昨年11月に
栢野の大杉のことを書いた1週間後に母がこの世を去った。その頃、母は検査と治療で入院していたが、経過良好のため担当医から退院許可が下りた矢先の出来事だった。
仕事から帰宅すると、非番で家にいた夫・ねこかぶりが、夕食の準備もそこそこに真剣な表情で電話を受けており、
「お父さんからの電話でね、お母さんが亡くなったよ」
電話を変わって話しをしたが、全くの予想外の出来事に、狐につままれたような心境だった。
その晩は大急ぎで、インターネットで飛行機を予約し、帰り支度を整え、お隣さんにトラの世話など留守中のことを頼み、翌朝に二人でバタバタとクイーンズタウンを後にした。
彼岸への旅立ちは順送りだから、いつかはやって来るこの日を避けられないとは思ってたけど、いざその時が訪れた時のねむりねこ
の反応は、周囲が心配するほど冷静で穏やかだった。
日頃からヨガに精進しているお陰で、物事を客観的に見られるようになっていたのも一つにはあると思うけど、それ以上に母の他界を信じられなかったことと、残された父を一人娘の
が支えなくちゃという意識が、悲しみや喪失感などの感情を一時的に押さえ込んでしまったらしい。
それにしても、人が一人亡くなるとはこんなにも大変なこととは知らなかった
日本には11日間滞在したが、毎日のスケジュールがあっという間に埋まり、加えて予定外のこともあれこれ起きる。そのうち、心身の過労からねこかぶりが体調を崩し、クイーンズダウンに戻るその日に病院で点滴を受けることに。自宅に戻ってからも、ねこかぶりの看病や、始めたばかりの仕事への復帰でフル回転の日々が続いた。
母を思って涙を流したのは、ねこかぶりが元気になって山の仕事に戻り、週末を迎え仕事も休みになってからだった。ふっと気が抜けたその瞬間から、気分が不安定になったり、珍しく風邪を引いたりしていた。
青い空に白いむら雲が生まれては流れる去るように、悲しい気持ちや寂しさが心を過る毎日を送り、あっという間に年の瀬が迫って来た。喪中なのでクリスマスと新年のお祝いや飾り付けは当然なし。元旦もお餅をお雑煮にして食べただけ。大晦日の晩から正月二日にかけてクイーンズタウンは雨続きで、外にも出られなかったので、友達が録ってくれた日本のテレビ番組のDVDを観るなどして過ごした。
三日から仕事だったのだが、家に帰ると父から母校の
日本体育大学が箱根駅伝で総合優勝を成し遂げたとファクスが入っていた。前日、往路優勝したことは父との電話やインターネットのニュースで知っていたが、復路も優勝したとはスゴい快挙じゃないの
後輩のみんな、よく頑張ったね
雲間から一筋の光明が射したように、心がパァッと明るくなるのを感じた。
知らせをくれた父にさっそく電話したら「テレビでずっと見てたんだけど、お前の後輩たちは本当にすごく頑張っててね。励まされたよ」 母校の新年早々の大活躍に父娘で大いに励まされ、加えて、このところあまり元気のなかった父の、久し振りに聞く明るい声に嬉しくなった。
それから数日後、日本に住む友達から封書が届いた。
の喪中を知る彼女の手紙の内容は、近況を短い言葉でまとめたものだったけど、その裏に書いてあった言葉に目頭が熱くなった
シンプルだけど心温まる言葉。その向こうに「大丈夫っすよ!」と彼女の笑顔が浮かぶ。
このカードを選んで、送ってくれた優しい心に思いを馳せる。彼女自身も悩み事を抱えているから、他人にあれこれ思いを巡らす余裕などないんじゃ、と思っていたけど、根っから気立てのいい人ってこういう時にも違うのね。
大好きな母校の胸をすく大健闘、元気を取り戻しつつある父、友達への心からのありがとうという気持ち、いい友達を持てたことに感謝して新しい年が始まった。
……本当だね。生きてると色々あるけどさ、無駄なことってないんだね