鳥取県 曹洞宗 松風山 永明寺

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松風山と竹美山

2013-01-01 12:02:05 | 郷土史覚書
  「松」と「竹」は、「松に古今の色なし 竹に上下の節あり(松無古今色 竹有上下節)」という禅語としても有名で、古来より縁起の良い植物とされています。
  永明寺の山号は、「松風山」といいます。永明寺のお檀家さまが多い牧谷地区には、かつて「竹美山 龍王寺」という蔵王権現をまつる天台宗の寺院がありました。龍王寺などの金峯山の寺社は、ちょうどいまの金峯山神社があるあたりから、すそ野の平地にかけて三十二院の宿坊が立ち並び「吉田保」「吉田千軒」などとよばれて、一時は大山寺の伽藍をしのぐほどだったそうです。牧谷地区のあるお檀家さまの話によれば、永明寺に牧谷地区のお檀家さまが多いのは、この金峯山の廃寺を江戸時代に曹洞宗に改めて再興したのが永明寺だからと以前うかがったことがあります。江戸時代には新しく寺院を建立することに制限がありましたが、廃寺を復興するのなら寺院数は増えないので認められることがあったようです。特に慶長二十年(1615年)に一国一城令が制定されて後は、道竹城の跡地の上屋敷は交通の要衝のため永明寺という寺院をすえることで有事の際には砦の役割もになわせたかったのかもしれません。
  岩美町の金峯山は、『新編 岩美町史』(pp.582-583)によれば、判明している限り、文治四年(1188年)に源頼朝が寺社領300石を寄進してから、南北朝期の延元三年(1338年)頃に最も隆盛を極めたそうです。さらに文和二年(1353年)に山名氏清が二上山城へ帰城の際にたちより祈願し、寺社領3000石を寄進したようです。しかし、天正八~九年(1580~1581年)に羽柴秀吉の鳥取城攻めのときに兵火にかかり全ての伽藍を焼失して廃寺となったそうです。金峯山の蔵王権現をまつり、牧谷地区にあった龍王寺の流れをひきついでいるのが、浦富地区の殿町にある天台宗の瑞泉山吉祥院です。吉祥院の詳細に関しては、『新編 岩美町史』(pp.563-564)をご参照ください。
  岩美町には、奈良県の霊場や地名と共通するものがいくつかあります。たとえば、金峯山、二上山などです。岩美町の金峯山と同じく、奈良県の吉野にある修験本宗の総本山金峯山寺にも蔵王権現がまつられています。以前に詳述しましたとおり、長谷寺の開山の徹要尼は、奈良県の吉野にある霊鷲山世尊寺の雲門即道大和尚という師への報恩供養のために「長谷」の地名のある地に雲門山長谷寺を建立することを発願し、成就しました。鳥取市内にも長谷という地名があり長谷寺という天台宗のお寺がありますが、そこではなくて岩美町の長谷地区を選んだのには、奈良県桜井市初瀬の長谷寺を意識しているのかは定かではありませんが、それなりの理由があるように思えてなりません。なお、岩美町の荒金地区にも三徳山のような修験の霊場がありました。
  「松竹梅」は、歳寒の三友ともいわれます。「松」と「竹」が、永明寺の「松風山」と龍王寺の「竹美山」や永明寺の裏山にある「道竹城」にみられるとしても、早春をつげる「梅」は「百花の魁」としてめでたいのですが、岩美町の寺社で「梅」のつくものはありませんし、地名も思い当りません。今後の新たな郷土史研究によって永明寺と龍王寺をはじめとする金峯山の寺社との関わりも解明されるかもしれません。