俺の友人には風変わりな連中がいる。世の中には風変わりな連中は事の他多いようで、通常の精神を持つ俺としては、連中の興じるつまらない遊びに辟易することが多い。
とりわけ風変わりに思われる人間について少しばかり話してみたい。こいつは第一に、俺にとっては甚だ不愉快な人間だったと言ってよい。わざわざ過去形で述べるのは、今となってはさして嫌でもない人間に思えるという事である。
彼の名は……何といっただろうか、久しく彼を本当の名前で呼んでいないのだから、このように曖昧であることはいたし方のない事だと思う。彼は風変わりである前に、気軽な人間であった。俺が工場で入ってからというもの、別段誰とも口を利くわけでもなかったのだが、その中で唯一軽く口を利いたのが、彼であった。
彼は工場ではかなりの顔利きであった。だから、俺以外の人間とも、一緒に世間話をしている風景をよく目にしたものだった。
いつの頃からだろうか、俺は彼が俺の事をタネにして他の仲間たちと面白おかしく会話をしているのだという事を、何の気なしに知った。ショックであった事は、正直に告白しよう。なんとなれば、彼だけが工場では味方のようであったからだ。
工場というのは、俺には不向きな職場だった。俺は他の職工のように気軽な話を、笑顔を貼り付けてずっと笑っていられるような、都合のいい性格はしていなかった。仏頂面の専売である。だから、そんな俺と気軽に話した彼は、結構いい仲間だと思っていた。がしかし、その彼は、そこら中で俺の失敗談やら、恥ずかしい恋愛談などを吹聴して回っていた。お陰で、俺は仲間と挨拶を交わすたびに、薄ら笑いを見せ付けられ、かなり不愉快な思いをした。
「へい、へ~い」
彼が俺に声を掛けるときは、必ずこの言葉から始まった。その度に俺は、来たなと思って、心中ため息を漏らしたりしていた。
「へい、元気かい?」
底抜けに明るい声で言う。この男は、人のけったいな話をあちらこちらに、焼夷弾のようにばら撒いておきながら、元気かという俺の気分を逆撫でするような、事をおっしゃるのか?
「まあ、ぼちぼち」
僕は心中に溜まるフラストレーションを増幅させながら、それを解き放つことなく、愛想笑いをしながら応える。
「結構だね。実に結構だ」
彼は、それがどれだけ素晴らしいかを体現するかのように、両腕を広げて、手のひらを天に向けてかざしながら言う。大袈裟にも程がある。また、からかいに来たのだろうか。そろそろ我慢の限界だった。それでも、適当な返答をつけに、微笑を括り付けて吐き出すことしか出来なかった。
俺が何かにつけて言葉をとちったり、赤面したりしていると、彼はその度に笑って、俺の肩をたたいて笑いをこらえる。馬鹿にするにも程がある。
俺が爆発したのは、それから暫くした、工場の新人研修の時だった。俺も半人前ながら、一人の教育をする事になった。最初は考える度に憂鬱な事だったのだが、実際に立場に立つと、思ったより僕に仕事が身についている事が分かったし、それを分かりやすく教えられることも分かった。俺もその時は俺が、我慢の噴火口を突き破るほど憤るとは、自分ながら想像していなかった。
俺が教育した工員は珍しい女子工員だった。なんでも家庭の事情が色々錯綜しているようで、詳しい事は聞けなかったが、なんとなく想像に難くなかった。彼女は生真面目で、何事にも真剣なたちだった。だから、僕が仏頂面であろうと恐れなかったし、しっかり説明すれば、うんうんと頷いて、しっかり仕事をこなす。俺と彼女はいい信頼関係を持った。
そのうちに俺の仏頂面も売り切れが出てきて、彼女に対しては、幾分かホンモノの表情を見せる事が出来た。彼女の方も、最初はかたくなに黙っていた事を、話すくらいになった。だがしかし、そんな俺たちの事を、にやけた面をしてみている職工たちの視線に気づいた。宴会の席で、それとなく口の軽そうな職工に尋ねてみると、どうやら例のやつが、俺と彼女のことを大々的に触れ回っているとの事だった。
