今宵はクリスマスイブ。
私はクリスチャンでは無いが、クリスマスって、何だか嬉しい。
幼い頃は母が本物のモミの木を買ってきて、
家の玄関の部屋にクリスマスツリーをド~ンと飾ってくれた。
(2m以上あったと思う。母が大きな花瓶に生けてくれて、
母と飾りをいっぱい付けた。一番上の★は天井に届きそうだった。(*^_^*))
私はその頃、隣りの家と繋がった長屋に住んでいた。
家の前の道は車1台がどうにか通行できる程。
うちの玄関を開けると、
3畳ほどの部屋があり、その奥に4畳半ほどの部屋があり、
その向こうは外。
そう、そんな狭い家だった。
(ツリーはその3畳の部屋を占領していたんだ)
母が、生活の為に、お料理とお花を教えていたので、
台所だけは12畳ぐらいあったような気がする。
(高2の時に建て替え、今は人に貸しているので間取りの記憶は定かではないが。)
そんな家で兄と私は育った。
クリスマスには母が料理教室でケーキの作り方を教えていた為、
12月20日頃から、何人も人が家に来て、家中、ケーキの甘い香りが漂っていた。
一階建ての家だったが、
親戚の大工仕事のできるおじさんに、
屋根と天井の間に部屋らしきものを作ってもらった。
階段はハシゴ。
天井裏にできた部屋は出入り口が子供の胸の高さだったので、
頭を下げて出入りした。
小さな天窓のような物しか無く、部屋は暗くて夏は暑く、冬は寒かった。
それでも、私のりっぱなお城だった。
家の鴨居にロープを吊し、板きれをそれにつけ、
兄と家の中でブランコ遊びをした事もある。
父が猫好きだったのでネコが家に始終5匹は居た。
そんなネコたちと、おさしみの取り合いをしながら、
夕げの食卓を家族4人で囲んだ。
兄は家の隣の溝川で魚をタモで救っては猫にあげ、
ネコからの信望を一身に集めていた。
アマチュア無線とミニ魚釣りばかりをしていた兄を
近所の数学の塾の先生は随分心配してくれた「高校へ行けるのか?」と。
家ではそんなふうに、いつも兄は遊んでいて、
教科書類は全部学校へ置いてきていて学校へは殆ど手ぶらで行った。
私は、そんな4歳上の兄といつも一緒に居た。
兄妹喧嘩をしながらも、いつも兄の後ろにくっついていた。
本屋さんへ、竹籤(ひご)屋さんへ、文房具屋さんへ、いつも兄と一緒だった。
中学時代、数学の不得意だった私は、宿題を兄に渡し
「コレ、やっておいてね。私、眠いから寝る。」と脅迫した事もあった。
その代わり、兄には時々、お小遣いを貸してあげたわ。
さて、そんな昔の、ある12月の日、
兄と私は近くの文房具屋さんに、いつものように鉛筆か何かを買いに行った。
そこで、私はドナルドダックの子供達(?)の絵柄の緑色のクリスマスカードを
見つけ、無性に欲しくなった。可愛かった。
兄に相談すると「絶対、買ってはいけない。」と猛反対された。
ので、泣く泣く買うのを諦めた。
お兄ちゃんたら・・・、
お金使いが荒くて、いつもお小遣いが足りなくて、
母に前借りをお願いしたり、
私に「少しよこせ。」と言ってきたりするのに・・・と私は不満だった。
数日が過ぎ・・・
クリスマスイブの日・・・
ポスト受けに、
私宛の、そのクリスマスカードが入っていた・・・。
だから、
私は南こうせつの♪妹よ~♪で泣ける。
幸い父も母も健在だが、
♪お前は器量が悪いのだから~僕は随分心配したんだ~♪の部分で、
号泣
できる。
(アレ?エリリンちゃん、超美人じゃ、なかった???)
私はクリスチャンでは無いが、クリスマスって、何だか嬉しい。
幼い頃は母が本物のモミの木を買ってきて、
家の玄関の部屋にクリスマスツリーをド~ンと飾ってくれた。
(2m以上あったと思う。母が大きな花瓶に生けてくれて、
母と飾りをいっぱい付けた。一番上の★は天井に届きそうだった。(*^_^*))
私はその頃、隣りの家と繋がった長屋に住んでいた。
家の前の道は車1台がどうにか通行できる程。
うちの玄関を開けると、
3畳ほどの部屋があり、その奥に4畳半ほどの部屋があり、
その向こうは外。
そう、そんな狭い家だった。
(ツリーはその3畳の部屋を占領していたんだ)
母が、生活の為に、お料理とお花を教えていたので、
台所だけは12畳ぐらいあったような気がする。
(高2の時に建て替え、今は人に貸しているので間取りの記憶は定かではないが。)
そんな家で兄と私は育った。
クリスマスには母が料理教室でケーキの作り方を教えていた為、
12月20日頃から、何人も人が家に来て、家中、ケーキの甘い香りが漂っていた。
一階建ての家だったが、
親戚の大工仕事のできるおじさんに、
屋根と天井の間に部屋らしきものを作ってもらった。
階段はハシゴ。
天井裏にできた部屋は出入り口が子供の胸の高さだったので、
頭を下げて出入りした。
小さな天窓のような物しか無く、部屋は暗くて夏は暑く、冬は寒かった。
それでも、私のりっぱなお城だった。
家の鴨居にロープを吊し、板きれをそれにつけ、
兄と家の中でブランコ遊びをした事もある。
父が猫好きだったのでネコが家に始終5匹は居た。
そんなネコたちと、おさしみの取り合いをしながら、
夕げの食卓を家族4人で囲んだ。
兄は家の隣の溝川で魚をタモで救っては猫にあげ、
ネコからの信望を一身に集めていた。
アマチュア無線とミニ魚釣りばかりをしていた兄を
近所の数学の塾の先生は随分心配してくれた「高校へ行けるのか?」と。
家ではそんなふうに、いつも兄は遊んでいて、
教科書類は全部学校へ置いてきていて学校へは殆ど手ぶらで行った。
私は、そんな4歳上の兄といつも一緒に居た。
兄妹喧嘩をしながらも、いつも兄の後ろにくっついていた。
本屋さんへ、竹籤(ひご)屋さんへ、文房具屋さんへ、いつも兄と一緒だった。
中学時代、数学の不得意だった私は、宿題を兄に渡し
「コレ、やっておいてね。私、眠いから寝る。」と脅迫した事もあった。
その代わり、兄には時々、お小遣いを貸してあげたわ。
さて、そんな昔の、ある12月の日、
兄と私は近くの文房具屋さんに、いつものように鉛筆か何かを買いに行った。
そこで、私はドナルドダックの子供達(?)の絵柄の緑色のクリスマスカードを
見つけ、無性に欲しくなった。可愛かった。
兄に相談すると「絶対、買ってはいけない。」と猛反対された。
ので、泣く泣く買うのを諦めた。
お兄ちゃんたら・・・、
お金使いが荒くて、いつもお小遣いが足りなくて、
母に前借りをお願いしたり、
私に「少しよこせ。」と言ってきたりするのに・・・と私は不満だった。
数日が過ぎ・・・
クリスマスイブの日・・・
ポスト受けに、
私宛の、そのクリスマスカードが入っていた・・・。
だから、
私は南こうせつの♪妹よ~♪で泣ける。
幸い父も母も健在だが、
♪お前は器量が悪いのだから~僕は随分心配したんだ~♪の部分で、
号泣
できる。
(アレ?エリリンちゃん、超美人じゃ、なかった???)