七月十四日晴時々俄雨。
蒸し暑い朝が続く。コウスケの家はどこにいても暑い。クーラーと言うものがないらしい。そんなわけで、僕自身はともかく、コウスケは朝から情けない声を出して、天に怒りをぶつけている。しかし、こうまで暑いとコウスケの気持ちも分かる。
窓が開け放たれると、だいぶ涼しいのだが、今日に限ってこの家の連中は揃いも揃って、僕を残して出かけていった。
僕は灼熱地獄になった家を抜け出し、いい日陰を探しに出かけた。
毎年この時期になると、僕は避暑地を探すのだが、大きな道に面したコウスケの家もヒカルの家も熱風が吹き込む事はあっても、涼しい風が吹く事はなかった。
そこで僕は裏山への小道を辿る事にする。
舗装されていない曲がりくねった砂利道を、しばらく息を弾ませてのぼると東光寺の石段が見えてきた。
石段の両脇には杉が密生していて、上空のゆったりした風に梢がゆれているみたいだった。お陰で石段は自然の日陰が生成されていて、避暑にはぴったりだった。
石段を駆け上がって、中間の踊り場に着いた。
コウスケの家ではうるさかった音が一気に消え去って、ただ風が木を揺らす音が、不規則に訪れた。
両脇の杉や檜が作り出す濃い灰色の日陰の中で僕は蹲った。
目を瞑る。
微風が通り過ぎてヒゲを揺らされる。僕らのヒゲは人間のそれとは違って、それはもう大事なものだった。人間がよく言うところの五感に近いものだ。だから、ほんの少しの風も敏感に感じる事ができる。
そういえば、以前コウスケの父親だかが、赤らめた顔の時に僕を捕まえるなり、この気品に満ちた僕のヒゲを引き抜こうとした事があった。
幸い、コウスケにあと一歩のところを助けられた覚えがある。
・・・
時間を忘れて僕は日陰で眠っていた。目を開けると、白々と輝いていた太陽が、一杯引っ掛けたようにその顔を赤くしていた。山裾に頭を預けて、まるで枕のようにしている。
だいぶ体が軽くなった気がする。
爪をといでから帰ろう。こういうことはできるうちにやっといたほうがいいんだよ。
寺の山門の方から一匹降りてくるのが見えた。オレンジの日差しが、杉や檜の樹の隙間を通り抜ける光線でよく見えなかったが、あの風体は……ヒカルじゃあるまいか。
僕はそそくさと帰ろうとした。また面倒なことになりそうな気がしたからな。
でも、そうはいかなかった。ヒカルは僕の姿を認めると、外向けで可愛らしくしているまん丸の翡翠色の目を細めた。
全く。もう少し僕に対しても外向きで接して欲しいもんだ。
ヒカルを伴っての帰り道。ヒカルは、僕が「ひなた」という名の癖に日陰にいたことをネタにネチネチと言ってきた。
そこに突然後ろから声が掛かった。
振り返ると、東光寺の白猫のハクだった。やつは息切れしないことを自慢するように、それとなくヒカルに声を掛けた。
やつが、忘れ物だといって背中から降ろしたのはヒカルの鈴だった。
ヒカルは僕をねめつける時の細い目を、まん丸の可愛らしい目に変えて、声もいつもより一段高くして、ありがとうハクさんと言って、受け取った。
全くなーに猫被ってんだか……。そのうちぼろが出るさ。
ハクは気障っぽくヒゲを二、三度揺らして、さよならの合図をして、これまた気障な足取りで石段の方へ駆けていった。
ヒカルは胡散臭そうに眺める僕を、例の細い目で一瞥した。
なんだよ。
夜になると涼しい。やはり夜がいい。僕はコウスケを少しばかりからかってやると、いつものように廊下に突っ伏した。
蒸し暑い朝が続く。コウスケの家はどこにいても暑い。クーラーと言うものがないらしい。そんなわけで、僕自身はともかく、コウスケは朝から情けない声を出して、天に怒りをぶつけている。しかし、こうまで暑いとコウスケの気持ちも分かる。
窓が開け放たれると、だいぶ涼しいのだが、今日に限ってこの家の連中は揃いも揃って、僕を残して出かけていった。
僕は灼熱地獄になった家を抜け出し、いい日陰を探しに出かけた。
毎年この時期になると、僕は避暑地を探すのだが、大きな道に面したコウスケの家もヒカルの家も熱風が吹き込む事はあっても、涼しい風が吹く事はなかった。
そこで僕は裏山への小道を辿る事にする。
舗装されていない曲がりくねった砂利道を、しばらく息を弾ませてのぼると東光寺の石段が見えてきた。
石段の両脇には杉が密生していて、上空のゆったりした風に梢がゆれているみたいだった。お陰で石段は自然の日陰が生成されていて、避暑にはぴったりだった。
石段を駆け上がって、中間の踊り場に着いた。
コウスケの家ではうるさかった音が一気に消え去って、ただ風が木を揺らす音が、不規則に訪れた。
両脇の杉や檜が作り出す濃い灰色の日陰の中で僕は蹲った。
目を瞑る。
微風が通り過ぎてヒゲを揺らされる。僕らのヒゲは人間のそれとは違って、それはもう大事なものだった。人間がよく言うところの五感に近いものだ。だから、ほんの少しの風も敏感に感じる事ができる。
そういえば、以前コウスケの父親だかが、赤らめた顔の時に僕を捕まえるなり、この気品に満ちた僕のヒゲを引き抜こうとした事があった。
幸い、コウスケにあと一歩のところを助けられた覚えがある。
・・・
時間を忘れて僕は日陰で眠っていた。目を開けると、白々と輝いていた太陽が、一杯引っ掛けたようにその顔を赤くしていた。山裾に頭を預けて、まるで枕のようにしている。
だいぶ体が軽くなった気がする。
爪をといでから帰ろう。こういうことはできるうちにやっといたほうがいいんだよ。
寺の山門の方から一匹降りてくるのが見えた。オレンジの日差しが、杉や檜の樹の隙間を通り抜ける光線でよく見えなかったが、あの風体は……ヒカルじゃあるまいか。
僕はそそくさと帰ろうとした。また面倒なことになりそうな気がしたからな。
でも、そうはいかなかった。ヒカルは僕の姿を認めると、外向けで可愛らしくしているまん丸の翡翠色の目を細めた。
全く。もう少し僕に対しても外向きで接して欲しいもんだ。
ヒカルを伴っての帰り道。ヒカルは、僕が「ひなた」という名の癖に日陰にいたことをネタにネチネチと言ってきた。
そこに突然後ろから声が掛かった。
振り返ると、東光寺の白猫のハクだった。やつは息切れしないことを自慢するように、それとなくヒカルに声を掛けた。
やつが、忘れ物だといって背中から降ろしたのはヒカルの鈴だった。
ヒカルは僕をねめつける時の細い目を、まん丸の可愛らしい目に変えて、声もいつもより一段高くして、ありがとうハクさんと言って、受け取った。
全くなーに猫被ってんだか……。そのうちぼろが出るさ。
ハクは気障っぽくヒゲを二、三度揺らして、さよならの合図をして、これまた気障な足取りで石段の方へ駆けていった。
ヒカルは胡散臭そうに眺める僕を、例の細い目で一瞥した。
なんだよ。
夜になると涼しい。やはり夜がいい。僕はコウスケを少しばかりからかってやると、いつものように廊下に突っ伏した。