いよいよ我慢の限界だった。宴会の席にも関わらず、俺は「へいへい」うるさい彼に、目一杯力を込めた拳で殴りつけた。
「人の噂をあちこちに話しまくって何が楽しいか」
しばらく場は騒然となって、俺はそれきり黙って辞した。
工場をやめようと思った。彼女は大変残念そうにしていたが、心には決めていた。それでも、彼女とは連絡を取り合おう、という話をしていた。
職工たちは思いとどまるように言った。俺なぞいてもいなくても、同じだろうに、どうしてだろうか。
頬に痣を抱えた、彼がやってきた。俺は、殴り返されるものとばかり思っていたが、彼はいつもの「へいへ~い」の前置きをせずに言った。
「お前は気づいてないかも知れないが、お前ってこの工場じゃあ、大した人気者なんだぜ」
職工の誰も請うが、俺がボルトのサイズを取り違えて、監督に大目玉食らったことも、工場の紅一点の彼女といい仲であることを知っていた。思えば、いつから扱いが難しいと思っていた職工と話すようになったのか。いつから、苦しくなく話せるようになったのか。
ああ、今更良くわかる気がする。
俺は正直に詫びた。
「じゃあ、とりあえず……」
俺の詫びは、三日間の痛みを伴った。
「これで、おあいこってわけだ」
彼はいつもの気軽な顔で言った。痣がやたら痛々しい。今は俺の頬のが痛いのだが。
「そんな青春ドラマ演じてる場合?工場長が来る時間よ」
どういうわけか、俺の身の回りには風変わりな人間が多い。俺のような通常の思考回路を持つ人間には、連中の言動や行動が、いちいち分からない。とんちんかんな事を言ったり、やったり……。全く不合理なことこの上ない。
だがしかし、そんな風変わりなのも嫌いじゃない。
とりわけ風変わりに思われる人間について少しばかり話してみたい。こいつは第一に、俺にとっては甚だ不愉快な人間だったと言ってよい。わざわざ過去形で述べるのは、今となってはさして嫌でもない人間に思えるという事である。
彼の名は……何といっただろうか、久しく彼を本当の名前で呼んでいないのだから、このように曖昧であることはいたし方のない事だと思う。彼は風変わりである前に、気軽な人間であった。俺が工場で入ってからというもの、別段誰とも口を利くわけでもなかったのだが、その中で唯一軽く口を利いたのが、彼であった。
彼は工場ではかなりの顔利きであった。だから、俺以外の人間とも、一緒に世間話をしている風景をよく目にしたものだった。
いつの頃からだろうか、俺は彼が俺の事をタネにして他の仲間たちと面白おかしく会話をしているのだという事を、何の気なしに知った。ショックであった事は、正直に告白しよう。なんとなれば、彼だけが工場では味方のようであったからだ。
工場というのは、俺には不向きな職場だった。俺は他の職工のように気軽な話を、笑顔を貼り付けてずっと笑っていられるような、都合のいい性格はしていなかった。仏頂面の専売である。だから、そんな俺と気軽に話した彼は、結構いい仲間だと思っていた。がしかし、その彼は、そこら中で俺の失敗談やら、恥ずかしい恋愛談などを吹聴して回っていた。お陰で、俺は仲間と挨拶を交わすたびに、薄ら笑いを見せ付けられ、かなり不愉快な思いをした。
「へい、へ~い」
彼が俺に声を掛けるときは、必ずこの言葉から始まった。その度に俺は、来たなと思って、心中ため息を漏らしたりしていた。
「へい、元気かい?」
底抜けに明るい声で言う。この男は、人のけったいな話をあちらこちらに、焼夷弾のようにばら撒いておきながら、元気かという俺の気分を逆撫でするような、事をおっしゃるのか?
