『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦7月25日  松崎稲荷の祭礼  

2007年09月13日 | 歴史
今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦7月25日の項には、次のような記述がある。平の松崎稲荷の祭礼についてのものだ。

二十五日 松崎稲荷明神例祭。城ノ艮位ニ鎮坐スルヲ以テ鬼門稲荷トイフ。例シテ花火アリ。

これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

旧暦7月25日 松崎稲荷明神の例祭。松崎稲荷は磐城平城の東北の方角に鎮座しているため、鬼門稲荷とも呼ばれている。例年、花火が打ち上げられる。
コメント (4)
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