『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦7月24日  わか  

2007年09月09日 | 歴史
今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦7月24日の項には、次のような記述がある。記述の内容は前回の「もりこ」に続き、「わか」に関する事柄だ。

又、わかトイフハ瞽者ノ妻ナリ。死者ノ口よせヲスル。梓巫女ニ同ジ。口よせサスル時、春夏ハ麦、秋冬ハ籾ヲヤル。常ノ升ヨリ大ナル升ニテハカル。是ヲわか升トイフテ別ニアリ。其貰多シ。諺ニ、瞽者ハ女房ニ養ハルトイフ。

これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

また、「わか」と呼ばれる人たちもいる。これは瞽者(ごぜ)の妻で、死人の霊を降臨させ、口寄せをする。梓巫女(あずさみこ)と同じだ。人々が「わか」を招き、口寄せを御願いした時には、御礼として、春夏には麦、秋冬には米の籾をやる。その時に用いる升(ます)は「わか升」と呼ばれ、普通のものより大きい。「わか」たちの稼ぎはよく、「瞽者は女房に養われる」という諺もある。
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