七月二十一日雨。
この前の猛暑は一体なんだったのだろうか。最近の天気は僕らにとっても迷惑千万なことだ。いや、元はといえば人間の連中が好き勝手したツケが僕らにまで及んでいるのじゃないか。だとすれば、憎むべきは連中か。
しかし、明治の名無しの言うとおり僕らに道理があっても、この浮世は力のあるものの不合理がまかり通るから、僕らは自身が正しいとの自負はあってもひっそりと過ごさなければならないのだ。
こんな風なことを考えているようでは、なんとも暇な奴だと思われるかもしれない。しかし、今日は特筆すべき事がなんらないから、こういった普段僕が考えている事なんかを披露したい。
僕の考えている事の中で一番大事なのは、やっぱり食だ。これは大体脳の半分くらいを占めて常に活動中なのだ。こういう生活にかかわる事が、大体占めている。
でも、これとは別の考え事もする。
ああ、申し添えておくと、他の考え事をするのはあくまで僕が暇過ぎて死なない為のメカニズムとして必要な事だから、しかたなくやっているのだ。別に僕が好きだからとか、人間のように知識欲に駆られてというわけではない。
『退屈は猫も殺す』って言わなかったっけ。どっちでもいいが、退屈によって、死にたい気分を味わうのは確かだ。
まず第一の暇潰しは、コウスケの家族の観察だ。連中は僕の食を何故だか保障してくれるので、さほど悪い人間ではないように思う。コウスケの親などは、ちと過保護に過ぎるくらい僕を猫可愛がりするので、流石に怖くなって逃げ出す事が多い。だが、特に魂胆はないみたいだ。
コウスケは大体学校というところへ行っているらしい。これも彼ら人間の暇潰しにあたるらしい。少なくともあいつはそう思っているらしい。人間にしては僕に波長が近いのかもしれない。そういう意味で僕はやつと同族として付き合う。
キョウコに言わせれば、コウスケはヒカルや僕と同じ性質にして、なんら可愛さを持たない窓際だという。なんのことか良くわからないが、いい意味ではないらしい。
やはり人間は人間らしくすべきだぜ、コウスケ。ということで片付けておくか。
第二の時間潰しは、人語からもたらされる情報を分析したり、それを又僕の脳内に建設して、無用に広がる世界を推測する事だ。
僕には、コウスケの家の近所が全ての世界なので、日々の近所の微細な変化をみることしか出来ないが、時折それとは違う刺激が欲しいものである。そんな時は、人間の会話に耳を傾けて、他の僕ら同族がやるのと同じに外の世界を推測する。
おや、まだ昼過ぎか……。少し散歩に出ないと太るかもしれないな。
さて、とばかりに僕は縁の下を出た。一人で行くのも嫌だったので、ちょっと隣の家を覗いてみる。
おや、珍しい事にキョウコが在宅している。縁側にちょこんと座るひかると寝巻き姿で庭を見ているキョウコ。今日は学校なんじゃないのか、確かコウスケは僕にそういっていた気がするが。
不便な事には、僕は人語を解する事が出来るが話す事は出来ない。
小走りに縁側の方へ寄ってみると、キョウコは柔和な笑顔で、こんにちわひなた君、と言った。コウスケの仏頂面の挨拶の百倍はいい。ひかるの愛想もこれくらいよければ、申し分ないのだが……。
ん?いつもならこのくらいのタイミングで、ひかるの体重任せのタックルが飛んでくるはずなのじゃないだろうか、おかしいな。
「どうしたんだ」
僕はただそれだけを、「にゃあ」に乗せた。
「別に」
ひかるも短く答える。どうも様子がおかしい。いつものひかるの元気のよさがない。どうしたものか。突然不安になってくる。ひかるの様子がどうだろうと僕には無関係のはずなのだが、ひかるのそういった態度をみると何故か血の気が引いていく気がした。
質問を変える事にした。
「キョウコはどうしたんだい」
「…どうしたってどういうこと?」
「今日、学校なんじゃないのか?コウスケは行ったぞ」
「……あんた馬鹿ね」
急にむかっときた。ひかるはいつだってこうだ、すぐにこっちの腹の立てるような返事ばかりする。こっちが心配しているっていうのに、馬鹿にするみたいにして。
「なんだって」
なるだけ当たり障りのない返事をする。これ以上僕ら両方が腹を立ててもいいことはない。
「あんた謀られたのよ」
「へ?」
「夏休みよ」
「夏休み……」
ひかるの説明によると、この時期になると人間の学校は暑いという理由で、学校を休みにしてしまうらしい。実に馬鹿馬鹿しい。暇潰しとしての学校を休みにするとは正気の沙汰とは思えない。
すると、納得いかないことが二つ。コウスケの嘘と、キョウコの様子である。
ちょうど、キョウコは僕らに軽食を持ってきてくれた。その顔はいつもと大差ない気がするが、何か違和感を感じる。
「キョウコは夏風邪よ」
「夏風邪?」
ひかるはなんにも知らないのねあんたは、と前置きしてからキョウコが数日前からの天候不順でついに体調を持ち直した事を話した。
僕は半分納得して、半分でまだ首を捻りたくなる思いでいた。
尻尾がどうも不吉を受信しているみたいに、ぴくぴくと動いた。
この日僕は初めてそういった不安を持った。なるほど、人間のいう不安とはこれの事か。不安を知ったはいいが、どうも知らなければ良かったと、心の裡で呟いた。