今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。
『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦8月9日の項には、次のような記述がある。
九日 飯野八幡宮例祭前、流鏑馬ナラシノ藁的ヲ射ル。圓坐的ト唱フ。
これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。
旧暦8月9日 飯野八幡宮の祭り本番にそなえ、予行演習として流鏑馬が行われ、藁で作られた的(まと)に矢を射る。この的のことを「円坐的」という。
ちなみに、「円坐(円座)」というのは、稲藁や藺草(いぐさ)などで、渦巻き形に、丸く編んだ敷物のこと。もっとわかりやすく言えば、藁を丸く編んで作った座布団みたいなもののこと。
『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦8月9日の項には、次のような記述がある。
九日 飯野八幡宮例祭前、流鏑馬ナラシノ藁的ヲ射ル。圓坐的ト唱フ。
これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。
旧暦8月9日 飯野八幡宮の祭り本番にそなえ、予行演習として流鏑馬が行われ、藁で作られた的(まと)に矢を射る。この的のことを「円坐的」という。
ちなみに、「円坐(円座)」というのは、稲藁や藺草(いぐさ)などで、渦巻き形に、丸く編んだ敷物のこと。もっとわかりやすく言えば、藁を丸く編んで作った座布団みたいなもののこと。