天津羽衣は昭和24年に「山びこ学校」で歌謡浪曲を試みている。また三代目天中軒雲月は26年に永田とよこの本名で「涙の娘浪曲師」で歌手としてデビューしている。
こうした中で32年、テイチクから「メノコ船頭さん」で三波春夫がデビュー、つづいての「チャンチキおけさ」「船方さんよ」がヒットして、一躍脚光を浴びる。
この年12月には浅草国際劇場デワンマンショー、34年には日劇、大劇でワンマンショー、翌35年3月、大阪新歌舞伎座初公演、36年8月、東京歌舞伎座初公演、とまさに破竹の勢いで進み、以来、東西両歌舞伎座および名古屋御園座公演は年中行事となる。
「大利根無情」「残月大利根」「天保水滸伝」の平手神酒三部作、「一本刀土俵入」「忠太郎月夜」「沓掛時次郎」「雪の渡り鳥」と言った長谷川伸作品の歌謡化、「桃中軒雲右衛門」「名月綾太郎ぶし」などの舞台上演作の主題歌、「俵星玄蕃」「曽我物語」などの長編歌謡浪曲など、浪曲の持つ要素の歌謡化を、三波春夫はひとりでやってのけた。
38年8月には「東京五輪音頭」、42年3月には「世界の国からこんにちは」と、東京五輪および万国博という国家行事を謳いあげる曲もヒットさせるし、唄、踊り、語りの集大成ともいえる「大忠臣蔵」のアルバムも完成させ、国民歌手とよばれるまでの存在になった。
三波春夫がきわめて多彩できらびやかな世界を想像したのにたいし、一貫して男の心情を歌い続け、三波春夫と対照的な位置で浪曲歌謡の世界を築きあげた存在に村田英雄がある。
7歳で酒井雲の門に入り、13歳で酒井雲坊となり、25歳で浪曲新人賞最優秀賞を受賞
し、この年村田英雄と改名して幹部昇進を果たした。
村田英雄を歌謡界にみちびいたのは古賀政男である。たまたまラジオの「江戸群盗伝」を聴いて、そこにスペインのフラメンコに似た哀愁を感じた古賀政男は自ら村田に電話をかけたそうである。
三波の場合は、昭和31年佐々木章に師事して歌謡曲を学んでいる。
ともあれ、村田英をはこうして33年3月18日からはじまった文化放送の連続浪曲「無法松の一生」の主題歌「無法松の一生」と「度胸千両」を古賀政男自身の作曲編曲で吹き込むことになる。
レコードの発売では34年4月の「人生劇場」が最初である。
36年、北条秀司の名作をもとにした「王将」の大ヒットで村田英雄はその地位を固めた。「柔道一代」「皆の衆」「夫婦春秋」「花と竜」「人生峠」など、一連のヒット曲の底流には常に男の哀愁が漂っている。
三波春夫、村田英雄の存在が他のレコード会社への刺激にもなって、積極的な浪曲
出身歌手の売り出しが続いていく。
こうした中で32年、テイチクから「メノコ船頭さん」で三波春夫がデビュー、つづいての「チャンチキおけさ」「船方さんよ」がヒットして、一躍脚光を浴びる。
この年12月には浅草国際劇場デワンマンショー、34年には日劇、大劇でワンマンショー、翌35年3月、大阪新歌舞伎座初公演、36年8月、東京歌舞伎座初公演、とまさに破竹の勢いで進み、以来、東西両歌舞伎座および名古屋御園座公演は年中行事となる。
「大利根無情」「残月大利根」「天保水滸伝」の平手神酒三部作、「一本刀土俵入」「忠太郎月夜」「沓掛時次郎」「雪の渡り鳥」と言った長谷川伸作品の歌謡化、「桃中軒雲右衛門」「名月綾太郎ぶし」などの舞台上演作の主題歌、「俵星玄蕃」「曽我物語」などの長編歌謡浪曲など、浪曲の持つ要素の歌謡化を、三波春夫はひとりでやってのけた。
38年8月には「東京五輪音頭」、42年3月には「世界の国からこんにちは」と、東京五輪および万国博という国家行事を謳いあげる曲もヒットさせるし、唄、踊り、語りの集大成ともいえる「大忠臣蔵」のアルバムも完成させ、国民歌手とよばれるまでの存在になった。
三波春夫がきわめて多彩できらびやかな世界を想像したのにたいし、一貫して男の心情を歌い続け、三波春夫と対照的な位置で浪曲歌謡の世界を築きあげた存在に村田英雄がある。
7歳で酒井雲の門に入り、13歳で酒井雲坊となり、25歳で浪曲新人賞最優秀賞を受賞
し、この年村田英雄と改名して幹部昇進を果たした。
村田英雄を歌謡界にみちびいたのは古賀政男である。たまたまラジオの「江戸群盗伝」を聴いて、そこにスペインのフラメンコに似た哀愁を感じた古賀政男は自ら村田に電話をかけたそうである。
三波の場合は、昭和31年佐々木章に師事して歌謡曲を学んでいる。
ともあれ、村田英をはこうして33年3月18日からはじまった文化放送の連続浪曲「無法松の一生」の主題歌「無法松の一生」と「度胸千両」を古賀政男自身の作曲編曲で吹き込むことになる。
レコードの発売では34年4月の「人生劇場」が最初である。
36年、北条秀司の名作をもとにした「王将」の大ヒットで村田英雄はその地位を固めた。「柔道一代」「皆の衆」「夫婦春秋」「花と竜」「人生峠」など、一連のヒット曲の底流には常に男の哀愁が漂っている。
三波春夫、村田英雄の存在が他のレコード会社への刺激にもなって、積極的な浪曲
出身歌手の売り出しが続いていく。