永明寺では、春(1月)と秋(8月)の二度、本庄地区の方々と本庄観音堂で大祭の法要をしています。かつては観音堂のそばに小さな庫裡もあり、永明寺の弟子が住持をしていました。観音堂の所在地は、国道9号線から見える岩美町本庄字福元で秋葉山麓の小高い場所にあります。
周辺には本庄古墳群、嶋根の水(因幡国の名水)、辻堂跡(薬師堂)、向山地区までいけば羽柴秀吉の焼討ののち廃寺となった二上山城主の山名家菩提寺の大杉山満願寺跡などがあります。そのうち「嶋根の水」は、『因幡誌』によれば「本庄村西の山下にあり深さ三尺許りの廃井なり、是を嶋根の水と号し、又岩井の水といふ。此池、旧裏海なりしが海潮退き平地となる其井の側に巨岩数多有り、海嶋の形をなせるも其故にて嶋根、岩井の名も茲に生するならむ。今は水涸れて掬する許りなれども国中名に負へる名水也」とあり、「岩井」の名の起源のひとつとされているようです。観音堂の下の道は、かつて小田但馬往来としてにぎわっていました。
周辺には本庄古墳群、嶋根の水(因幡国の名水)、辻堂跡(薬師堂)、向山地区までいけば羽柴秀吉の焼討ののち廃寺となった二上山城主の山名家菩提寺の大杉山満願寺跡などがあります。そのうち「嶋根の水」は、『因幡誌』によれば「本庄村西の山下にあり深さ三尺許りの廃井なり、是を嶋根の水と号し、又岩井の水といふ。此池、旧裏海なりしが海潮退き平地となる其井の側に巨岩数多有り、海嶋の形をなせるも其故にて嶋根、岩井の名も茲に生するならむ。今は水涸れて掬する許りなれども国中名に負へる名水也」とあり、「岩井」の名の起源のひとつとされているようです。観音堂の下の道は、かつて小田但馬往来としてにぎわっていました。