エコ・ニュージーランド Eco New Zealand

ニュージーランド発。エコライフ、環境保護、山、森、動物、アウトドア、山歩き、猫についてのブログ。

ねむりねこよりみなさんへ

エコ・ニュージーランドへようこそ!! その時の気分で、過去の旅行の話になったり、庭、環境保全、トレッキング等々、話が飛んでいます。ジャンル別にお読みになりたい方は、左のカテゴリーからどうぞ!! また、本文中のトレッキング(トランピング)関連の用語の説明は、同じくカテゴリー欄から「ニュージーランドのトランピング用語集」をご参照ください (^o^)

ラカトゥ湿原へ

2009年02月28日 | 環境保全(生態系、動植物)
 明日から始まる三日間の非番の初日に何をして過ごそうか……

 色々考えるうちに、気になっているけどまだ訪れてない場所の一つ、サウスランドにあるラカトゥ湿原へ行くことに決めた。場所は、テアナウの南にあるマナポウリからまた少し南。南島南部の名所、カトリンズ・コースト(Catlin Coast)などを巡る、観光ドライブコース、サザン・シーニック・ルート(Southern Scenic Route)上にある、観光ガイドにはまだ載っていない場所である。なぜそんなマイナーな場所に興味を持ったのか。それはこの国の環境保護のある一面を見ることができるから。

 マナポウリには世界で初めて作られた、地下の水力発電所がある。従来、水力発電所は川を堰き止めてダムを築き、その水力を利用してタービンを回すシステムだが、テアナウほど近いマナポウリ湖にダムの建設計画が持ち上がった時、環境の劣化につながると地元住民から反対を受けた。様々な協議の結果、パイプで地下に引いた水の力を利用してタービンを回す方式に変更され、マナポウリ地下水力発電所が1970年に建造された。

 マナポウリ湖から水が発電所に送られるようになった結果、地域を潤す本流ワイアウ川の水量は減り、湿原が減少してしまった。これを受け、地元の住民団体で組織されるワーキング・グループと電力会社によって、失われた湿原を元の姿に戻すプロジェクトが1990年にスタート。そして、2006年3月18日に、270ヘクタールのラカトゥ湿原が誕生した。



 ニュージーランドに来て初めての年に、ダウトフル・サウンドの日帰りクルーズに参加し、そのときにマナポウリ湖の水力発電所の存在とそこに至る背景を知り、この国の人々の環境保護に対する意識の高さに驚いた。その後、色々と調べるうちに、ニュージーランドの環境保護は、1900年代初頭より民間主導で進められてきた経緯があることを知った。

 ラカトゥ湿原は、広大な牧場地の真ん中に位置している。家畜が入ってこないよう、湿原の周囲は柵が張り巡らされ、また湿原の姿を間近に観察できるよう、その周囲には遊歩道が整備されている。入り口と、遊歩道の途中、小高い丘の上に展望台の2カ所に、写真入りの分かりやすい説明版が展示されており、それによって湿原に関して色々なことを知ることができる。


 
 砂利を敷き詰め、歩きやすく整備された遊歩道に、プケコを象った可愛らしい道しるべ。訪れた日は雲が低く垂れ込めていたので、残念ながら写真映えは今ひとつ。しかし、これを手掛けた地元の人々の「この地に水鳥や川魚が群れるのを再び見たい」という、熱い思いが伝わってくるようだった。



グレノーキー・カフェの看板猫

2009年02月27日 | ネコ
 午前中は雨、という予報が外れて、朝から良いお天気。気温もそこそこ上がり、久々に夏気分を味わった。やはり、夏はこうあってほしいもの。リビングの窓からは、西側の空にはオレンジ色に染まった夕焼け雲が、そして東側の空にはバラ色の夕焼け雲が、それぞれ青い空に映えている。せっかくだから写真を……と思ったのだが、運悪く電池切れでデジカメのスイッチが入らなかった。今度の機会にと思う。

 今日は猫の話を。何となくそんな気分なので。



 グレノーキーにとても美味しいカフェがある。その名もグレノーキー・カフェ(Glenorchy Cafe)。以前は、垢抜けない田舎のカフェという感じだったが、3~4年前に経営者が変わってからというもの、メニュー、コーヒー、食べ物の味がぐっと洗練され、クイーンズタウンの瀟洒なカフェと比べても全く引けをとらない存在になった。

 時代を通して一つだけ変わらないもの…… それは店の主ともいうべき看板猫。大きな雄猫でその名はラテ(Latte)。チャトラの毛並みが、本当にコーヒーのラテのような色合いをしている!!うん、ナイス・ネーミングだ!!

