『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

「野ノ口」と「大野ノ口」

2007年05月11日 | 歴史
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)は
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)のなかで、
「野ノ口」「大野ノ口」について、次のように記している。
引用文中「是月」とあるのは、旧暦4月のことだ。

是月 初旬ヨリ、農家ニテハ苅敷ヲ始メ、馬ヲ牽キ、野山ニ出テ、
植代ヘ入ル丶草ヲカル。冨家、里正ノ女モ馬ニ乗リ、にふぐりスル。
にふぐりハ方言ニテ、刈敷ヲ馬ニツケ搬ブヲイフ。
又、めぐりトモイフ。にふぐりノ転訛セシニヤ。
婦女ハ苅敷ノ支度トテ、手襷(たすき)、脛巾(きゃはん)、
手拭ナド、新ニ染シボリテ製(こしら)ユルナリ。
刈敷ヲ農事ノ第一トセリ。
以上、宝暦間ノ筆記ヲ録ス。
刈敷ニ野ノ口、大野ノ口ト唱フル村掟アリ。
野ノ口ハ村々日ヲ定メ、共有地ノ中、今日ハ此處ヨリ彼處マデト、
其日ニ刈トル塲所ヲ定ム。
大野ノ口ハ数村入會ノ塲所ヲ刈トル日ヲ定ムルナリ。
何人ニテモ其所有地ヲ除クノ外ハ、此ノ定メヲ破ルヲ許サズ。
冨豪ノ専横ヲ防ギ、利益ヲ平等ニスル良法ナリ。

水田に入れる緑肥の刈り取りについての記載だが、
興味深いことが縷々書かれている。
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