永明寺に訪れた時、山門をくぐると本堂と庫裡がまず目に入ります。庫裡の横を永明寺所有地の山林にむかって歩くと境内墓地や永明寺の三段畑の菜園につづく細い山道があり、その山道ののぼりはじめに歴代住持墓所への分かれ道があります。
歴代住持墓所には永明寺の住持とその弟子たちの墓とともに、たくさんの五輪塔や宝篋印塔があります。かつてはもっと多くの五輪塔や宝篋印塔や石仏がありましがたが、永明寺のご近所のお檀家さまが屋敷でおまつりしたいと言われて20基ほどをそちらのほうに別におまつりしています。
そのなかでも最も大きな宝篋印塔が写真のものです。この宝篋印塔は、その見た目から、もしかすると鳥取県内でも最古級のものではないかと思われますが、特に文化財には指定されていません。おそらく地元の人々もほとんど知らないまま今まで永明寺でまつられてきたのだと思います。宝篋印塔の上部の九輪と宝珠が途中で折れて二輪だけが部分的に現存していますが、塔全体は、ほぼ原形をとどめています。
本庄地区の田圃の中には、道竹城主の三上兵庫頭の討死した場所とされるところに、かつて三上八幡宮がありました。そこには五輪塔や宝篋印塔が今でも大切にまつられていますが、それらの塔と比較しても、永明寺の歴代住持墓所にある宝篋印塔は、その大きさ、古さからして、それなりに名の知れた歴史上の人物の供養塔だと推測されます。今後の研究により解明され、後世にひきつがれることを願います。
歴代住持墓所には永明寺の住持とその弟子たちの墓とともに、たくさんの五輪塔や宝篋印塔があります。かつてはもっと多くの五輪塔や宝篋印塔や石仏がありましがたが、永明寺のご近所のお檀家さまが屋敷でおまつりしたいと言われて20基ほどをそちらのほうに別におまつりしています。
そのなかでも最も大きな宝篋印塔が写真のものです。この宝篋印塔は、その見た目から、もしかすると鳥取県内でも最古級のものではないかと思われますが、特に文化財には指定されていません。おそらく地元の人々もほとんど知らないまま今まで永明寺でまつられてきたのだと思います。宝篋印塔の上部の九輪と宝珠が途中で折れて二輪だけが部分的に現存していますが、塔全体は、ほぼ原形をとどめています。
本庄地区の田圃の中には、道竹城主の三上兵庫頭の討死した場所とされるところに、かつて三上八幡宮がありました。そこには五輪塔や宝篋印塔が今でも大切にまつられていますが、それらの塔と比較しても、永明寺の歴代住持墓所にある宝篋印塔は、その大きさ、古さからして、それなりに名の知れた歴史上の人物の供養塔だと推測されます。今後の研究により解明され、後世にひきつがれることを願います。
年末の位牌堂まいりにこられるお檀家さまが仕事納めの今日あたりから見られました。今年も残すところ3日ほど、明日、明後日も、お檀家さまがご家族でおまいりにこられることでしょう。天気予報によれば、30日、31日は、雨が降るようですが、29日は、曇りのち晴れということです。
写真は、永明寺の位牌堂1Fです。よくお檀家さまに位牌堂の正面にまつられているのは、どなたですかとたずねられます。位牌堂2Fの正面にまつられている御尊像は、その御前に「日域洞上鼻祖永平佛法道元老和尚大禅師」という御真牌が奉安されておりますとおり、福井県の曹洞宗大本山永平寺を開かれた高祖承陽大師の道元禅師さまです。位牌堂1Fの正面にまつられている御尊像は、その御前に「日域洞上太祖總持開闢瑩山紹瑾老和尚大禅師」という御真牌が奉安されておりますとおり、神奈川県横浜市の曹洞宗大本山總持寺を開かれた太祖常済大師の瑩山禅師さまです。また、位牌堂1Fの御尊像のまえに奉安されているお位牌は、永明寺の歴代住持職とその弟子などの亡僧位牌です。
写真は、永明寺の位牌堂1Fです。よくお檀家さまに位牌堂の正面にまつられているのは、どなたですかとたずねられます。位牌堂2Fの正面にまつられている御尊像は、その御前に「日域洞上鼻祖永平佛法道元老和尚大禅師」という御真牌が奉安されておりますとおり、福井県の曹洞宗大本山永平寺を開かれた高祖承陽大師の道元禅師さまです。位牌堂1Fの正面にまつられている御尊像は、その御前に「日域洞上太祖總持開闢瑩山紹瑾老和尚大禅師」という御真牌が奉安されておりますとおり、神奈川県横浜市の曹洞宗大本山總持寺を開かれた太祖常済大師の瑩山禅師さまです。また、位牌堂1Fの御尊像のまえに奉安されているお位牌は、永明寺の歴代住持職とその弟子などの亡僧位牌です。