脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

徒然なるままに(^。^)お陰様って?

2017年05月19日 12時38分38秒 | わが半生
これまでの人生を振り返ると(^。^)
一人で生きて来た、頑張って来たと脳出血で倒れるまで思っていました。
それは大きな間違いであったことを気づきました

親がいてくれたから
友達がいてくれたから
会社の上司や同僚、部下がいてくれたから。
そして
妻や娘達がいてくれてるから。
周りの人達がいてくれたから

今、目の前にある食器も
たった一つの食器が出来上がるまで
一体、何人の人達が関わって来たのだろう。

人も同じ
私を産んでくれた母
取り上げてくれた産婦人科の先生や看護師さん
田舎のおばあちゃん。
私1人のために何名何千人の人達が。
電車やバス
当たり前のように乗ってるけど
ここまで交通機関が整備され快適な車両
快適なホームが出来上がるまで何人の人達が。

切符を買いホームに行き電車に乗るだけで目的地に着ける。江戸時代の人は歩いていたのに。

そんな日常の当たり前は実は奇跡的なこと。
命の誕生はもちろん
江戸時代の人が現代の交通網を見ると
奇跡!としか思えないわけで。

そんな日常に感謝の気持ちがなかったから
1人で生きて来たと?
1人で出世したと?
家を購入したと?
違う。
周りのお陰様(^。^)
その事を、脳出血するまで気がつかない愚かな私。
先月、次女が台湾旅行に行って来たときの土産に台湾の饅頭やジャーキーを食べて見ると
味が???妻も???不味くはありませんが。
『中国人や韓国人が日本のお菓子を爆買いするのがわかるワ。』妻が一言。

私達日本人は当たり前のような日本製のお菓子を食べてますが外国のお菓子と食べ比べると
いかに日本製のお菓子が美味しいか。

当たり前と思っている時は感謝がないわけです。
当たり前の物、時間、事に改めて感謝し始めると見えてくるんですよね。

振り返れば私がサラリーマン時代。
支店長やエリアマネージャーに昇進するときも実は私の実力なんか、ゴマ粒より小さく上司や部下のチカラが大きいわけでして。
特に上司は推薦する以上は上司自身の責任になるわけですから、色々と動いてくれてたんだなぁ。
と。今になり漸く分かった大バカ者が私。

日々の当たり前に感謝しています。
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長女が面会に行きました。(^。^)

2017年05月19日 08時38分12秒 | 義母の認知症
昨日、義母から電話が📞
『今日、A香ちゃんが見舞いに来てくれました。ありがとう。』見舞い。義母は施設にいるとは思ってなく腰痛で病院に入院していると思っているのです。
孫が来てくれて嬉しそうでした。

それと成年後見申立に必要な財産目録を作るのに義母の生命保険の内容を記載が必要なのですが保険契約の内容がわかりません。
そこで保険会社に問い合わせると本人でないと電話では教えられないとのこと。
私は義母は認知症で施設に入所中と答えるも『ご本人宛に書類を郵送します。』と呆気なく言われました。幸い、義母の郵便物は転送届けを私達夫婦の住所にしているので良かったのですが(TT)
すると1時間くらいしてから『○○生命の○藤と申します。』さっき問い合わせした担当の方でした。『あの、Y様の奥様に弊社での、御契約登録がございましたので奥様宛にお母様の契約内容書面をご郵送させて頂きます。』確かに妻は契約していますが。『それって大丈夫なのですか?』と聞くと『事情が事情ですし、お母様の保険受取人でもございますので結構です。』思わず私はホッとしながら『宜しくお願い致します。』と丁重にお礼を申し上げ電話を切りました。
あとは、無いとは思いますが義兄夫婦が本人を使って保険解約をしないように守らないといけませんので、その問い合わせの最中でもありました。
なんせ、満期直前の定期預金を解約させる義兄夫婦ですから。
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飛込み訪問で鍛えられた事。人の温もりも(^。^)

2017年05月19日 08時33分15秒 | わが半生
働くというかこと(^。^)仕事もいろいろしました。大学に合格したのに?何故か行かず専門学校へ行き卒業。
卒業してフリーターとなった私(^。^)月給6万円でした。19歳から22最の経験があったからこそ今の私があるように思えてなりません。
普通なら大学合格してたから大学に行ってバイトしながら卒業して就職するのが普通(^。^)
何故?合格したのに行かなかったのだろう?
大した大学ではありませんでしたが後々、私が24年間勤めた会社の社員に、その大学の卒業生もいましたし。私も結果としてなら大学行って、その会社に入れば19歳から22歳まで苦労しなくて済んだのです。
でも?その苦労があったからこそ24年間も勤続出来たのかなぁ(^。^)
そう思うと10代後半から20代は人生の基礎作りだと思うのです。
飛込み訪問の仕事は私を鍛えてくれました。
お金にも1番、困った時期でもあります。
当時50円のメロンパンを買うか買わないか
駅で大スポを買うか買わないか悩みに悩んで結局、買わなかったんです。
阪神電車で尼崎、杭瀬、大物などの駅周辺は営業で歩き回り
年末のクリスマス🤶
杭瀬商店街は人で溢れ見る人見る人がクリスマスの買い物を楽しげに。
私は鞄とステレオラジオカセットを持ちながら営業。
尼崎までの電車代は自己負担(TT)
梅田から京阪香里園駅までの定期も自己負担(TT)
営業に使うステレオラジオカセットも中古品を買わされ自己負担。
最低保証給料は6万円。これでは喫茶店のフリーターの方がどれだけマシか。
でも鍛えられましたね。営業は個人の家でなく事業所、会社ですから相手が仕事中の時に『こんにちわ!』って訪問するわけです。すると?
いきなり『こらぁー仕事中や!ボケー!』と怒鳴られる事も多くメンタルボロボロ(TT)
鍛えられましたね。
雨の日、おまけに風の強い冬なんか、もう携帯カイロでは間に合いません。
そんな時は喫茶店に入ればいいのですがコーヒー飲むお金すらないので
雨風凌ぐために事業所へ訪問して、なるべく長居できるように営業するんです。
あと尼崎ですから町工場の軒先とか。
そんな時、大物駅近くのパン屋さんがありましてね。そこのパン屋さん店内にベンチがあったんです。メロンパン一つ買って座った食べてるとパン屋のおばちゃんが『あんた、営業マンなん?売れてないんやろ?』私は黙っていると『靴見たらわかるわいな。』見るからに売れないセールスマンだったのでしょう。
『また、おいでや。』おばちゃんは暖かく言ってくれました。
地味なパン屋さん(^。^)
おばちゃんは売れない私に同情してくれ『飛込み訪問は大変やろ?落ち込んだら、おいで。雨とか降ってたら、なぁ。大変やし。』
阪神大物駅。あのパン屋さん。まだあるんかなぁと思う今日この頃です。
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