キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

進化と原点回帰

2006-10-02 02:51:43 | 無宗教主義
その日、馬の鈴の上には、「主への聖なるもの」と刻まれ、
主の宮の中のなべは、祭壇の前の鉢のようになる。
エルサレムとユダのすべてのなべは、万軍の主への聖なるものとなる。
いけにえをささげる者はみな来て、その中から取り、それで煮るようになる。
その日、万軍の主の宮にはもう商人がいなくなる。(ゼカリヤ書14-20・21)



すべては進化せねばならない。

生命は進化すべきものである、

停滞は生命の法則に反する。

企業は発展すべきである、学問も発展すべきである、

しかし宗教だけは、発展しないように思える。

であるから、宗教は容易に腐敗するのである。


キリスト教とは、イエス・キリストである。

であるから、キリスト教の進化とは、

キリストへの原点回帰でなければならない。

ルターの宗教改革とは、教会制度に反対してキリストに回帰した、

原点回帰の運動だったといえる。

それは一面において、旧組織体を否定して、

よりキリストの精神に合致した、新組織体を創ることだともいえる。


かつて経営学者のドラッカー氏が、その経営組織論において、

下記のような組織形態を述べた。

① 野球チーム型組織
組織が固定化され、各自に厳格な役割分担を規定する組織

② テニスのダブルス型組織
組織の形態がより流動化され、各自は役割において自由度がある組織

③ ジャズバンド型組織
組織の形態が定まっておらず、各自は自由に個性を発揮して調和する組織

組織体という意味において、野球型組織は非常に安定感がある。

しかしかかる組織において、組織内部が固定化される分、

腐敗し易い。すなわち、組織の理念が忘却され易い。

そういう意味で、健全なのはジャズバンド型組織である。

しかしジャズバンド型組織というものは、各自の楽器も演奏方法も個性も違う分、

調和させることが難しい。

調和するためには、よほど理念が各自に浸透していなければ無理だ。


キリストのみが真理である、そしてキリストを信ずる者が集まる時、

そこに組織体ができる。

ルター当時のカトリック教会は、いわば野球型組織の典型であった。

信徒が聖書を知らずとも、伝道の必要を感じなくとも、

大企業のような固定化された組織は維持することができる。

それはそれで可能な組織形態である。

しかし可能であるが故に、キリスト的精神から乖離し易い弱点を持つ。

であるから時代を追うごとに、キリスト者の組織体も進化せねばならない。
(イエス・キリストは変わらないが・・・)


カトリック主義からプロテスタント主義へ、

プロテスタント主義から無教会主義へ、

このような推移は、教会や組織の否定というよりも、

組織の進化として考察せねばならない。
(宗教も所詮、人間の業であるが故に)

そして次なるキリスト者の組織体は、ジャズバンド型のような、

徹底して組織から自由なものでなければならない。

それはすなわち、現実世界がそのまま真理に奉仕する舞台であると信じ、

己の職業を神からの聖召と信じるような、俗を聖化する運動でなければならない。


この組織体は、外見は普通の人間の集合(?)であるが、

内面は聖書の伝える信仰に徹底したものである筈である。

組織は流動化すれば、無秩序になりやすい。

であるから、悪しき個人主義が根絶された、

至純なる信仰心を必要とする。

指揮者はキリストである、楽譜は聖書である、各自の楽器は職業である、

これを称して、無宗教主義という。


キリスト教全体の趨勢として見た時、

かかる組織形態に移行する時代が来たのではないかと思う。

しかしそのような組織体が登場するには、

西洋的なキリスト教神学との対決が必要だと思う。



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「聖と俗」 (Levi)
2006-10-02 09:13:02
 全体に安んじて頷くことができました。

 特に、組織論からの引用は、圧巻ですらありました。

 いつもながら、感謝しています。

 ひとつ、思ったことを書きます。

 「聖-俗」についてなのですが、宮内さんの記事を読んでいて、僕は「雅歌」を思い出しました。

 つまり聖書には「俗」もちょっとだけあるのではないか、と。

 おこころにゆとりがあるときにでも、ご回答下されば幸いです。

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主にある集い (石ころ)
2006-10-02 09:33:40
私が今通っている教会は、おっしゃる集いに近いと思います。

牧師と名乗る人はいません。兄弟と呼び、それは言葉の上だけではなく、兄弟のメッセージを選んで集まってきた者の小さな集会です。

兄弟として愛し、メッセージ以上の重荷を負わせないように、崇めないようにさりげなく配慮されて居られます。

その代わり、組織としての見栄えはなく、人間的なお世話する者される者と言った形がありません。交わりは飾り気が無く本音で信仰の悩みを語ります。

しかし、人は形がないところに、平安の内に留まることは決して易しいことではないと思います。だから少人数です。
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雅歌 (宮内 学)
2006-10-02 11:38:25
Leviさん、そうですね。

確かに雅歌は俗というか、恋愛の歌ですからね。私が書きたかったことは、俗(=社会)が聖(=キリスト)となる理想という意味合いです。
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集い (宮内 学)
2006-10-02 11:42:28
石ころさん、コメントありがとうございます。



>交わりは飾り気が無く本音で信仰の悩みを語ります。



素晴らしい集いですね。
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なるほど (エステル)
2006-10-02 21:04:06
こんにちは、エステルです。

>西洋的なキリスト教神学との対決が必要だと思う。

私もそう思います。私もいつも感謝して

読ませていただいてます。

昨日は、教会へ行こうと思ったのに、

行けずじまい…。風通しの良い、腐敗のない

教会組織ってムリなのかな。



今日、朝っぱらから“うつ”状態で、一日中何かしんどかったです。誰でもそういう時ってありますよね。ブルーマンデー?

風邪もひきやすい季節です。

皆様、ご自愛くださいね!







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エステルさんこそ。 (宮内 学)
2006-10-02 23:07:56
ええ、月曜日というものは、正直私も憂鬱になることがあります。エステルさんもご自愛ください。
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