2002.02.07 早稲田大学戸山キャンパス
【研究発表】聖徳太子は殺生を嫌ったのか―『聖徳太子伝暦』が描く二つの太子像― 松本真輔
【要旨】『伝暦』には、太子の関与する戦争が何度か登場する。蝦夷合戦・守屋合戦・新羅侵攻がそれである。そこでは当然、「殺生」も描かれる。そのため、太子伝中においては、観音の化身と言われた太子と、(ある時は主体的に)「殺生」に関与する太子という、相反する像が併存することになった。そこで、初期の太子伝から『伝暦』に至るまで、この「殺生」の問題がどう扱われてきたを見ながら、改めて『伝暦』の位置を考えてみたい。