「まあ、ぼちぼち」
僕は心中に溜まるフラストレーションを増幅させながら、それを解き放つことなく、愛想笑いをしながら応える。
「結構だね。実に結構だ」
彼は、それがどれだけ素晴らしいかを体現するかのように、両腕を広げて、手のひらを天に向けてかざしながら言う。大袈裟にも程がある。また、からかいに来たのだろうか。そろそろ我慢の限界だった。それでも、適当な返答をつけに、微笑を括り付けて吐き出すことしか出来なかった。
俺が何かにつけて言葉をとちったり、赤面したりしていると、彼はその度に笑って、俺の肩をたたいて笑いをこらえる。馬鹿にするにも程がある。
俺が爆発したのは、それから暫くした、工場の新人研修の時だった。俺も半人前ながら、一人の教育をする事になった。最初は考える度に憂鬱な事だったのだが、実際に立場に立つと、思ったより僕に仕事が身についている事が分かったし、それを分かりやすく教えられることも分かった。俺もその時は俺が、我慢の噴火口を突き破るほど憤るとは、自分ながら想像していなかった。
俺が教育した工員は珍しい女子工員だった。なんでも家庭の事情が色々錯綜しているようで、詳しい事は聞けなかったが、なんとなく想像に難くなかった。彼女は生真面目で、何事にも真剣なたちだった。だから、僕が仏頂面であろうと恐れなかったし、しっかり説明すれば、うんうんと頷いて、しっかり仕事をこなす。俺と彼女はいい信頼関係を持った。
そのうちに俺の仏頂面も売り切れが出てきて、彼女に対しては、幾分かホンモノの表情を見せる事が出来た。彼女の方も、最初はかたくなに黙っていた事を、話すくらいになった。だがしかし、そんな俺たちの事を、にやけた面をしてみている職工たちの視線に気づいた。宴会の席で、それとなく口の軽そうな職工に尋ねてみると、どうやら例のやつが、俺と彼女のことを大々的に触れ回っているとの事だった。
いよいよ我慢の限界だった。宴会の席にも関わらず、俺は「へいへい」うるさい彼に、目一杯力を込めた拳で殴りつけた。
「人の噂をあちこちに話しまくって何が楽しいか」
しばらく場は騒然となって、俺はそれきり黙って辞した。
工場をやめようと思った。彼女は大変残念そうにしていたが、心には決めていた。それでも、彼女とは連絡を取り合おう、という話をしていた。
職工たちは思いとどまるように言った。俺なぞいてもいなくても、同じだろうに、どうしてだろうか。
頬に痣を抱えた、彼がやってきた。俺は、殴り返されるものとばかり思っていたが、彼はいつもの「へいへ~い」の前置きをせずに言った。
「お前は気づいてないかも知れないが、お前ってこの工場じゃあ、大した人気者なんだぜ」
職工の誰も請うが、俺がボルトのサイズを取り違えて、監督に大目玉食らったことも、工場の紅一点の彼女といい仲であることを知っていた。思えば、いつから扱いが難しいと思っていた職工と話すようになったのか。いつから、苦しくなく話せるようになったのか。
ああ、今更良くわかる気がする。
俺は正直に詫びた。
「じゃあ、とりあえず……」
俺の詫びは、三日間の痛みを伴った。
「これで、おあいこってわけだ」
彼はいつもの気軽な顔で言った。痣がやたら痛々しい。今は俺の頬のが痛いのだが。
「そんな青春ドラマ演じてる場合?工場長が来る時間よ」
どういうわけか、俺の身の回りには風変わりな人間が多い。俺のような通常の思考回路を持つ人間には、連中の言動や行動が、いちいち分からない。とんちんかんな事を言ったり、やったり……。全く不合理なことこの上ない。
だがしかし、そんな風変わりなのも嫌いじゃない。