岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

水族館の水槽。

2007-03-19 22:36:44 | まちづくり


飼うのは、海の魚の方が断然ムツカシイと、生徒が言っていた。それでも、毎日の餌やりから水槽管理など、楽しいと話してくれた。

高校の他にも、街中には民間の私設水族館が数多くあり、協力して水族館のまちづくりが行われている。
こうしたきっかけは、戦前期に名町長西村兵太郎が造った県下初の長浜水族館のイメージが地元の人たちに、今も根強く残っているからだろう。
かくいう岡目八目も、小学校低学年の頃に祖母にその水族館に連れて行ってもらったことがあり、入り口の竜宮城のような建物をぼんやりと覚えている。ある時代、長浜と言えば“水族館”だった。

JR長浜駅のそばに観光案内所があるが、それはその建物を意識したものだろう。(ちょっとあまりにも作りがいただけないが。)

西村兵太郎の銅像

2007-03-19 11:21:07 | まちづくり


長浜大橋建設の立役者である当時の長浜町長西村兵太郎は、現在長浜高校の角地に立派な銅像となっている。
彼は、全国的に見ても当時最先端であった開閉橋というハイテク橋梁をこの地に出現させたばかりでなく、他にも長浜水族館の建設、海水浴場の開設、県下初の水道事業の開始、愛媛鉄道事業の設立、等々のプロジェクトを次々に実施していった辣腕町長であった。
しかも、県議会議長まで兼務し(当時はそんなことも可能だったらしい)、加えて“笑破”という号を持つ俳人でもあった。
地方政治家としては、類まれな文化教養を伴ったスーパーヒーローのような人物。

赤橋(長浜大橋)

2007-03-19 11:06:04 | 土木遺産


ある意味、今日の見学メインでもある赤橋は、現役最古の開閉道路橋として有名であり、地域で愛され続けている“動態保存の橋”。

昭和10年に完成したが、設計は当時シカゴ帰りで新進気鋭の土木エンジニア増田洵。発注者は時の長浜町長西村兵太郎。

予約をしているので、昼前には橋を上げてもらうことになっている。

河口の町、長浜を一望。

2007-03-19 10:46:15 | 地形観察


長浜の町がこのように一望できる。
愛媛県下で最も大きな河川である肱川の河口の町の様子が手に取るようだ。
そして、大きな川の割には河口部の平野が殆ど無いに等しい。
例えば、四国三郎と異名を取る吉野川などは、広大な河口部のデルタに、県都徳島市のみならずの市町をいくつも抱えている。

これは、肱川が地理学用語で言うところの“先行河川”であるため、広い平野が出来なかったことによる。つまり、隆起速度よりも浸食作用の方が大きいために、V字谷が形成される。(肱川河口の新長浜大橋から上流方向を眺めるとそれがよく分かる。)
しかしその独特な地形こそが、実は地域気象として世界的にも類例の少ない“肱川嵐”という現象を生む元となる。

櫨(はぜ)の実。

2007-03-19 10:34:02 | 季節感


展望台のそばに、櫨の実が。
余談だが、この実を集めて蒸し、ドンゴロス(麻袋)に入れたそれを圧縮して搾り出した液を固めたもの、それが木蝋(もくろう)の元となる。
向こうは快晴の伊予灘である。

長浜展望台

2007-03-19 10:29:13 | 建見楽学


この土曜日には、NHK松山文化センターの「古建築と町並み散歩“長浜編”」があり、ここからガイドのスタート。

松山からだと、R378号線(ゆうやけこやけライン)を南下、長浜町今坊あたりで晴海の埋立地側に右折、ループ状の道を上がると、この展望台に行き着く。
まるで、マジンガーゼットのようないかつい風体の建物だが、眺めは最高。長浜の町を一望するには、ここが一番である。