 日本では飲食店でペットを飼うなんて、ちょっと眉をひそめられそうな感じがするが、そこは世界でもトップクラスのペット大国・ニュージーランド、犬猫は家族の一員と考えられているから全く問題ないのである。

 10歳は軽く越えていそうなラテは、お客さんが入れ替わり立ち替わり現われても、全く動じる様子なし。店のソファでのんびり眠ったり、外をのんびり歩いたりとマイペースな振る舞いだけど、お行儀はきちんとしつけられているようで、お客さんの食べ物をねだったり、キッチンに立ち入ったりしている様子はない。

 ご機嫌のいい時は「ラテ!」と呼ぶと、堂々とした体躯に似合わない可愛い声で「ニャーン」と返事をしてくれる。猫好きの私は、一目見た時から大好きになってしまい、それからはグレノーキーに行く機会があると、必ず様子を見に行ってしまう。

 ラテ、いつまでも元気で、お店に来るお客さんを温かく迎えてあげてね。


異常気象の夏

2009年02月21日 | 自然現象(気象、地震、雪崩)
<写真:タズマン氷河の氷河湖、アオラキ/マウントクック国立公園にて>

 今年の夏は、本当に尋常ではない。

 ニュージーランドの2月は、北半球の8月に相当する盛夏。清々しい青空に黄金色の日差しが眩しく、湿度は低くカラッと暑い日が続くのが普通なのに、今日の最高気温は14℃で一日中ジトジトと雨降り。こういう日が珍しくないから、夏が来たという実感をあまり持てない。
 
 例年、春から夏にかけて(10月終わりから12月頃)は、季節の変わり目特有の不安定な天候になり、クリスマスか新年あたりから夏の日差しが燦々と降り注ぐ毎日が続く。しかし今シーズンは、夏に入ってもまだこれを引きずっていて、ここからもっと西にあるフィヨルドランドを中心に、大雨警報がやたらと多く発令されている感じを受ける。

 確か12月あたりに、Met Service(ニュージーランドの気象観測機関)が、タズマン海でラ・ニーニャが観測されたので、これからは乾燥した暑い日が長く続くと発表し、私達は大喜びしていたのだけど。いざ蓋を開けて見ると、乾燥して暑いのは、海の向こうのオーストラリアだけで、大変気の毒なことに大規模な山火事まで発生している。

 またその一方では、去る1月末に5~6年振りにマウント・クック/アオラキを訪れた時、タズマン氷河の氷河湖が、びっくりするほど大きくなっていた。以前は、とても小さく、湖面には氷河など浮かんでいなかったのに、今では小さな船に乗って遊覧するツアーまで組まれている。ほんの数年でこの差とは……

 地球の温暖化については未知の部分が多いらしい。地球が誕生してから今までの期間を一年と例えると、人類の歴史はまだ一日にも満たないのだから、地球の寒暖サイクルについて、知らない部分の方が多くて当然なのかもしれない。だから、巷では地球温暖化対策について取り沙汰されていても、それらの対策が効果を上げてほしいと願う反面、果たしてどの程度有効なのだろうと疑問にも思ってしまう。

 いずれにしても、本来四季の移り変わりを感じられる場所で、それを感じられなくなってしまうのは寂し過ぎる。特に、日本の5~7倍の紫外線も何のそので、夏の日差しの下でアウトドア・ライフを楽しみたい私達にとっては。

 今からでも全然遅くないから、暑い夏の日差しよやって来~い!!

 おまけ。タズマン氷河湖で朝日を浴びた山の峰がとてもきれいだったので…… 


物夫(もののふ)共が夢の跡

2009年02月20日 | トレッキング
 自宅のある、ニュージーランド南島クイーンズタウンから、ワカティプ湖に沿って西に約45分のドライブで、クイーンズタウンの奥座敷ともいわれる小さな村、グレノーキーがある。

 昨日、天気が良かったので、友人とドライブがてらこのグレノーキーに赴き、往復2時間ほどのウォーキングを楽しんだ。この国には、その目的により数種類の保護地(Conservation Area)があるが、Invinsible Gold Mine TrackのあるところはHistoric Reserve、つまり歴史的価値を保全するための保護地だ。

 Invinsible Gold Mineは、ゴールドラッシュ時代に金鉱掘りが盛んに行れていた場所。登山口からはコンスタントな登りが続き、ヤマブナの林を抜けると、行く手には頂上の冠雪が眩しいアーンズロー山とその麓に伸びる網目状のリーズ川、後方にハンボウルド山脈の素晴らしい景観が広がる(写真下)。



 さらに登ると…… 案内板に続き、金鉱掘りの重機械が見えてくる(写真下)。こんな山の中腹に、車もヘリコプターもない時代、こんな山奥に巨大な鉄の機械を運び入れたものだ!! 置き去られて錆にまみれた重機械は、一攫千金にかけた、男たちの熱い執念を物語っているようだ。しかし残念ながら、ビジネスとしては不本意な結果に終わったらしい。

 

クイーンズタウン周辺、およびセントラル・オタゴ地域には、このインビンジブル・マインのような金鉱跡が点在する。どの金鉱跡にも共通していることは、見事な景観の野山にポツンと取り残された重器具が、何とも言えない寂寥感を醸し出していること。そして説明板を読んでいると、金鉱夫達の立ち動く姿や、日々の暮らしを営む姿が瞼に浮かんでくる。自らの意志で、故郷を遠く離れ夢を追い求める彼らは、どこか自分達にも似ているような気がしたり等々、訪れる者の想像力をかき立てずにはいられない何かが、必ずそこにある。

ニュージーランドに来て間もない頃は、その不思議な魅力に取り憑かれたようにあちこち探検し回ったことをふと思い出し、束の間の懐かしい気分に浸った。