ねむりねこ
の周囲は、アウトドア、特にトレッキングや登山の好きな人が多い。典型的な「類友」である。
随分前のことになるけど、海外の山
の話をしてて、
田部井淳子さんのことが話題に出た。その話を持ち出したのは
の上司、オーストラリア人の登山家なんだけど、
「日本にはいろいろすごい山があって、いつか登ってみたいと思ってるんだ
有名な登山家も多いよね、ジュンコ・タベイとか」
おおおっ
日本人以外から田部井さんの名前を聞くとは思わなかった
4年ほど前に、旅行会社の企画で、ニュージーランドを代表するトレッキング・コースのミルフォード・トラックを歩きにきたことがあったけど、当時のこちらのガイド会社のスタッフで、田部井さんがエベレスト登頂に成功した世界初の女性ということを知っている人がいなかったのに。さすが山オタクは違う
「そうなのよ~
猫かぶりが山に興味を持ったのは、田部井さんの講演を聴きに行ったのがきっかけなのよ」
ってな具合に話は盛り上がった。
しばらくして、特に何の脈絡もなく、日本を代表する冒険家の故・
植村直己さんのことをふと思い出した。
植村さんが活躍していた頃は、
はまだ子供、山なんて全く興味がなかったから、彼が成し遂げた偉業の価値など全く知らなかった。気になることは調べないと気が済まない性分の
は、植村さんの本が読みたくなり、猫かぶりに
「植村さんの本がほしい」
と言ったら、
「買う必要ないよ。俺、持ってるから。日本の実家においてあるから帰ったら探そう」
おおおっ、それはラッキー
……でも、自分の持ち物じゃないとはいえ、自分の家にあることも知らかったのね
『青春を山に懸けて』『極北を駆ける』『植村直己と山で一泊』
帰国中に無事植村本をゲット。去る8月の
マウント・クックに出張中の楽しみ
のひとつに、あちらに持って行った。
夜、家でくつろいでる時に本を開いたが、ページをめくるごとにどんどん引き込まれて、職場での休憩中など、寸暇を惜しんで読み耽るようになってしまった
謙虚で実直な語り口で、脚色ゼロの物語だけど、植村さんの山に対する熱い思い
がひしひしと伝わってくる。
彼が冒険を志した時代は、海外旅行がまだ一般的ではなく、ましてや海外登山や極地への冒険なんて今以上に珍しかった。まだだれも挑んだことのないチャレンジを次々と成し遂げて行く植村さん、しかし気負いや驕りなどはまったくない。自らの体験の中から、さまざまなことを学び、己の糧として次のステップへと発展して行く。
登山を始めたのは大学に入ってから、しかも転んでばかりいるので「ドングリ」というあだ名がついていた、というのはものすごい意外
その後、努力を重ねて山岳部のサブリーダーになり、全人類未踏の冒険を重ねる偉大な冒険家へと成長していくのだ。「天才は99%の努力と1%の才能」とは、植村さんみたいな人のことを指すんだろうね
それでもって発想が、これまたスゴい
「当時は、まだ円が世界の主要通貨のひとつではなく、換算レートがとても悪かったので、資金稼ぎはアメリカで、(不法)就労して貯めたお金を持ってヨーロッパへ渡りモンブランに挑戦する」
とか、
「南極単独横断の準備として、グリーンランドに滞在して、イヌイットから犬ぞりや狩りの方法を教えてもらう。狩りを学ぶのは、積み荷を減らすため。食料は野生のアザラシなどを狩った方が効率がいい」
などなど。
植村さんは、冒険前の「現地化」というのを徹底して行っていた。現地の人と一緒に暮らして、体を現地の気候に慣らすのはもちろんのこと、言葉、食べるもの、生活習慣までをも習得する。
確かに、ここまでできれば本当に理想的なんだろうな、と頭では理解できるけど、たとえばアザラシやトナカイの生肉を三度の食事にするなど、実行に移すのは決して容易ではない。植村さんは、そうした生活・習慣の違いに初めは戸惑いながらも、強固な意志と見事な順応性を発揮して、次々とモノにしてしまう
本を通して、冒険家、そして人としての植村さんがいろいろと見えてくる。
当時、ヨーロッパ系人種の冒険家・登山家の原住民に対する偏見・差別が強く、現地人ガイドに対して横柄な態度で接し、思いのままにならない場合は脅したりということもあったという。
植村さんは、これとは正反対に「現地化」を通して原住民と友好(時にはそれ以上に親しい)関係を築くので、何か困ったことが起きてもみんなが救いの手を差し伸べてくれた。「自分の成功は、周囲の人々の協力なしではありえない」と何度も語っているが、これは決して謙遜だけではなさそうだ。
というか、植村さんがあのような人柄だったからこそ、言葉も習慣も異なる人々と暖かい絆を作ることができたのに違いない。そして、それが数々の前人未到の冒険の成功へとつながったのだ。日本人の美点である「謙虚」「誠実」は国際世界でのパスポート、小学校では英語教育
なんかより人間教育をした方が真の国際人への近道になりそうだ
植村さんは口下手な方で、これに輪をかけて言葉の壁から饒舌、多弁ではなかったが、それでもそのことを必要以上に気にして卑屈になどならず、何かあった時にはズバッと自己主張する強さがあった…… 古き良き日本男児なのだ
植村さんの冒険に対する哲学。
「経験と技術もなくて、また生還の可能性もない冒険に挑むことは、それは冒険でも、勇敢でもないのだ。無謀というべきものなのだ」
行く先々で現地の人から「それは危険だからやめなさい」と言われ、行くべきかどうか迷ったことが幾度となくあったが、自分で冷静に状況判断して決断することを繰り返してきた植村さんならでは。自分が世界初単独登頂を遂げたマッキンリー山の、真冬の単独登攀で帰らぬ人になるとは…… 一番無念に思っているのは当の植村さんに違いない
最後に、植村さんに励まされた一言。
「山登りを優劣で見てはいけないと思う。要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山が本当だと思う」
さて、今年の夏はどんな心に残る山歩きをしようかな……