遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

昭和歌謡曲の軌跡62

2008-12-15 | 富山昭和詩史の流れの中で
ところがこの日劇「ウエスタン・カーニバル」は舞台稽古の最中に丸の内警察から電話で問い合わせがきたぐらい、開演前から千人以上の親衛隊が劇場をとりまき、開演と同時に三千の客席は満員で、テープやらハンドバック、パンティからナイフまで投げられる狂乱の熱気が渦巻いた。

寺本圭一とスイング・ウエスト、ミッキー・カーチスとクレージィ・ウエスト、平尾昌晃とオールスター・ワゴン、山下敬二郎とウエスタン・キャラバン、岡田朝光、
関口悦郎らに、水谷良重(現在の、八重子)中島そのみらが加わっていたが、いずれも当時は無名のロカビリー歌手ばかりだった。

この熱狂ぶりは早速新聞で報道され、それがまた狂乱に輪をかけ、戦前の李香蘭出演依頼の爆発的人気となった。

ともあれ、この「ウエスタン・カーニバル」は昭和52年8月の第6回日劇ウエスタン・カーニバル「直撃!ロックンロール大旋風」まで二十年以上にわたり年3回
の公演を続け、56年1月22日から25日までのサヨナラ日劇公演「日劇ウエスタン・カーニバル-俺たちは奔り続けている!」で完全におわる。

1977年8月16日、心臓発作でエルヴィス・プレスリーは42歳の生涯を閉じたのだが、ロカビリー旋風は形を変えて生き続けた。
33年9月「ダイアナ」や「君はわが運命」のポール・アンカが来日して、ブームに拍車をかけ、35年4月には「恋の日記」「恋の片道切符」のニール・セダカが、9月にリッキー・ネルソンが日本のファンにお目見えした。

今日は短い文章になりました、以下は明日に。


(以下続く)