春」…このお寺は正確には南山城なんですが…作者は奈良坂から歩いて2時間もかかった…そうですが、それにしてもなかなかの健脚…と改めて感服しました。
このお寺は連休の「大和路」のブログに触れたように、夕暮れで「閉門」のためお参り出来なかったお寺です。
我が家から車で30分程ですので、いずれ改めてもう一度…と思います。