縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

『目出度さも ちう位也 おらが春』

2011-01-23 23:52:22 | 芸術をひとかけら
 ご存じ小林一茶の句である。読んで字のごとく「めでたさも中くらいだなあ、私の新年は。」という意味である。
 しかし、この句が詠まれた頃の一茶の状況を考えると、単に新年を迎え喜んでいるだけではない、違う意味が見えてくる。

 一茶は52歳で結婚、妻 きく との間に三男一女をもうけたが、皆幼くして亡くなっている。長男は生まれて程なく亡くなり、次に生れた長女 さと もわずか1年で亡くなった。この句が詠まれたのはちょうどそんな時期である。
 また、当時、一茶の生活は楽ではなかったようだ。この句の前に、新年を迎えるとは言っても、我が家は風が吹けば飛ぶようなボロ家だし、門松もない~ といった記述がある。

 とすると、この句は次のような意味なのだろう。
 「裕福でもないし、子供に恵まれているわけでもない。が、なんとか今年も新年を迎えることができた。上を見ても詮無いこと。貧しく、心の傷ついた私であるが、それでも、中くらい、ほどほどのめでたさの新年と言うべきであろう。」
 さらに一茶が浄土真宗に帰依していたことを勘案すれば、これに「そもそも自分は阿弥陀様のお力によって生きている、いや生かされている身なのだから。」という文が続くのかもしれない。

 ちょっと偉そうに書いてしまったが、一つ疑問がある。俳句にしろ短歌にしろ、その背後にあるものを知らないといけないのだろうか。読みが浅いと言われるのがオチかもしれないが、ただ素直に読んではいけないのだろうか。

 この句は中学のときに習った気がする。そのときは、上に書いたような解釈ではなく、もっと単純な内容で教わった(たぶん)。
 昔は年齢を“数え”で計算し、誕生日ではなく、新年に皆1歳年を取った。これを踏まえ、「新年を迎えるのはめでたいものの、年老いた自分がまた一つ年を取ってしまうのかと思うと手放しでは喜べない。まあ、めでたさもほどほど、中くらいではないだろうか。」といった感じだったと思う。

 僕はこの解釈の方が好きだ。いや、自分が年を重ねるとともに その気持ちがわかるようになってきたという方が正確である。
 そろそろ信長の時代には死んでいた年齢になる。人生の折り返し点はもう過ぎたに違いない。肩は凝るし、腰は痛い、おまけに最近は目がかすんできた。一言で言えば、もう若くは無いのである。

 実は、昨日が誕生日だった。一つ年を取ってしまったなと考えていたとき、ふっとこの句が頭に浮かんだのである。
 もう新年の話をするには遅すぎるが、誕生日に免じて許して頂けると有り難い。