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ピアノレスナーERIKO。のつれづれ日記
大阪市都島区友渕町のピアノ教室です

母と外出

2011-10-17 | 介護
ホームに迎えにいって、母を連れ出す。

妹と姪っ子も一緒。

あらかじめ職員さんにお願いしていたので
母はちゃんと食事も身支度も済ませ
自分の部屋で車椅子に乗り、スタンバイしていた。

介護タクシーに車椅子ごと乗り、
不安にならないように話しかける。
私たちと出かけることをとても喜んでいたけど
状況が分かっているとはとても思えない。

先月も同じように出かけたが
少し症状が進んでいるように思えた。
先月よりもさらに手先が思うように動かなくなっている。
職員の方が身の回りのことを手取り足取りしているから
そんなに自分から動かす必要も無いのだろうが。

そのリハビリの意味もあって
時間があるときにはピアノを弾かせてあげて、とお願いしていたのだが、
先月くらいから手が動きにくくなって
ピアノが弾けなくなったそうで。

「でも歌はきれいなお声で元気に歌われてますよ」
といってくれたけど。
ついに母もピアノを弾けない時がきたのか。

本当なら毎日10分でも「ピアノのお稽古の時間」として
ピアノを触る時間があれば、衰えなかったろうにと思う。
でもそこまで普通の職員さんにお願いすることは出来ないし。
ピアノ好きの利用者さんのために
リハビリとして毎日ピアノを弾いてもらうように
促していく人がいたらなぁ。
施設の音楽職員として携わる人がいれば。。。
あれ?これからはそういう職種もありかもね。

母の血液検査結果は
血糖値も高いままで
眼圧も上がっていて
今は安定しているけどいつまでも続くわけは無く
いつかはなるようになる。。
といつもは思わないことを思った。

外出先で母が幼稚園に勤務時代の教え子に再会した。
「いやあ~~大きくなったねえ!!」と手をとって喜ぶ。
覚えていた。

そのときは。


そして20分ほどたち
「さっきは◎◎さんに逢えて良かったね」と声をかけると
「そんな人に逢ったかね?」と覚えていなかった。

そのあと、ホームに帰宅してお茶を飲みながら
「今日はお出かけできてよかったね」と声をかけると
「えっ?どこにいった?」と今日外出したことをもう忘れていた。


でも記憶には残らなくても
一緒に時間を過ごして
母は確かにそのときは喜んでいた。
そのときに心は動き、
母が感じた喜びはその魂には刻まれていたと信じたい。

覚えてないから報われないのではない。
覚えていようといまいと、
母といい時間を過ごし
そのときに喜んでもらえるようにすることが
今のつとめだと感じた。



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