絵、大好き・Yoh-Mのブログ

ジャズ聴きながら絵を描くYoh-Mが、自身の頭の整理の為に書くブログです。

記者会見で感じたメディアの劣悪

2013年01月24日 | インポート

11月30日、テレビ公開各党首?記者会見に関して感じた事を書きます。

現在の小選挙区制は2大政党による政治を模索して作られた制度。

中選挙区制度から政治の根幹を変えた訳だから、小選挙区制度の理念は当然議員各氏が理解していた事と思う。が、このテイタラク。

原因は民主党に有ることは間違いのない事で、民主党総裁の野田氏が会見でも認める発言をしていた。

民主党の成立過程は国民が知る処であり、今回の政党乱立見をるにつけ、民主党が如何にいい加減な政党であったかが分かったであろう。

さて今回のブログは民主党批判に重きを置くわけでなく、メディアの特に四名の質問者に代表された、メディア資質に大いに疑問を感じた事を書きます。

党首間に於ける相互質問。及びそれに答える党首の姿勢は、いつも見せられる国会の醜さではなく、大よそ我々が公平に判断する材料を表明してくれていた。と思いました。

が、

記者を代表する四人が質問をするコーナーに移った途端、記者会見は公平さがなくなり、質問者の偏見だけがテレビから伝わってきました。

真に残念ながら、メディアの質の低さを見せ付けられた状況でしたし、挙句、この質問記者達は良くテレビに顔を出す人達でした。

まず、彼らに違和感を感じた理由に、

・答弁時間が1分というルールを作っておいて、1回の質問には2件の質問を平気でし、時間になると、ルール違反です。と言って、答弁者の発言を封じる態度。

・答弁者たる各党々首とは日頃から懇意である。との意識を持っているのでしょうか、言葉使いは横柄で、こんな連中がメディアの代表とは無残な思いで見ておりました。

・彼等、質問記者達の言葉使いは小中学生には聞かせたくない言葉使いであり、質問を受ける党首が怒る気持ちが良くわかりました。

・質問は実に偏向しているな。と、思わせる質問ばかりで中高生以下レベルのお粗末さでした。

・一人は、まるで中国人如き質問をし、石原氏が怒りましたが、メディアは中国、韓国政府の代弁者ではないはず。まして、尖閣問題から経済が落ち込んでいる責任を石原氏に転嫁する記者の資質は余りにも中国寄り。

この問題の発端は菅政権に在り、野田総理の立ち話が端を引いたのであって的外れもいい所。この質問記者は中国政府から指示を受けていると思える態度でした。

・さて、小沢憎しでしょうか。

嘉田党首に対しては、小沢氏の事ばかりを問う。この構図はどこから来ているでしょうか。党首として発言している人に対し政策を問うわけでなく、小沢氏云々ばかり。嘉田氏の口からは質問者へ、遠まわしの嫌味の言葉が出ましたが、自己を誇示したいがだけの記者の耳には届かなかったようです。

残念ながら、メディアが国民の目を欺く、最大の売国奴と感じました。

既に私は日本メディアからの発言を信じていません。ネットからは色々と他国からの情報も入ります。

悲惨な民主党政権時代から抜け出すチャンスの今回の選挙。

そのチャンスを、批判と自己誇示だけの売国奴日本メディア。

私の選挙区には意に沿った候補者が立候補しませんので、今回は比例区のみを投票の対象にするつもりです。

テレビでああこう言う評論家、記者の発言をマトモニ聞かない方がストレスも減る。というもの。

お粗末な選挙後国会と、メディア報道が見えるようで、暫くは、関心事から政治を除くとします。

                    2012.12.2.

                         Yoh-M.


