鳥取県 曹洞宗 松風山 永明寺

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垣屋家と巨濃郡の史跡

2013-01-22 15:24:28 | 郷土史覚書
  鳥取藩城代家老の荒尾家菩提寺の瑞松山景福寺隠居寺で、明治期に永明寺に合併された地霊山香林寺の跡地の近くに垣屋八幡宮(岩美町浦富新町南側1537)があります。瓦葺の覆堂の内部に檜皮葺の御霊屋があり、御霊屋の内部には切石基礎を含めた高さ135.5mの「垣屋播磨守光成の五輪塔」(岩美町史跡)があります。この垣屋光成(大光院殿悦岩宗歓大居士)は、但馬国の山名家の武将でしたが、羽柴秀吉の鳥取城攻めに参戦して軍功をあげ、巨濃郡(いまの岩美郡)1万石の戦国大名として浦富の桐山城を居城としていました。
  垣屋家は、曹洞宗に帰依しており、但馬国には垣屋播磨守隆国(隆国寺殿一関宗無大禅定門)を勧請開基として垣屋光成が開創した垣屋家菩提寺の布金山長者峰隆国寺(豊岡市日高町荒川)があります。また、永明寺開山の日外宗旭大和尚が開山となった岩美町宇治地区の利生山長安寺には垣屋光成の息子の垣屋恒総(學窓寺殿清雪宗圓大禅定門)の遺髪をおさめた「垣屋隠岐守恒総の宝篋印塔」(岩美町史跡)が建っています。
  但馬国の「山名の四天王」という言葉があり、例えば沢庵禅師が「垣屋は山名殿の内一番衆にて御座候、二番太田垣、三番八木、四番田結庄にて御座候」(『校補但馬考』)と評し、垣屋家は代々武勇の家門として名高かったようです。関ヶ原の合戦で垣屋家は西軍について敗戦し、高野山に逃れた垣屋恒総は自刃しました。かつては桐山城のそばにあった垣屋光成の五輪塔は動かすと祟りがあると恐れられていたのですが、町浦富に鳥取藩家老の鵜殿家陣屋敷がおかれて以降は現在地に移され、今でも浦富地区の方々によって大切に供養されています。

【参考文献】
『新編 岩美町史』上巻 pp.548-567;下巻 pp.491-493