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白隠禅師 展覧会を見終えて

2013年01月24日 | アート・文化

渋谷東急文化村で『白隠禅師展覧会』が開かれている。

私が家のお寺さんからも1点出品されており、年末、和尚より【白隠さんの初めてと言ってもよい大きな展覧会なので是非】という言葉に刺激されて行ってきました。

白隠作品はどこかしらで何となく見ていましたし、親戚も怖~い図柄の作品を所有している関係から親しみを持っております。

『座禅和讃』も時々は読みますが、深い意味を汲み取りもせず【その教えに沿えば何も出来ないじゃないか】と思う心の狭い私。更に文字よりも絵から受ける感覚の方を大事にするタイプが私です

が、今回の展覧会では・・・

和讃にしても、絵にしても、白隠さんの偉大さを肌で感じて戻り、凄さを知った次第です。

まず、白隠絵画について;

いわゆる坊主が描いた絵だから仏画のジャンル。と現代ではとかく区別されますが、私の目は節穴ではありません。

細かい線、線と線の間隔。なぞりもしない大作に於ける線描の達者さ。

白隠さんは、相当の線描を研究してから独自の作品作りに向かったのでしょう。福禄寿、観音、布袋の繊細なタッチ。関羽を描いた伝統的な南画的作品。

絵の背景部分にお坊さんらしく『和讃』を書いているので、鑑賞者の目が誤魔化され易いですが、独学とは言へ、実に基礎的な部分がしっかりしています。

そして大胆な達磨と書・・・この個性だけは稀有の個性ですね。

池大雅作品が何故か2点陳列されていましたが、陳腐さは否めなかった。やはり、『哲学』が内包する精神差でしょう・・・並べ比較すると明らかな差となって出るようです。

白隠と大雅の付き合いから、絵を池大雅。賛に白隠書との事ですが、絵描きの目から見れば作品であり、並べられた池大雅がチョッピリ可哀相に思えました。

白隠書について感じた事を;

まず、日本に於いては【白隠さんの書ありき。】ではないでしょうか。

書道家でしょうか、あるいは字を習っている人でしょうか。妙齢のご婦人二人して私の前で、『この人の字は頭でっかちでバランスが悪いね』と、クスクス笑っていましたが、それも愛嬌。

実にお二人の仰る通りなんですが、さてさて・・・

白隠さんが天皇の子女に贈った。という文がケースの中にありました。これこそが達筆と言うべきサンプル書でした。

お坊さんらしく『無』という字が数有りましたが、この無の形、大きさ、墨の濃淡。総てが同じ筆跡です。勿論、他の文字も行間も素晴らしかった。

私の言う達筆とは、性格が表れ且つ一つの文字に乱れがない事を指します。

書道家が大昔の王羲之等々を真似るのとは全く意味が異なります。

つまり、私には書道家の文字はツマラナイという事です。習字に意味を見いだせない。という性格の私が言うのですから、白隠さん・・・強烈な個性で達筆者です。

更に、書又は句には哲学がより反映されます。達者=哲者と捉えても構わないと考えます。

さてさて、私は一通り鑑賞してから、『白隠精神』を感じ取るべく、意識的に会場の中央に位置し、突っ立っている時間が長かったように思います。同行した家内は和讃を読み下しながらゆっくり鑑賞し、ついには感激しまくっていました。

イヤホーンで説明を聞く事無く、自らの目と感覚で白隠さんを嘗め回した家内の態度こそ、白隠さんは褒めているでしょう。

いわゆる仏画といわれる絵画は私の好みに合いません。綺麗なものが多すぎる。

が、白隠さんは、今もって生身の白隠さんとして私には迫って来た。いや、現代人に語りかけているのでしょう。

和讃は哲学です。それを思うと現代宗教者達から哲学を感じないのは時代の流れでしょうか。

大拙、西田、和辻等の巨人とも言われる人達の哲学より勉強するのではなく、近くに住む宗教者からさりげなく何かを感じ取れる時代に・・・戻れればな~とも感じた次第。

ともすれば現存の宗教者達が、白隠さんから叱られているように思える展覧会。日本人に身近な存在の白隠禅師展覧会は、「必見」です。機会を与えてくれた我が寺の和尚には感謝です。

今回、初めて新東名高速道路を走りました。(時代に遅れているが~)

往きはボーっとしてましたが、帰りはパトカーに捕まらなかったのが不思議な位に抜かれる事無く、久し振りの高速運転は気分が良かったです。

この冬は雪国へ何回か行かなければならない。運転に自信が戻りましたが、落とし穴に落ちないよう【無事是名馬】を目指したいと考えています。

白隠禅師展覧会、是非、鑑賞されることをお勧めします。

                  2013.01.24.

                       Yoh-M.

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